おれが半年前に掲げた夢は「笑顔を作る人になりたい。笑顔を作る仕事がしたい。世界を笑顔で埋め尽くしたい。」だった。
何も考えずに自分にはでかいことできると思ってこの夢を口にしていた。
けれどおれは今日気づいてしまった。
おれは無力なんだなって
自分が思っていたよりも何倍も何十倍も無力なんだなって
自分の目の前にいる人一人を笑顔にすることさえできないんだなって
自分の目の前の一人すら笑顔にできないような人間がどうして世界を笑顔で埋め尽くすことができるのだろう。
誰かが言っていた。
「目の前の誰かを笑顔にすること、幸せにしたいと願うこと、それが大きな力になり、その思いが世界を変えるのだ」と。
けれど今のおれがしていることは、
すべてのことをうまい言葉で取り繕って
まるでその言葉が本当の自分の言葉のように
自分で自分に嘘をついてきただけ。
自分の気持ちとも向き合わずに
自分を知ろうともしないで。
昨日「その街の子供」っていうドラマを見て
なぜだからわからないけれど涙が出た。
どんな人にだってそれぞれの苦しみ、悲しみがあるんだって
人には言えないけれど、人には言わないけれど
みんな心の中にしまいこんだ気持ちがあるのだと。
おれはべらべらと、
まるで口が生きているかのように、
話す。
でもその話してきたことは
どうでもいいようなことばかりで
自分の人生をしっかりと語ってこなかったことに気づいた。
自分のみたい世界をしっかりと見つめることすらしなくて
いつの間にか自分から逃げてた。
自分のなりたい理想の自分像を勝手に変えてしまっていた。
自分の人生を書いたレポートだって、自分をまげてた
おれは本気で向き合ったつもりだったのに。
そこに書いてあるのは、言葉になっているのは
ただの見せたい自分。
すべて作り物で、すべてが軽い。
ホントの自分が目指していたものは、
ホントに自分が目指さなくてはならない自分は
相手としっかり向きあえる人間だったはずなのに。
相手に何もしてあげられなくとも、
ただ話を聞いてあげられるだけの存在にすらなれていない。
ただただ自分の話したいことを話すだけ。
なにも聞こうとしてこなかった。
こんなおれに向き合ってくれた人も、
こんなおれにだれにも話せなかったことを打ち明けてくれた人もいたのに。
なのに、ただ目の前にあるものをしっかりと見ることすらできてない。
すべてのものに自分のバイアスをかけ
見えるはずのものすらも
見えないようにしてきた。
この気持ちはどこかに書いておかないと忘れてしまう。
だから今、書いておきたい。
「国際貢献がしたい」
「世界に出ていきたい」
「自分のプロジェクトを作りたい」
「学生を元気にするイベントを作りたい」
これらはすべて自分の見栄。
見栄をはって、
自分に合わないものを求め、
ただただ上ばかりを見ようとして、
なにも見えていなかった。
ホントは足元にすら何もないのに
なにとも向き合えていないのに
ただただおれは人に夢を語ろうとしてた。
けどその語る夢の中には、
なにもつまっていない。
ホントの夢は詰まっていない。
おれは人よりそれっぽくしゃべるのが得意なのだろう。
だからこそ、俺の発する言葉は、
自分でも気づいていないけれど、
本当の自分の気持ちとは違うのだろう。
ホントのおれは何も持っていない。
なにも人に威張れるような、自慢できるようなものなんてもってない。
人に話をするときに、
自分の環境が恵まれていることは自覚してる、と言ってきた。
でもたぶん本当の意味では自覚できていないのだろう。
これだって実体の伴っていない、
腹落ちしない
ただの言葉。
うわべだけの言葉。
今までの自分は、
覚悟を決めたつもりでも、
一度も己の退路を断ってこなかった。
決まっているようで
決まっていなかったのは
自分の気持ち。
だから、
自分の退路を断つことなんて怖くてできない
決まっているようなふりをして、
なにも決まってない。
退路を断つことがないから、
いつも自分に言い訳の方法をのこしているから、
挫折はない。
心の底から悔しいと思うこともない。
だから今の自分はこんなに小さくて、
大きくなんて絶対なれない。
この文章を書いている間も、
見せるための自分を取り繕おうと、
また背伸びしようとしてる自分がいる。
なにもないのに、
なにかができるような顔をしている自分。
おれはまだ何一つ成し遂げていない、
いや、
まだ何もはじめてすらいない。
人づきあいがうまい?
そんなわけない。
人にしっかりと向き合えている?
