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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

『消化できない現実』の前では、僕の筆は先に進むことができなかった。

僕が最初に書き始めた「小説」呼べる作品は2010年の6月にアメブロで書き始めた
『蟲~小学5年の悪夢』というホラーものだった。

勤めていた会社が事実上倒産し、『消化した現実』ともいうべき事後処理に追われながらも決して毎日が忙しいわけでもなく、ブログに思うことをつらつらと書いているうちに、その作品は生まれた。

アイデアそのものはおそらく中学生くらいのころからあったのだけれど、当時の僕にはそれをまとめる力はなかった。

普段から本も新聞も雑誌すらも読まない僕が、本を書けるはずもない。

それがいつのころからか、文章を書くことは面白いと思うようになっていた。音楽雑誌に好きなアーチストのレビューを書いて投稿したり、卒業アルバムのクラス紹介の文章を書いたりもした。

SFラジオドラマ、70年代、80年代の映画やアニメや特撮は、僕の根っこのところに何かを刻んだし、好きなアーチストや楽曲の魅力をどうやったら多くの人に伝えることができるかというについて、いろいろと試行錯誤をした時期もあった。

僕は音楽に強く魅了され、自分で演奏したり、曲を書いたり、デモテープを作ったりとそんなことに明け暮れるようになったけど、はたしてそれが、メシの種になるものだとは、これっぽっちも思わなかったし、思うこともできなかった。

『消化できない現実』の前では、僕はなすすべもなく、食うためにやることと生き甲斐は、必ずしも一致する必要はないのだという折り合いをつけて、社会に出た。

その後、いろいろあったけれど、僕は仕事の中で文章を書くという機会に恵まれた。
それは僕が思ったり、考えたりしたことではなく、誰かに依頼され、誰かが誰かに言いたいことを代筆する作業がほとんどだった。支払いの催促や遅延の侘び、権利の許諾や機密の保持。

『消化できた現実』を言葉にすることは難しい作業ではなかった。

もうひとつ、僕という、めけめけというキャラクターを形成する上で重要な要素として『そのことを忘れない』というものがある。
それは『心に残る』というよりは『心に引っかかる』という表現がふさわしい。言い換えれば
『消化できない現実』であり、先に述べた『消化できない現実』が抗うことのできない『外側の現実』であるとするのであれば、この『消化できない現実』は『内側の現実』といえる。

僕は幼少のころから『消化できない内側の現実』をずっと抱えながら生きてきた。それは『外側の現実』と折り合いをつけてきたことと比べれば、折り合いをつけることを許さない『かたくなな態度』であり、その二面性を持って僕は僕たりえてきた。

『消化できない外側の現実』の前では、僕の筆は先に進むことができない。僕はそれを知っている。

でもだから、だからこそ、2013年は消化できなかったのだから、2014年はひとつでも多く消化できるはずだ。

僕がこれまで書いてきた作品に流れるテーマ。『消化できなかった内側の現実』は、『蟲~小学5年の悪夢』に描かれた「罪悪感」であったり、『傘がない』の登場人物の『病的な拘り』だったり、『新約・カチカチ山』のような『物語の納得性の欠如』だったり、『最後の晩餐~土曜日のタマネギ』のような『盲目の恋愛』だったりする。

今年は現在連載中の『朔夜~月のないように』の時代背景である『魔女狩り』や『外法』に描かれる『道から外れた道も、また道である』、『夢追い人~別の夢、別の夜』の『色つきの夢と白黒の夢』といった『消化できない内側の現実』をしっかりと書き終えたい。

今年は書きます
この『ジェヴォーダンの獣』は2001年公開されたフランス映画です

見なきゃ見なきゃと思いつつ、138分というのはいささか長いなぁとか、フランス映画というところで、後回しにしていました

この『ジェヴォーダンの獣』とは実際にフランスでおきた事件です
1764年から1767年にかけマルジェリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った謎の獣

被害者は女性や子供が多かった
当時の資料では198回襲撃がされ、死者は88人、負傷者は36人だったとされているものもある

この事件の興味深いところは、フランス王ルイ15世がこの事件に興味を持ち、実際に懸賞金をかけたこと

これによりしっかりと歴史に残る事件となるわけですが、この事件の顛末は謎に包まれています。


オオカミ狩り専門家ジャン=シャルル・ダンヌヴァルと息子ジャン=フランソワが狼狩りをするも、事件は収まる気配がない

そこで軍人のランソワ・アントワーヌ中尉と交代させられ、彼は体長1.7メートル、体高80センチ、体重60キロの巨大な灰色のオオカミを仕留めた。

これは実際に剥製として今も残っています

しかし1765年12月2日また事件は起きる

ここにジャン・シャストルという人物が現れる
1767年6月19日、地元の猟師ジャン・シャストルは、獣を殺しその後襲撃事件は起きなくなった。

問題はこの殺した方法である
ジャンは狩りをするのに聖書を座って読み、祈りをささげると目の前に獣が現れたという
獣はなぜかジャンが聖書を読み終わるまで待ち、その後撃ち殺されたとか・・・

ジャンが仕留めたという獣は狼ではなくアフリカから持ち込まれたハイエナであったというのも後にこの話が都市伝説化する要因になっている


映画では、獣が生物学的に何であったかについては触れていない
しかし、人の手によって、この世のものとは思えない容姿をさせられたとしている

この映画の評価はまぁ、賛否両論なのですが
尺が長い
アクションの好き嫌い
アクションの表現としてのスロー再生の好き嫌い
俳優陣の演技及び配役の好評価
怪物のギミックの稚拙さ
フランス映画らしい猟奇さの物足りなさ
18世紀フランスの衣装やセットの好評価

とこのあたりで意見が集約されます

僕は怪物のギミックの稚拙さをむしろ意図的な妥協案ととらえて見ることができましたし、
アクションも正直「不要だなぁ」と思いながらも、この作品を作るに当たっては制作者側の
強い要望があった可能性を容易に想像できます

結果的にアクションシーンを「何分は入れないといけない」という事情から尺が長くなったのかなぁなどと
かなりクリストフ・ガンズ監督に対して好意的に見ています

ネクロノミカン Necronomicon (1993)
クライング・フリーマン Crying Freeman (1995)
ジェヴォーダンの獣 Le pacte des loups (2001)
サイレントヒル Silent Hill (2006)

この監督の経歴を見ると・・・
もしかしたら夢枕獏の『キマイラ』あたりの監督をすると案外傑作を生み出すかも?

