キャンプリーダー仲間から、
夏のチャレンジキャンプに参加したCちゃんが今日のTVに出るよと連絡が。

(チャレンジキャンプのことはこちらをどうぞ ⇒ こちら

NEWS23の特集で取り上げられていました。


“早老症”生きる姉弟 親より早く旅立つ子に


純粋に、夏以来会っていないCちゃんの様子が見れる!と思って録画予約して待っていたけれど、観ながら無意識のうちに涙があふれていました。


早老症って・・・?

コケイン症候群という50万人に1人の病気だったなんて…

wiki見てもあんまり詳しくは載っていませんでした。
> Wikipedia


キャンプに来る前に子供たちの様子をできるだけ把握するように努めていて、健康診断もあるし、キャンプ前に集まる機会もあるし、保護者が書いた書類もあります。

体が年齢よりもかなり小柄なので体力がなかったり、聴覚が弱かったり…と配慮事項があるのは把握していたけれど、
でも、その時はたぶん、コケイン症候群という名前は聞かなかったような。。
進行性の病気であることと、脳神経系の病気であることはうっすら認識していたけれど。。

キャンプ中は障害とか病気とかあるなしに関わらず、
単純に楽しかったし可愛いなーとしか考えていませんでした。

なんとなく、進行性なのは、本当になんとなく意識はしていたけれど、でもすごく、非現実的なイメージでもありました。


"今”のことしか考えていなかったし、考えられなかった。


いつか来る私たちより早い可能性の高い人生の終わりが来るとしても、ずっとずっと先のことだろうと漠然と考えていました。


しかし、特集によると、コケイン症候群の子どもたちの多くは20歳まで生きることが難しいと。

Cちゃんは既に13歳。


キャンプ場にお迎えに来てちょっとお話したCちゃんのママが、
TVの向こうで

「いつ亡くなってもおかしくない年齢なんだ」

と。


急に漠然としていたものが現実味を帯びた気がしました。


キャンプ中に
「おーちかえるー」
「まーまー」
と大泣きしていたCちゃんだったけれど、
スイカ割りとかキャンプソングとか楽しそうに過ごしていたのに。
最終日には何度も私のほっぺたにキスしてくれたのに。


現実味を帯びるのと同時に、信じられない気持ちもしました。

20歳って、あと7年ですよ?
7年なんて、あっという間じゃないですか。。


あと何回、誕生日を祝えるのだろうかと毎回考えて過ごすのだろうと話すママの姿に涙が止まらなくなりました。


信じられないし信じたくもない。

でも、TVに移っているのはCちゃんだし、Cちゃんのママだし。


ブログ書きながらも、涙が止まらないけれど、書いておかないとなぁと思って。



障害児と関わる機会が多いほど、死という現実は向き合わざるを得ないんだということに教員時代に気づかされました。

担任している児童が亡くなったということはありませんでしたが、
3年間という短い教員生活の中にも生徒や卒業生の訃報が何度かありました。

肢体不自由児課程は小学部から高等部まで一緒に授業をすることがあったので、
担当していた時に授業で関わった他学部の生徒の訃報は、しばらく受け止められませんでした。

ついこの間、一緒に風船バレーやったのに。。

あぁ、なんであの日に挨拶しなかったんだろう。。

親しい間柄の生徒ではなかったけれど、急にぽっかり空いたその子のベッドに、なんとなく過ごした毎日を後悔しました。


神様なんて信じてないけど。
あの時は、神様をものすごく恨んだ覚えがあります。

今もちょっと、怨めしい気持ちでいます。

色んなバリアが社会にあって、色んな経験が制限されているのに、
なぜ神様は、彼女たちの人生の長さまで限ってしまうんでしょうか。

人より経験できるものが少ない社会に生かされているのに、
長さが倍以上あったって足りないくらいなのに。

彼女たちの可能性をどこまで限ったら気が済むんだ。


でも、この怒りに似た怨めしい気持ちにやり場はありません。


死に直面するということには、
一生、慣れることはできないだろうから、毎回絶望するんだろうなと思います。

一生、慣れる必要もないと思っているので、毎回絶望するのだろうと、思うしかないなと思います。
私には、覚悟は一生できないと思います。
でも、やっぱり、毎回辛いのは悲しいなぁと。



私はどんなに一生懸命努力をしても、神様にはなれないし、
今から医者を目指すのも賢明な道とは思えないので、
彼女たちの人生の長さを伸ばしてあげることはできません。


でも、憂うことしかできないんでしょうか。


ただただ、毎回毎回、絶望感を感じて過ごしていくのか。

それとも、憂いながらも何か自分にできることを見つけるのか。


2つの選択肢があるなら、私は辛くても、後者を選んで生きていくんだろうなと思います。


私がどんなに頑張っても、人生の長さは変えられない。
それはわかっています。


でも、ものすごい頑張ったら、人生の濃さは変えられるかもしれない。


彼女が、今ある体の機能で、毎日を楽しめるような状況を、
努力で作っていくことはできるんじゃないかと思うんです。


それが、今自分がやってきていることなんじゃないかなとも思うんです。

それが、自分が絶望感から抜け出すための一つの手段なんじゃないかと思うんです。


私とか健常者と呼ばれる人たちは、死がすぐそばにあるなんて全く考えないだろうけれど、
私だって明日100%生きているという保証はどこにもありません。

私たちは "今" しか生きることができません。

だったら、その "今" を一つでも多くの笑顔で繋いで行けるような社会にしていけたらなぁと。


誰にだって訪れる人生の最期の時に、

「濃い人生だったね。」

そうやって家族や大切な人が納得できるような人生を、
私も、周囲も、もちろん障害児たちもみんな、そう思えるような社会を作っていけたらなぁと。


具体的に、何がどうってまだ言えないけれど。

彼女たちの人生にちょっとでも多くの笑顔ができるような何かを。
まだまだ、悲しみが多い社会だけど、悲しみよりも1%でも喜びが増えるような仕組みをどうにかして作っていけないかなぁと。

私にはまだまだ知識が足りな過ぎて、何ができるかわかりませんが。

私ひとりではできないだろうから、人と人をつないで実現していかないとなぁって思います。

「密度の濃い人生を送るには」
というのは、自分の中のテーマにしながら、想いある人たちをつなぐ役目ができたらなと。


今日の涙は無駄ではないし、
今日のTVに出ていたのがCちゃんだったのにも意味があるような気がします。


あの子たちのために、頑張りなさいと後押しされているような。


今日のゼミで、

「誰かが骨身を削って頑張らなければ、思うようには描けない。
 喜ぶ人が少なくってもいいじゃない。
 それが誰かのためになるならば。」

そんな言葉をふと、ノーマライゼーションのゼミの先生にかけられました。

一生懸命やってもうまくいかないことだらけだけど、一生懸命やらないと変わらない。
そんなことを告げられました。

ちょっと唐突な気がしつつも、すごく自分の中に引っかかった言葉で、
それが今日のTVに繋がって、また新たな決意ができた感じです。



NEWS23の特集はYoutubeで見ることができます。
7分程度なのでぜひご覧ください。

Youtube NEWS23の特集



そして、コケイン症候群は現在は難病指定されておらず、明確な治療法も確立されていないそうです。
団体の方々が署名を集め厚労省に提出したそうで、今後難病指定されることが期待されます。
他に多くの難病で難病指定を受けておらず支援を得られない方々が多くこの社会にはいらっしゃいます。
一人でも多くの必要な方に、支援が届くよう、世の中が動いていくことを期待します。