皆さんはツバルという名前を聞いたことがありますか??

「その島は世界で一番始めに沈むと言われている」、そんな言葉で形容されるツバルという国は、フィジーの北東に位置するわずか9つの島からなる国です。

海抜およそ1m~1.5mで、美しい海を有しています。

そこには私たちと全く同じ人々の日々の生活があります。
私たち先進国の環境破壊のしわ寄せで、今なお自給自足の生活をいとなむ人々の国土が失われようとしています。

私はNPO TUVALU OVERVIEWのボランティアスタッフとして、その国を1ヶ月半ほどの期間で訪れます。

このブログでは今日から1ヶ月半にわたり、ツバルでの活動、ツバルの様子、そして日々の私自身の気付きを発信していきたいと思っています。




私はツバルという名前をこの国に来る前に3度耳にしました。

一度目はDays Japanという雑誌で。海水面の上昇により世界で最初に消滅する国であると書かれていまいした。
いつか自分の国土(日本)が環境破壊のせいで消滅する、そんなこと一度も考えたことのなかった私にとってその内容はあまりに衝撃的でした。
いつかこの国がなくなってしまう前に、自分の目でその事実を確かめたい、そう思わせてくれたこの記事が、私とツバルの出会いでした。

二度目は.tvというドメインに関わるものでした。ツバルには美しい海をのぞけば、ほとんどと言っていいほど資源はありません。そこで先進国などが財産として目を付けたもの、それがこのドメインでした。運良く.tvであることもあり、先進国のテレビ会社などが好んでこのドメインを購入し、これにより国連参加権を得るための金銭を得ることに成功し、またツバルが沈む際には国民をニュージーランドなどの周辺諸国へ移住させるための資金にも当てるつもりであると聞きました。

そして三度目。そう、それが私をこの国へと連れてくるきっかけとなった、遠藤秀一さんとの出会いでした。安田なつきさんというフォトジャーナリストの方の写真展を訪れていた際に、ツバルで写真を撮っている、という声が聞こえてきました。どうしても話を聞いてみたくなった私は、そのまま声をかけました。
自分の今考えていること、感じていることを遠藤さんに話していると突然、「面白いね。一緒にツバルにくる気ない?」と訪ねられました。訪れてみたいものの、訪れるきっかけのなかった私は、そのまま行くことを決めたのです。
そう、こんな不思議な出会いから私はツバルに来ることになったのです。
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テスト勉強、レポート、そんな目先のものばかりに追われる毎日。

