文化系寄り道倶楽部 -50ページ目

文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

ほとんど開かずの間と化していた押入れ

あることがきっかけで大掃除というか、探し物というか・・・


出てくるは出てくるは

ゴミ、そして宝物

ゴミはまぁ、そのとき捨てるかどうか、判断が付かなかった書類関係が多いんだけど、そういうものは一気に捨ててしまいました。

そして宝物

それはたとえば楽器関係

楽器というか、録音機材だったり、その周辺機器だったり、書類だったり

学生の頃、カセットテープに自分の作った曲を録音した機器とスコア
で、あれ?テープはどこにある?

て、ことになって、さらにいろんなところに収納というか、捨てるかどうか迷っていたものをいろんなところから出してきた

うわ~、こんなの音でるのかな?

いや~、アナログって素晴らしい!

ちゃんと音が出るじゃありませんか

まぁ、一部カセットテープはカビが生えてましたけどね

そんなの、ちょこちょこっとふき取ってやると、案外大丈夫なものです

$文化系寄り道倶楽部



いや~、まさに青春の血と汗と涙が詰まっているのですよw

で、今は思い出にしっかり浸りつつも、さて、どうやってこれをデジタルに保管するかを思案中

といっても、技術的には簡単なんですけどね

こんなこともあろうかと!

アナログ音源をUSB接続でPCに取り込むことができる機材を以前購入しまして

creative SOUNDBLASTER
http://jp.creative.com/products/product.asp?category=1&subcategory=876&product=10246

もともとはアナログレコードをPCに取り込もうと思い購入したんですが、数枚試してすっかり面倒になってしまいましたw

さて、アナログレコードやカセットテープをそのままPCに取り込むのは時間さえあればまったく機械的にできるのですが、MTR(マルチトラックレコーディング)で録音したテープとなるとそうは簡単ではないんです。

つまり・・・えーと、カセットテープがどんな仕組みになっているかを説明しないとですね

カセットテープの音楽録音って、通常A面とB面にできますよね(この時点で付いて来れない人はごめんなさい)

つまり一つのテープ約4ミリの幅をA面2ミリ B面2ミリに分けて使うわけです
そしてこのA面2ミリも右と左の音に分かれますのでA面の1ミリが右(R)もう1ミリが左(L)となるわけです

つまり4ミリのテープをA面のLR、B面のLRの4トラック使うわけですね

この4トラックをたとえば
トラック1 ドラム
トラック2 ベース
トラック3 ギター
トラック4 ボーカル

みたいにそれぞれ別の楽器を録音することをマルチトラックレコーディングと言います


話をすっ飛ばすと、現在ではこれをハードディスクでデジタルトラックレコーディングするわけですね


でも、80年代とかはまだまだそういう環境はプロユースでした
プロでもテープでやっていた時代です

で、この機械の面白いところはこの4トラックをMIXできるところ

たとえば、上のやり方だと、ギターをもう一本とか、キーボードとか録音できませんよね
そこで、こんなことができます


トラック1 ドラム
トラック2 ベース
トラック3 ギター(リズムギター)
をそれぞれ録音した後

トラック4へまとめ録音(MIX)

するとトラック4は ドラム、ベース、リズムギターが一緒になったトラックができます
すると最初に使ったトラック1~3は別の楽器を録音できます

トラック1 ボーカル
トラック2 リードギター
トラック3 キーボード
トラック4 ドラム、ベース、リズムギター

この方法を繰り返すとですね、まぁ、音質は多少下がりますが、それなりに分厚い演奏ができ、しかもトラックは何度も録音の取り直しが可能なので、リードギターやボーカルを気に入った録音(テイク)が取れるまで繰り返し何度も部分的に録音することが可能です



あー、ちょっとかなり本題からは離れて気がしますがw

つまり、何が問題かと言うと、テープからPCにマルチトラックの状態で移すことを考えると、いろいろとソフトやら機材やらという話に・・・

そして、そうでなくミックスダウン(各トラックのバランスを取った最終リリース状態)するのであれば、それぞれの音量、音質、定位(左右のバランス)を取らないといけないわけです