ジェヴォーダンの獣 ― スタンダード・エディション [DVD]/日活

¥3,990
Amazon.co.jp

音声合成ソフトで小説を朗読させる番組を不定期でやっております





使用曲
カラザ/山作戰
素粒子/ユレルultra-structure
黙示録/はらぺこ
蝉/パキラ
juda / Feelaround
Moment Of Nosthing /種岡康裕

物語
短編集『週末、公園のベンチにて』より
もしもUMAが部屋にいたらパート1~2
http://ncode.syosetu.com/n1200u/
例の手紙の件から、いろいろ考えることがある

あって、それを発言することに関しては、僕はずっと慎重でいた

原発やオスプレイの『問題』に関して発言することと、僕の政治的立場は必ずしも一致するものではない

昨日、正しいと思ったことが、今日も正しいとは限らないし、明日には新しい事実をもとに考え方を替えなければならないかもしれない


でも、それでもこれはきっと真理だと思うことを書けば

それぞれ賛成派と反対派がいる
或いは推進派と廃止派がいる

でも、よくみれば、そうではない

推進派に反発する 推進反対派と
廃止派に反発する 廃止反対派がいる

いや、むしろ 世の中に声を上げている人たちは、ほとんどがこのどちらかではないのか?

『核燃料を使わずにエネルギーを確保できるならそれがいいに決まっている
しかし、コストや競争力、CO2など考えると、今は核燃料を使うべし』

これは廃止を肯定しながらも、推進する側に立つ『立ち位置』

この立ち位置から見える物はきっとこうです

『現実を直視せずに ただ ただ反対と言っている人間と自分が一緒に思われるのは御免だ』

同じことは、逆側にも発生するだろう
そしてこれはありとあらゆる場面で同じだ


さらに
『核燃料を使わずにエネルギーを確保できるならそれがいいに決まっている
しかし、コストや競争力、CO2など考えると、今は核燃料を使うべし』

の反対

『なぜ、そこまで競争に勝たなければならない。今より生活の利便性が損なわれることに何をそんなに恐れなければならないのだ』

こうなるともう、議論にならない

『そんな奴はどっかに行ってしまえ』
の一言で一蹴することは簡単だ

ギスギスする

ギスギスだけして、何も残らない


だから 人は口を閉ざす


この状況はしかも 誰も望んでいないように見えて、日本という国がここまで成長してきた過程で培ってきた『ダムの建設』にまつわるいろいろと同じである


誰が得をするのか 誰がそんな役回りを押し付けられるのか

僕は考えることをやめない

未来につながる現在がある
現在につながる過去がある
そこには『今を知る』ことにどれだけ意味があるのかを考えるヒントがある

もう一度言う

『昨日、正しいと思ったことが、今日も正しいとは限らないし、明日には新しい事実をもとに考え方を替えなければならないかもしれない』

現実を直視することは、ここに至る過去と、ここから進むべき未来と
どれも比重は同じでなければならない

過去に縛られても
現実に妥協しても
未来に期待しても

答えは得られないのだと 僕は思う


『これでいいのだ』

につながる道を考え続ける
でも、その答えを見つけるのは 僕である必要はないことも知っている
知っていて、それでもなお、考え続ける

そういう人たちが増えることを僕は望む
小説のネタをじっと机の上で考えることは少ない
皆無

読み直して修正なんかはもう、机と格闘という感じなのだけれど

ネタの神様は机の上にはめったに降りてこない

確率的には通勤、それも朝が多い
とてもとてもフラットなぼーっとした状態で歩いていると、頭の中で急に映画やドラマが始まったり、或いは本をめくって読んでいるような状態になる

今朝はこんなネタが思い浮かんだ

最初は
「残念だよ。君とは友達にはなれない」というセリフ

鳴け叫び許しを請う男

表情一つ変えず引金を引く男

銃声

その場から立ち去る男

ここでナレーション
「誰も彼を知らない
だが、どこにでもいる
しかし、決してその男を友達に誘ってはいけない」


そこで面白いと思った僕は、このシチュエーションが活かせるいろんな設定を考え出す→妄想モード

友達の条件を毎回言い、それに背いた相手を殺す

たとえば
・嘘で相手を傷つけてはいけない、その友達でもいけない
・貸し借りを勘定してはいけない
・責任を押し付けない
・義務を押し付けない
・特別扱いを求めてはいけない


自分からは誘わない

殺される相手はいわゆる「こんな知り合いがいる」「友達がいる」系の
ありそうでない人物設定

または様々な職業
政治家、医者、弁護士、金貸し、警察官・・・
一見、友達にしておくと便利そうな人たち

究極的には
占い師、陰陽師、超能力者、手品師、宇宙人、未来人、アンドロイド、幽霊もあり

主人公は特殊な能力を持ち、高度な知識を持ち、特別な権限を持っている謎の男


さて、実際これを書き始めたらどうなるかな
この妄想している時間が僕は大好きなんです