今日もご訪問ありがとうございます
心の平和を創造する いのうえちはるです
昨日は「かみさまとのやくそく」って言う、
自主上映の映画を観て来ました
どんな内容かというと・・・
お母さんのお腹の中にいた時の胎内記憶とその前の記憶、
インナーチャイルドをテーマにしたドキュメンタリー映画です。
その中で一番印象的だったのは
こどもはお母さんを喜ばせるために生まれてきた。
お母さんを喜ばせた後に自分の人生を生き始める。
という言葉でした
その時、
「思春期ってお母さんを喜ばせるための人生を卒業して、
自分の人生を生きるための儀式かもしれないな」
って思ったんです
そしてその晩ちょっとした事件が起こりました
お風呂に入って、
「さあ寝ようっと」って思って、
お風呂場の扉を勢いよく閉めた瞬間
いたぁ~~~~~い
右手の親指を思いっきり扉に詰めたんです
親指がつぶれたかと思うくらいの激痛で、
そのまま布団に倒れこみながら、
「痛かったね~痛かったね~」
って痛みに寄り添いながら眠りにつきました
そして、翌朝(今朝)はっきりとした夢をみたんです
なんか権威のある感じの人と、
亡くなった姉と、
何人かの人がカラオケをしていて、
私はその中にあまり入りたくなかったんだけど、
空気を読んで結構明るい歌をチョイスして歌ったんです。
そしたら、その権威のある感じの人が、
「あなた、今はそんな明るい曲歌うのは場違いでしょ」
みたいに怒り出したのを見て、
姉がその権威のある人の味方になって、
「本当に空気読めないよね」
みたいに言ったんです。
それを聞いてめっちゃムカっと来た私が姉に、
「いっつもそういう態度が嫌いやねん」
って言った瞬間目が覚めたんです
朝起きてから、その夢の意味をずっと考えていました。
それで分かったんです
私の本心は「嫌い」じゃなくって、
「私の味方になってくれなくて、見捨てられたみたいで悲しかったんだ」んだって
生前の姉と一緒に仕事をしていた時に、
この感情をしょっちゅう感じていました
でも、実はそれさえも亡くなった母を姉に投影していたという事に気づいたんです
私が物心ついたころから姉は心臓が悪くて、
母は姉の体をいつも気遣っていたので、
どんなに姉が悪いことしても、
いつも私が怒られたり、
我慢していました。
「私は味方になってもらえない。」
「私は見捨てられる」
「でも、それは仕方ないことだ」
そう自分に言い聞かせて生きてきた事を思い出したんです
一番味方になって欲しい人、
母や姉や夫が、
だれが他の人の味方をした時、
瞬時に「見捨てられる」って恐怖から、
「嫌い」って感情にすり替えていたんだって分かったんです
そんな気付きをかみしめつつ、
えほんライブのリハーサルのため、
車で出かけた私の心に、
こんな曲が降って来ました
「泣いてもいいよ」 作詞・作曲:いのうえちはる
いつも相手の気持ちをくんで
いつも私を責めてきた
いつも相手の味方になって
いつも私は一人ぼっち
世界でたった一人
私を救えるのは
私しかいない
泣いてもいいよ
泣いてもいいよ
自分のために 泣いてもいいよ
笑っていいよ
笑っていいよ
自分のために 笑っていいよ
いつも相手に優しくて
いつも私に厳しくて
いつも相手の望みを叶えて
いつも私はあとまわし
世界でたった一人
夢を叶えるのは
私しかいない
泣いてもいいよ
泣いてもいいよ
自分のために 泣いてもいいよ
笑っていいよ
笑っていいよ
自分のために 笑っていいよ
3年前の今日は東北大震災でした。
そのころの私は、
姉の病気が急変して緊急入院し、
初めてのえほんライブを開催した直後で、
いろんな意味で人生の中で一番苦しい時期でした
でも、
「私よりももっと大変な人がいるんだから泣き言は誰にも言えない」
そう思って自分の為には泣く事が出来なかったんです
きっと、この時期東北の方はもちろん、
全国でわたしと同じように感じておられた方が
多かったのではないでしょうか
「自分の味方になって、
自分のために泣いてもいいんだよ」
そう思える方が増えれば増えるほど、
自分にも人にも優しくなって、
心が平和になって、
平和な世界に近づいて行くと信じています
指をつめたところから、
世界平和につながって、
めでたしめでたしでした
最後までお読みただき
ありがとうございました
