なぜ日本人は「清める」ことを大切にするの?
神社へ行くと、
参拝する前に手水舎で手を洗い、口をすすぎます。
お祭りの前には、お祓いをする。
家を建てる前には、地鎮祭をする。
年末になると、大掃除をする。
何か特別なことを始める前に、
身の回りをきれいにしたくなる。
私たちは普段、それほど深く考えずにやっています。
でも、考えてみると不思議ではありませんか。
なぜ日本人は、何かの節目に「清める」のでしょう。
その感覚を考えるヒントが、
古事記にもあります。
黄泉国から帰ったイザナギが、最初にしたこと
前回のお話です。
亡くなったイザナミを追って、
死者の世界である「黄泉国」へ行ったイザナギ。
そこで恐ろしいものを見て、
命からがらこちらの世界へ戻ってきます。
そしてイザナギは言います。
自分は、
「穢れた国へ行ってしまった」
だから、
身体を清めよう。
そこで水に入り、
身体を洗います。
これが古事記に描かれている、
「禊(みそぎ)」
です。
汚れを落とすだけではない
ここでいう「穢れ」は、
単に身体に泥がついている、
という意味だけではありません。
死に触れたことなどによって生じた「穢れ」を、
水によって清める。
そして、
本来の清らかな状態へ戻っていく。
そんな考え方が見えてきます。
しかも古事記では、
イザナギが身体を清めていく中で、
次々と神々が生まれます。
そして最後に、
左目を洗うと、
天照大御神。
右目を洗うと、
月読命。
鼻を洗うと、
須佐之男命。
これまで登場してきた神様たちは、
イザナギが黄泉国から帰り、
身体を清める場面から生まれていたのです。
神社の手水も「清める」
ここで現代へ戻ってみましょう。
神社へ参拝するとき、
いきなり御神前へ行くのではなく、
まず手水舎へ向かいます。
手や口を水で清めてから、
神様の前へ進みます。
「神様の前へ進む前に、まず自分を清める」
という感覚。
古事記の禊を知ったあとで手水を見ると、
少し違って見えてきませんか。
日本人は、いろいろなところで「清める」
私たちの生活を見渡してみると、
「清める」という行為は意外なほどたくさんあります。
神社では手水。
神事ではお祓い。
相撲では塩をまく。
家を建てる前には地鎮祭。
そして年末には、
大掃除。
一度きれいにしてから、新しいものを迎える。
という感覚は、
今の日本人にもどこか馴染み深いものではないでしょうか。
年末の大掃除も、ただの掃除ではなかった
特に面白いのが、
年末の大掃除です。
今では、
「一年間たまった汚れを落として、気持ちよく新年を迎えよう」
という感覚で大掃除をする人が多いと思います。
でも、昔の正月は、
単にカレンダーが12月31日から1月1日に変わるだけの日ではありませんでした。
新しい年に、
年神様を家へお迎えする。
そのために家を清め、準備をする。
その流れの中に「煤払い」があり、
現在の年末の大掃除にもつながっています。
そして古事記には、
大年神(オオトシノカミ)
という神様も登場します。
須佐之男命の子です。
古事記を知ってから日本のお正月を見ると、
これまで何となくやっていたことが、
急に面白くなってきます。
「古事記から生まれた」と考えなくていい
ここは大切なところです。
日本人が古事記を読んで、
「清めることを大切にしよう」
と思うようになったわけではありません。
古事記が成立する以前から、
人々の信仰や祭祀、暮らしがありました。
その世界の中で語られてきた神話が、
古事記にも記されています。
だから、
「この習慣は古事記から生まれました」
と考えるより、
「今の私たちの暮らしの中にある感覚と、古事記の世界には、どこか通じるものがある」
くらいがいいのかもしれません。
古事記は、1300年前の昔話だけではない
古事記を読んでいると、
時々、不思議な感覚になります。
1300年以上前に書かれた物語なのに、
今の生活を見渡すと、
「あれ?」
と思うものがある。
水で清める。
神様を迎える前に掃除をする。
自然の中に神を感じる。
食べ物をいただく前に感謝する。
もちろん、
これらをすべて古事記だけで説明することはできません。
でも古事記を読むと、
私たち日本人が長い間大切にしてきた感覚の一端が見えてくる。
私は、そこも古事記の面白さだと思っています。
神様の名前を全部覚えなくてもいい。
系図を暗記しなくてもいい。
物語を一つ知る。
そして、
日常生活の中で、
「あ、これって古事記の世界と少し似ているな」
と気づく。
それだけでも、
古事記はぐっと身近になります。
古事記の「点」は、
神話の中だけにあるわけではありません。
もしかすると、
私たちの暮らしの中にも、たくさん残っているのかもしれません。
次回は、再び物語へ戻ります。
今回登場した天照大御神、月読命、須佐之男命。
イザナギから生まれた三柱の神様のうち、
なぜか月読命だけ、
あまり名前を聞かないと思いませんか?
「月読命って、いったい何をした神様なの?」
古事記の中でも、ちょっと不思議な神様を見てみましょう。