あー、考えただけでもどれだけ時間がかかる作業なのか・・・


楽しくて仕方ありませんw
トラウマ映画「サンタリア 魔界怨霊」


この邦題はかなりB級ホラー映画臭がプンプンするが、内容はかなり辛らつで恐ろしい

救いのない終わり方というのは70年代のアメリカン・ニュー・シネマの特徴であるが、まさにそんな作品だ。まったく予備知識がなく、深夜にテレビを回していて目に留まった映画だったと記憶している

しかし本当に後味の悪い映画だ
この作品が作られた時代背景を考えるとなるほどというところなのだが、カルト的宗教団体とアメリカ社会、そして人間性を見事にえぐっている

テーマは「呪術」
自らの身内を生贄として捧げることで大いなる幸福を得られるというもの
つまり、小さな犠牲でみんなが幸せになれるという社会的な風刺と、そこにゆれる人間の心理を「呪術」というホラー、そして当時話題になっていたカルト、そしてそこに結びつく政治的な欲望

呪術のホラー的要素は実に見事に描かれている
たとえばヘビの呪いをかけられると、その人間は急に腹痛を訴え、悶絶して絶命する
解剖するとお腹の中から複数の毒蛇が・・・

毒虫ののろいは体中にサソリやムカデといった毒虫が・・・呪術をかけられたものはその痛みに耐え切れず銃を取って自らの命を絶つ

スプラッタなんかよりもはるかにショッキングだ
呪術の恐怖に対する想像力を極限まで高めてくれる


ふと、そのことを思い出したのは、「腹の虫が収まらない」ってそのまま想像すると怖いよね

という他愛もないつぶやきだったんですが、映画のキーワードでやっとタイトルがわかり、監督を調べたらなるほど、この監督ならこういう映画を撮るよなと


ジョン・シュレシンジャー監督(1923-2003)
「真夜中のカーボーイ」という作品でアカデミー監督賞を受賞している。
アメリカン・ニューシネマの代表的な監督で他には「マラソンマン」「イナゴの日」など娯楽ではなく内面的な恐怖や社会風刺を得意としている監督だ




マラソンとは・・・

アテナイの将ミルティアデスがペルシアの大軍を撃破してアテナイはペルシアに勝利し、一人の兵士がマラトンからアテナイに戦勝の報告を走って持ち帰り、そこで息絶えたというという古代ギリシャの伝説に基づいて始まった陸上競技


なんかロマンがありますよね

マラソンと言えばこの曲です!
カナダのスーパートリオ Rush!

1985年にリリースした「POWER WINDOWS」に収録の曲

この曲の魅力はなんと言ってもGeddy Lee のベースプレイだ

なんとかっこいいリフなんだろう!
そしてまさにRushの真骨頂ともいえるGeddy Leeのマルチプレイヤーぶり
ベース、ヴォカール、キーボードと一人三役を完全にこなしている

Alex Lifesonのギターソロもいい

プレイパートとシーケンスプレイの見事な融合。とても3人で演奏しているとは思えない厚み






どれほど速く走れるかということではなく
流れに入っていく力なんだ
リズムを取り戻すことができたら
熱くなった心も少し落ち着くだろう
  ただ生き残るということだけでなく
  ただ一瞬のひらめきだけでなく
  ただ点線をつなぐことだけでなく
  ただ、突進するよりもっと

それは究極の意思を試すもの
苦闘しながら登る心臓破りの坂
ペースを取り戻さなければ
もしレースに残りたいのなら
  やみくもな野心よりもっと
  単純な欲望だけでなく
  ゴールラインがあるそれ以上に
  激しい要求を満たさなければ
結局、最後には‥‥

始まりから終わりまで
決してピークを過ぎることはない
何かがいつも君に火をつけ
その光を目の中に燃え立たせる
一瞬の高まり
ひととき、浴びせられる賞賛
夏の空にひらめいて消える
一筋の稲妻のように

君のメーターは過負荷になっているかもしれない
(そんな時は)ロードサイドで休んでもいい
調子が出ないことだって、あるだろう
でも、誰もただ乗りはできない
  よい成績を残すこと以上に
  ただ一つのひらめきよりもっと
  最終結果だけということではなく
  暗闇の中で運良く的を当てる、ただそれだけではなく──
結局、長い目で見れば──

人生、いろいろなことができるだろう
あまりに早く燃え尽きたりしなければ 
きっと最後まで、やりぬくことが出きる
まず、忍耐を身につけること
そして、たゆまず続けること‥‥

