私は、電気を消したり、ドアを閉めたり、できない。
いや、たまにやれるので、正確にはできないことが多い、かな。


電気つけっパナシ、ドア開けっパナシ。

私の中に、つけた電気を消す、開けたドアを閉める、というタスクが存在しない事があるのだ。
悪気はない。というか、そもそも意識にのぼらない。
次の行動に移ろうとすると、そうなる。
この前、またトイレの水を流し忘れてた…。



夫は、無意識に自分でつけた電気を消して、自分で開けたドアを閉めているという。
気がついたらやってる、と。


その差は何だろう。


私がつけた電気を夫が消して、私が開けたドアを夫が閉める。
それが夫のタスクになってしまっている。
私がつけた電気を消す事すら、無意識にやっている事があるらしい。



でね、びっくりするのが、それ別にイラッとしないらしいのです。



夫に聞いてみたんです。
イラッとしないの?と。

私の中に、そのタスクが存在しない事があるという事を理解している。
また、電気を消す、ドアを閉めるという事は人によってタイミングが違うと思っている。
自分としては、すぐ消した方がいいと思うけど、タスクが存在しない私にそれを要求するのは難しいだろう、と。
暮らしていく上では、合わせられる方が合わせれば良いので、自分が私のできない事をやれば良い、と思う。

まぁ、私がやれればそれはそれで良いし、私ができるようになった方がそりゃ助かるけど、できなくても別にイラッとはしない。


とのことでした。



うーん、すごいなぁ。
このことだけじゃなくて、他のことでもわりと夫は私ができない事をフォローしてくれるんです。
一歩引いた視点でみて、バランスをとるように動いてくれる。
夫の強み。


たまにね、「旦那がつけた電気を私が消して歩くの、ほんと腹が立つ」という事を、奥さんが言っているのを聞くことがあり…
それ聞くと、あぁいつも申し訳ないなーと我が身を省みる私。


夫は、強みを使って私に貢献してくれているのかなと思う。
それが心の強みにつながっている。
夫が意識しているにしろ、無意識にしろ、私のできない事をフォローしてくれる。
気がつくと、私は感謝する。
本当にありがたいと思う。
では、私が夫に対してできることは何だろうと、いつも思う。
私が夫に対して、貢献することをいつも考える。

夫のすごいところは、貢献が裏返って自己犠牲にならないところ。
自分が我慢してやればいいんでしょ、とならないのだ。
だから、本人もイラッとしないのかなと思う。
だから、私は夫の貢献を気持ちよく受け取れる。


それが、私たち夫婦の感謝と貢献なんだなーと、思う。
夫の貢献は何だろうと、どういう場面でどういう事をしてくれているかを、よく観察しています。
そして、わかった事をなるべくフィードバックするようにしています。


もっともっと、感謝と貢献を高める。
そんな風に、お互い高め合えるパートナーでいたいというか、相手にとってそうありたいと思っています。