向き合えていない。
いつも人から与えられてばかりなのに、
それでももっともっと求めてしまう自分がいる。
いつもいつも自分に嘘ばかりついているおれは、
自分のなりたい自分になれたと思いこんでいた。
けど、ホントはやな部分を布で覆っただけ。
本性は何も変わってない。
見栄や虚栄
さまざまなものが
今の自分にはまとわりついている。
こんな自分の悩みを、
こんな自分のすべてを打ち明けても、
自分の味方をしてくれると信じられる相手がいない。
だから、こんな話を聞いてくれる人がほしいと思った。
話したいと思う相手はいても、
話せない。
話しを聞いて
同情してくれる人がほしいと
思っている自分もいる。
でもそれもまた、自分の見栄。
悩んでいる自分はかっこいい。
そう思わせたいと思っている自分が、
おれの中のどこかに
いる。
結局おれは、
中身のある言葉を
全く話せていない。
だから共鳴してくれる人が、
共振してくれる人が
いないのだろう。
おれは何を追いたくて、
おれは何がしたくて、
この道を歩んでいるのだろう。
自分を見つめられないおれに
何が見えるのだろう。
ただきれいごとを並べるだけ。
こころの叫びはきっと誰かになにかを伝える。
けれど今のおれの言葉に、
そんな力はない。
思っていることを、
しっかりと話せているつもりになっていた自分は、
一体なんなのだろう。
いつまで見栄だけを張り続けるのだろう。
涙は人の心を軽くすると言うけれど、
おれは誰かに涙を流させることは
できていない。
いつかおれは、
誰かの話を聞いて、
その人の心を軽くしてあげられるような、
その人に涙を流させてあげられるような、
そんな人間になりたい。
まずは目の前にいる人から、
自分の手の届く範囲から、
始めていこう。
自分の心を相手にひらき、
相手の心を開く。
そうなれない限り
自分には
人を笑顔になどできない。
だれにも話せなかったような苦しみを、
悲しみを、
打ち明けてもらえるような人間に
なりたい。
これが新しい、
今の自分の、
小さな夢。
けれどきっと
今の自分のどこかには、
誰にも話せなかったことを
話してもらえた、という
優越感を求める部分があるのだろう。
本当にどこまで行っても、
おれは最低の人間だよ。
けど、
一つだけ分かった。
今のおれはそれをどうにか受け入れようとしてる。
今の自分を、
そのまま受け入れられるようになること。
それがすべてのスタートライン。
いまはまだ
なにも見えていない。
2010年2月4日
何も考えずに自分にはでかいことできると思ってこの夢を口にしていた。
けれどおれは今日気づいてしまった。
おれは無力なんだなって
自分が思っていたよりも何倍も何十倍も無力なんだなって
自分の目の前にいる人一人を笑顔にすることさえできないんだなって
自分の目の前の一人すら笑顔にできないような人間がどうして世界を笑顔で埋め尽くすことができるのだろう。
誰かが言っていた。
「目の前の誰かを笑顔にすること、幸せにしたいと願うこと、それが大きな力になり、その思いが世界を変えるのだ」と。
けれど今のおれがしていることは、
すべてのことをうまい言葉で取り繕って
まるでその言葉が本当の自分の言葉のように
自分で自分に嘘をついてきただけ。
自分の気持ちとも向き合わずに
自分を知ろうともしないで。
昨日「その街の子供」っていうドラマを見て
なぜだからわからないけれど涙が出た。
どんな人にだってそれぞれの苦しみ、悲しみがあるんだって
人には言えないけれど、人には言わないけれど
みんな心の中にしまいこんだ気持ちがあるのだと。
おれはべらべらと、
まるで口が生きているかのように、
話す。
でもその話してきたことは
どうでもいいようなことばかりで
自分の人生をしっかりと語ってこなかったことに気づいた。
自分のみたい世界をしっかりと見つめることすらしなくて
いつの間にか自分から逃げてた。
自分のなりたい理想の自分像を勝手に変えてしまっていた。
自分の人生を書いたレポートだって、自分をまげてた
おれは本気で向き合ったつもりだったのに。
そこに書いてあるのは、言葉になっているのは
ただの見せたい自分。
すべて作り物で、すべてが軽い。
ホントの自分が目指していたものは、
ホントに自分が目指さなくてはならない自分は
相手としっかり向きあえる人間だったはずなのに。
相手に何もしてあげられなくとも、
ただ話を聞いてあげられるだけの存在にすらなれていない。
ただただ自分の話したいことを話すだけ。
なにも聞こうとしてこなかった。
こんなおれに向き合ってくれた人も、
こんなおれにだれにも話せなかったことを打ち明けてくれた人もいたのに。
