前回のブログでは、「フラワーエッセンス」は、ハワイの伝統文化にはなく、ハワイの植物を使っているものの、英国のエドワード・バッチ博士の理念に基づいて作られたものだったというお話をしました
私もハワイに移り住んだ時は、「自然豊かなハワイにも「フラワーエッセンス」を作るハワイ独自の文化や伝統があるかもしれない!」と期待していたので、存在しないことを知って、少し驚きでした
でも、古代ハワイアンの植物療法の先生や、ネイティブハワイアンの先生方の元で、ハワイの植物療法を学び始めると、ネイティブハワイアンの人たちが「フラワーエッセンス」を作らなかった理由やその背景が段々と見えてきました
ハワイでは、ハワイ王国最後の国王、リリウオカラニ女王が国王になった、1891年〜1900年代は、ハワイ王国にとって、変化の大きな時期でした。
当時、多くの外国人が、ビジネスチャンスを見込んで、ハワイ諸島を始めとする太平洋の島々にやってきました。ネイティブハワイアンの人々のサトウキビやパイナップル畑は、西洋人が経営するようになりました。さらに、ネイティブハワイアンの人々は、観光客の宿泊ホテル建設のために、ワイキキに広がっていたタロイモ畑を手放さなくてはならなくなりました。
そして、外国人によって、観光地ハワイ、楽園・ハワイのイメージが一方的に作られ、ネイティブハワイアンの人々の公用語であるハワイ語は、外国人の『ハワイビジネス』の広告や宣伝、会社名に使われるようになったのです。
そのような動きは、ハワイの伝統文化にも影響を与え始めました
ハワイの自然に魅了された外国人の中には、ハワイの植物を利用して、ビジネスができないかと考える人も多くいました。そして、ネイティブハワイアンの人々が古代から代々伝承している”ハワイアンヒーリング”に目を付けたのです。
ハワイ好きな観光客を引き寄せるため、”古代ハワイアンヒーリング”という名前や、その表向きの形だけ利用されることも多く、本来の形を失った『ハワイビジネス』が増えていきました。
この風潮は、現在も変わっていない。
ネイティブハワイアンの人たちやハワイの植物療法の先生方は口を揃えて言います。
「古代ハワイアンヒーリングやハワイの植物療法をほとんど学ばずに、その名前だけで『ハワイビジネス』をしている人たちは、「ハワイの植物の使い方、レシピやレメディが欲しいだけ」で、それさえ手に入れば、その他のことはどうでもよいのだ。」
「そこには、本来ハワイの植物が持つ神聖なパワーManaマナはない。」
「とにかく、”古代ハワイのヒーリング”ではない。」と、声を荒げます。
しかし、そんなネイティブハワイアンの人たちがいても、どうしても”ハワイ”を使ってビジネスがしたい外国人は、その手を止めることはなかったのです。
続きは、次回お話します