make-a-goalさんのブログ -5ページ目

共通しているのも

 違う言葉で表現されているが、じつは同じものを言い表しているということがあります。


 たとえば宗教では、世界には色々な宗教があり、それぞれの言葉や言い回しで神様を表現し、あがめていますが、実は神様は一人しか存在しておらず、その同じ神様をそれぞれの文化に応じ表現しているため、この世には神様が何人も存在している。ので、みんな同じ神様を信仰しているのだから、宗教間で争うのは無意味、、、という考え方があります。


 人がある物事の感覚的な部分を人に伝えようとするとき、それぞれ違う言葉を使い表します。そのため一見みんな違うものを感じ、それを表現しているかのように勘違いをしてしまう時がありますが、実は同じ感覚を伝えようとしている。そのバラバラな表現の中にも、同じ言葉が出てくる。物事の本質というのは、表現の幅が狭いことが多い。原則、本質とは一言で表現できるからだ。その本質を含んだうえで、その感覚をみんなが違う言葉で表そううとしているのならば、それらのものの共通部分を抽出し、それ以外のところは捨象してしまえば、整理ができ大切な部分が見えてくるということになる。


 思考の中に因数分解を組み込めば、物事の本質を見逃がす可能性が減っていくのだと思います。

歌の役割

 歌でみんなと一つになる・歌を歌ってすっきりする・歌を聴いて落ち着く・歌を聴いて気分を高めるetc...


歌を好きな人がいる。その人たちにとって歌は多かれ少なかれプラスになるからだ。


 歌が嫌いな人も世界にはいる。その人はきっと、歌を聴いてもすっきりしたりなどしないからだ。歌を聴いてもプラスにならない。時間の無駄にしかならないと感じてしまうのだろう。世界にはいろいろな人がいろいろなものを作っている。別に落ち着いたり、気分を高める手段は歌以外にもある。たとえば、絵をかいたり、走ったり、お風呂に入ったり、映画を見たりなどだ。


 歌とは手段である。目的ではない。歌を聞くと落ち着けるのなら歌を聞けばいい。気分が高まるなら聞けばいい。


 歌を聴いても何も感じない人は、歌を聞かないほうがいい。歌を聴いて何も感じないのは全然悪いことではない。歌という手段が合わなかっただけだ。別な方法を考えればよいのだ。


 歌で世界は救えない。何も感じない人もいるし、イライラする人もいる。歌が合わない人もいる。そういう人たちは歌では救えない。その人にあった別の手段を利用しないとダメだ。


 人は一人ひとり違う。みんながみんな歌を好きなわけじゃないのだ。歌は数ある中の一つの手段でしかない。歌に世界を救える力はない。 みんなに元気を与える力などないのだ。












 

望ましい自衛

 個別的自衛権の充実を図ったらどうなるか?


 ガキ大将はなぜいじめられないのか?それは強いからです。やられてもやり返すことができるのです。場合によっては2倍返しなんてこともできます。自分よりも喧嘩が強い奴に挑んでいく奴っていませんよね?いたとしてもまれでしょ。強い奴は自分で自分の身を守るのです。基本的に生き物は自分の身は自分で守るのが当たり前。性別や体格などの条件によってはどんなに頑張っても自分を守れないことがあって、他人に助けてもらったりもしますが、やれるとこまで、自分でやってみるのが原則だと思うのです。


 最初から他人に守ってもらおうとして、自分からは何もせず、高みの見物を決め込んでいる奴は後々だれからも相手にされなくなる確率が高くなると思うのです。最初は助けてくれても、「お前のためにやっているのに、お前は自分のために何もしないじゃないか。お前のためになんでいつも俺だけが危ない目に合わなきゃいけないんだ」となるでしょう?


 自分の身を守りたかったらまずは自分が強くなることが大切です。勉強して知識をためて、体を鍛える。人に嫌なことをされたら、はっきりと嫌だと言ったり、時にはやり返すのもありだと思いますよ。


 周りの人も、「あいつにちょっかい出したらやり返される。下手に手を出さないほうがいい。こっちが損をするかもしれない。あいつとは関わりあわないか、仲良くしておいたほうがいいな」と考えるはず。


 まずは個別的自衛権を充実させましょう。それでも足りない部分を他人や他国にカバーしてもらうのはありだと思いますよ。