世界人類が平和でありますように
心の平和を創造する いのうえちはるです
昨日は「かみさまとのやくそく」って言う、
自主上映の映画を観て来ました
どんな内容かというと・・・
お母さんのお腹の中にいた時の胎内記憶とその前の記憶、
インナーチャイルドをテーマにしたドキュメンタリー映画です。
その中で一番印象的だったのは
こどもはお母さんを喜ばせるために生まれてきた。
お母さんを喜ばせた後に自分の人生を生き始める。
という言葉でした
その時、
「思春期ってお母さんを喜ばせるための人生を卒業して、
自分の人生を生きるための儀式かもしれないな」
って思ったんです
そしてその晩ちょっとした事件が起こりました
お風呂に入って、
「さあ寝ようっと」って思って、
お風呂場の扉を勢いよく閉めた瞬間
いたぁ~~~~~い
右手の親指を思いっきり扉に詰めたんです
親指がつぶれたかと思うくらいの激痛で、
そのまま布団に倒れこみながら、
「痛かったね~痛かったね~」
って痛みに寄り添いながら眠りにつきました
そして、翌朝(今朝)はっきりとした夢をみたんです
なんか権威のある感じの人と、
亡くなった姉と、
何人かの人がカラオケをしていて、
私はその中にあまり入りたくなかったんだけど、
空気を読んで結構明るい歌をチョイスして歌ったんです。
そしたら、その権威のある感じの人が、
「あなた、今はそんな明るい曲歌うのは場違いでしょ」
みたいに怒り出したのを見て、
姉がその権威のある人の味方になって、
「本当に空気読めないよね」
みたいに言ったんです。
それを聞いてめっちゃムカっと来た私が姉に、
「いっつもそういう態度が嫌いやねん」
って言った瞬間目が覚めたんです
朝起きてから、その夢の意味をずっと考えていました。
それで分かったんです
私の本心は「嫌い」じゃなくって、
「私の味方になってくれなくて、見捨てられたみたいで悲しかったんだ」んだって
生前の姉と一緒に仕事をしていた時に、
この感情をしょっちゅう感じていました
でも、実はそれさえも亡くなった母を姉に投影していたという事に気づいたんです
私が物心ついたころから姉は心臓が悪くて、
母は姉の体をいつも気遣っていたので、
どんなに姉が悪いことしても、
いつも私が怒られたり、
我慢していました。
「私は味方になってもらえない。」
「私は見捨てられる」
「でも、それは仕方ないことだ」
そう自分に言い聞かせて生きてきた事を思い出したんです
一番味方になって欲しい人、
母や姉や夫が、
だれが他の人の味方をした時、
瞬時に「見捨てられる」って恐怖から、
「嫌い」って感情にすり替えていたんだって分かったんです
そんな気付きをかみしめつつ、
えほんライブのリハーサルのため、
車で出かけた私の心に、
こんな曲が降って来ました
「泣いてもいいよ」 作詞・作曲:いのうえちはる
いつも相手の気持ちをくんで
いつも私を責めてきた
いつも相手の味方になって
いつも私は一人ぼっち
世界でたった一人
私を救えるのは
私しかいない
泣いてもいいよ
泣いてもいいよ
自分のために 泣いてもいいよ
笑っていいよ
笑っていいよ
自分のために 笑っていいよ
いつも相手に優しくて
いつも私に厳しくて
いつも相手の望みを叶えて
いつも私はあとまわし
世界でたった一人
夢を叶えるのは
私しかいない
泣いてもいいよ
泣いてもいいよ
自分のために 泣いてもいいよ
笑っていいよ
笑っていいよ
自分のために 笑っていいよ
3年前の今日は東北大震災でした。
そのころの私は、
姉の病気が急変して緊急入院し、
初めてのえほんライブを開催した直後で、
いろんな意味で人生の中で一番苦しい時期でした
でも、
「私よりももっと大変な人がいるんだから泣き言は誰にも言えない」
そう思って自分の為には泣く事が出来なかったんです
きっと、この時期東北の方はもちろん、
全国でわたしと同じように感じておられた方が
多かったのではないでしょうか
「自分の味方になって、
自分のために泣いてもいいんだよ」
そう思える方が増えれば増えるほど、
自分にも人にも優しくなって、
心が平和になって、
平和な世界に近づいて行くと信じています
指をつめたところから、
世界平和につながって、
めでたしめでたしでした
最後までお読みただき
ありがとうございました
世界人類が平和でありますように