そんな中で、ちょっとしたきっかけで、いやでも自分のことを振り返らざるを得なくなった。

記憶とは不思議なもので、ちょっと思い出すとどんどんあふれてくる。

忘れたかった記憶も、楽しかった思い出も。

次から次へとあふれてくる。

せっかく自分の過去を文字にしてみたのだから、忘れないように書いておく。

本当に自分の思うありのままの自分像を書き記す。

いい面も、思い上がりのある悪い面も。


幼少の頃は虫取りと何かを作ることが何より好きだった。
ついたあだ名は虫取り博士。休み時間はいつも虫取りをしていた。
言い争いをしては泣き、徒競走だけは誰にも負けなかった幼稚園時代。
小学校に入るタイミングで父親の仕事の都合でフランスへ。祖母の家に行き日本に残るという選択肢もあったが両親と別れることがいやでフランスへ。
フランスでは最初の3ヶ月言葉がわからず毎日を泣いて過ごす。学校に行きたくない病にかかる。担任の先生に恋をして、それ以降は学校に行くことがいやでなくなった。アジア人としていじられることが多く、それが嫌いでやり返していた。そうしているうちになぜか敵対勢力に勝利してしまい、同学年の間で人気者になる。友達も多く、女の子からの人気は特に高かった。日本に帰るのが何よりつらかった。
日本に帰ってきた。今度は同じ日本人同士なのにフランス帰りということを理由にはぶられた。だから一人でもいつでも楽しめる虫取りを、また始めた。いま日本の小学校で一番仲の良かった友達の顔を思い出せ、といわれたら間違いなくカマキリの顔が浮かんでくる。それくらい人と接するよりも虫と接していた時間が長かった。フランスでは日本人だから、という理由で当初いじられ、日本に帰ってくればフランス帰りという理由ではぶられた。自分のアイデンティティがなんなのか、死ぬとはどういうことなのか、自我という意識はどこからくるのか、そんなことを考え始めたのが小学生時代。
そんな自分を支えてくれたのは家族だけ。そしてこの頃に集団に、友達の輪に入りたいけれどなんだか入りきれない自分が出来上がった。
自閉症との混合教育を行う中学校に進学。障害というものを感じ、障害もまた個性でしかないことを知った。フランスからの帰国後から全くスポーツが苦手になってしまっていた自分。それ故に勉強にすべてを注ぐようになった。そして学年2位の座を手に入れた。けれど周りらからはスポーツができることがかっこ良く、ほめられる、ということをいつまでもねたましく思っていた。
自転車でシルクロードを走破し、テレビにも出演。自分をかっこいいと思い込もうとしていたが、今考えれば無理がありすぎた。
そして人生を変えてくれるような恩師に出会った。その恩師だけは私の可能性を信じてくれた。そして名門と言われる筑波大学附属高校に進学し、自分はできると、自分に自信をもち始めた。
中学までのまじめな自分、面白みのない自分を変えるために、わざと馬鹿をやり、自分の信念を曲げてまでも人気者になろうとし、ある程度成功した。そのなかでいつの間にか無理して演じてきた明るい自分、面白い自分が本当の自分になってしまい、以前の自分がわからなくなった。なんだか自分が自分でなくなったような感覚に苛まれたものの、以前なりたかった自分になれたことを喜び、それを受けて入れていった。それによって曲げた信念とかもあった気がするが、いつの間にか忘れてしまった。
高校時代は勉強に力を入れず、部活にのめり込んだ。高校進学後、飛躍てきに運動ができるようになり、今度は運動もやり始めた。彼女もできて順調だったが、大学受験に失敗し、浪人。
浪人によって最愛の彼女に振られ、どん底に落ちた。だがそのおかげで毎日予備校にこもるようになり、結果としては第2志望の早稲田に進学できた。この浪人時代の勉強によって今の自分の論理的思考力や、多角的視点が育まれた。
そして大学進学後には中身が伴い、周りから一目置かれる存在として、ゼミ、サークルなどさまざまな分野でリーダーの役をまかされ、人一倍の努力とともに、それなりの成果をすべての場面で出してきた。正直言って今の自分はかなりできると自信を持っている。
また浪人中に今の自分の価値観を大きく作ってくれた女性に出会った。それが前の彼女。ドラマの世界にしかないと思っていた世界に出会い、向き合わざるを得なくなった。誰にもはなせず自分の中にしまい込み続け、一人で解決しようとした。その結果耐えられなくなり、自分自身のために彼女に別れを告げた。結局は向き合いきれず、逃げ出した訳だ。
人に興味を持てなくなっていた私を救ってくれたのは大学の早稲田祭運営スタッフの先輩だった。いつも言葉をかけてくれ、仕事をたくさん与えてくれた。それが過去を忘れ、吹っ切るきっかけになった。そうしてこの逃げ出したことが思い出にかわり、人にはなせるようになった。話すことで自分が楽になれることも、自分が先に語るからこそ相手が自分に語ってくれるようになる、ということも初めてこのとき知った。今まで周りと仲良くなれなかったのは自分が心を開かなかったからなのだと知った。
そして大学二年の夏。バングラデシュにグラミン銀行でのインターンのために渡航した。初めて自分以上にすごいと思える人間に、行動力のある人間に出会い、今まで自分がいかに人生を無駄にしてきたか、いかに自分が行動してこなかったかを知った。そして行動することの大切さ、本当に信頼できる人間関係の築き方を知った。それと同時に生まれて初めて、自分の居場所がこの世界に存在していることを知った。
日本帰国後、この経験を生かし、自分の人生は自分で作りあげてやろうと決めた。そうして活動的な今がある。社交性も、コミュニケーションの仕方も、このときに初めて知った気がする。自分のなじめる団体はきっとある。ないなら作ればいい。そう思い始め、自分の信念を人に話すようになったのもこの頃。
そうして今、おおきな団体の中での活動に一区切り付け、自分の能力を向上させるために、今まで学んできたものを発揮するために、自分で団体を作り、社会人と話す機会を増やし、NPOなどでのインターンも始めた。これによって改めて自分に足りないもの、社会の厳しさの一端を知れた。



まだまだ甘いところはたくさんある。けれどまだまだのばせる部分もある。もっと生かせる部分もある。



そう信じて、今日も自分の足で歩こう。一歩一歩を大切に、出会いを大切に。