なのに、ただ目の前にあるものをしっかりと見ることすらできてない。
すべてのものに自分のバイアスをかけ
見えるはずのものすらも
見えないようにしてきた。
この気持ちはどこかに書いておかないと忘れてしまう。
だから今、書いておきたい。
「国際貢献がしたい」
「世界に出ていきたい」
「自分のプロジェクトを作りたい」
「学生を元気にするイベントを作りたい」
これらはすべて自分の見栄。
見栄をはって、
自分に合わないものを求め、
ただただ上ばかりを見ようとして、
なにも見えていなかった。
ホントは足元にすら何もないのに
なにとも向き合えていないのに
ただただおれは人に夢を語ろうとしてた。
けどその語る夢の中には、
なにもつまっていない。
ホントの夢は詰まっていない。
おれは人よりそれっぽくしゃべるのが得意なのだろう。
だからこそ、俺の発する言葉は、
自分でも気づいていないけれど、
本当の自分の気持ちとは違うのだろう。
ホントのおれは何も持っていない。
なにも人に威張れるような、自慢できるようなものなんてもってない。
人に話をするときに、
自分の環境が恵まれていることは自覚してる、と言ってきた。
でもたぶん本当の意味では自覚できていないのだろう。
これだって実体の伴っていない、
腹落ちしない
ただの言葉。
うわべだけの言葉。
今までの自分は、
覚悟を決めたつもりでも、
一度も己の退路を断ってこなかった。
決まっているようで
決まっていなかったのは
自分の気持ち。
だから、
自分の退路を断つことなんて怖くてできない
決まっているようなふりをして、
なにも決まってない。
退路を断つことがないから、
いつも自分に言い訳の方法をのこしているから、
挫折はない。
心の底から悔しいと思うこともない。
だから今の自分はこんなに小さくて、
大きくなんて絶対なれない。
この文章を書いている間も、
見せるための自分を取り繕おうと、
また背伸びしようとしてる自分がいる。
なにもないのに、
なにかができるような顔をしている自分。
おれはまだ何一つ成し遂げていない、
いや、
まだ何もはじめてすらいない。
人づきあいがうまい?
そんなわけない。
人にしっかりと向き合えている?
向き合えていない。
いつも人から与えられてばかりなのに、
それでももっともっと求めてしまう自分がいる。
いつもいつも自分に嘘ばかりついているおれは、
自分のなりたい自分になれたと思いこんでいた。
けど、ホントはやな部分を布で覆っただけ。
本性は何も変わってない。
見栄や虚栄
さまざまなものが
今の自分にはまとわりついている。
こんな自分の悩みを、
こんな自分のすべてを打ち明けても、
自分の味方をしてくれると信じられる相手がいない。
だから、こんな話を聞いてくれる人がほしいと思った。
話したいと思う相手はいても、
話せない。
話しを聞いて
同情してくれる人がほしいと
思っている自分もいる。
でもそれもまた、自分の見栄。
悩んでいる自分はかっこいい。
そう思わせたいと思っている自分が、
おれの中のどこかに
いる。
結局おれは、
中身のある言葉を
全く話せていない。
だから共鳴してくれる人が、
共振してくれる人が
いないのだろう。
おれは何を追いたくて、
おれは何がしたくて、
この道を歩んでいるのだろう。
自分を見つめられないおれに
何が見えるのだろう。
ただきれいごとを並べるだけ。
こころの叫びはきっと誰かになにかを伝える。
けれど今のおれの言葉に、
そんな力はない。
思っていることを、
しっかりと話せているつもりになっていた自分は、
一体なんなのだろう。
いつまで見栄だけを張り続けるのだろう。
涙は人の心を軽くすると言うけれど、
おれは誰かに涙を流させることは
できていない。
いつかおれは、
誰かの話を聞いて、
その人の心を軽くしてあげられるような、
その人に涙を流させてあげられるような、
そんな人間になりたい。
まずは目の前にいる人から、
自分の手の届く範囲から、
始めていこう。
自分の心を相手にひらき、
相手の心を開く。
そうなれない限り
自分には
人を笑顔になどできない。
だれにも話せなかったような苦しみを、
悲しみを、
打ち明けてもらえるような人間に
なりたい。
これが新しい、
今の自分の、
小さな夢。
けれどきっと
今の自分のどこかには、
誰にも話せなかったことを
話してもらえた、という
優越感を求める部分があるのだろう。
本当にどこまで行っても、
おれは最低の人間だよ。
けど、
一つだけ分かった。
今のおれはそれをどうにか受け入れようとしてる。
今の自分を、
そのまま受け入れられるようになること。
それがすべてのスタートライン。
いまはまだ
なにも見えていない。
2010年2月4日