訳詞 Weave the Words 引用
参照http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/rush/powlic.html#MARATHON
『夢追い人』第2章 またまた久しぶりの更新です。


今回の作品は『夢』を題材にしている以上、登場人物の精神世界に深く立ち入る必要があります。
学問としては心理学の分野、フロイト、ユングといった心理学の基礎を構築した学者についていろいろと調べたりしています。また、その一方で精神の病からくる身体への変調というのも取り上げる必要があるかと思い、こちらも現在いろいろと調べております。

いやぁ、奥が深い

心理学を研究している間はあまり気付かなかったのですが、いざ身体的変調をきたしている具体的な病気を物語の題材として扱うに当たり、実際にその病に苦しんでいる人のことをふと考え、書き進める手が止まりました。

 はたして、書いてよいのだろうか?

そこは書き手が自らの責任において背負わなければ生らないものであるのだろう。
と、そういう結論に至り、後は自分の中のガイドラインをどうも受けるか、そしてどのくらいの頻度でその機軸を見直し、更新するか。まさしくリスクマネイジメントの世界ですね。

ですので、いずれこの物語で扱われた病気については、その内容を紹介する記事を書こうと思ってます

さて、物語は夕子の精神世界が異常をきたしてゆく過程を描いております。
しかし、彼女の内面だけにスポットをあてるだけでは、どこか妄想の世界をさまようだけのような気がするので、退避として、ミサコというキャラクターを案内役に選びました。

ミサコとはいったいどんな女性なのでしょうか?
どこにでもいる、しっかりものの、かわいらしい女性
この抽象的なキャラ設定がどこまで具現化できるかが、大きな課題かなぁと……

つまり普通を普通として描くことができれば、より非日常が際立つはずである
さて、今回の日常の境界線はいったいどこにあるんでしょうか?


『第2章③ モノクロの空間』


 帰り際に不意にミサコから声をかけられる。
「ねぇ、夕子、今日このあと時間取れない?」
 わたしのスケジュールは毎週びっしり埋まっている「帰宅」という文字で。
「別に、あとは帰るだけだけど……」
「よかったらたまにはご飯でも一緒に食べに行かない?ほら、ここ」
 そういってミサコがカバンから取り出したのは一枚のチラシだった。

『多国籍料理店 Disco coloratus 本日オープン』

「ほら、あのマズイイタリアンレストランあったでしょう?あそこが改装して新しくお店ができたみたいなの。一応どんな店かチェックしておかないとね」

 全く気が向かなかったが、でも、だからこそ、わたしは行くことに決めた。少し気分を……鬱に落ちっていくようなスパイラルを止めたいと思った。

「うん、いいよ。すぐ支度するから、5分だけ……10分だけ待って」
 ミサコはうれしそうにしていた。何がそんなにうれしいのか?どうせわたしには会社帰りの予定なんてないことは御見通しだったくせに、本当にかわいい顔して抜け目がない。あー、なんで自分はこんな風に考えてしまうのだろう?わたし、根が暗いのね。ミサコみたいにはなれないし、なりたいとも、思わないんだから、思わないんだから、思ってなんか、いない。

 わたしは支度をするのに5分、心の準備をするのに3分かけて、ミサコと合流した。いつも帰るときに使う地下鉄の駅の出口を少し過ぎていったところにその店はあった。店の前では背のすらっとしたシックな白と黒で決めたイケメンがチラシを配っていた。

「Disco coloratus(色鮮やかな料理)だけど店員はモノクロなのね」
 わたしがそう思う前にミサコが口にした。ミサコも店の名前の意味を調べていたらしい。本当に、抜け目のない子だ。

 店内の明かりはやや薄暗く、テーブルや椅子はその照明のおかげで派手な色もシックにまとまって見える。間接照明の使い方がこなれているといった印象だが、わたしは好きではなかった。
「へぇ~、これ前にここで使っていたテーブルと椅子だけど、照明かえるだけで全然雰囲気変わるんだねぇ。さて、料理のほうはどうかな」
 ミサコはまるで土曜の昼間のテレビでグルメ取材をしえいる女性タレントのようだった。わたしが思うに、むしろミサコのほうがこなれているかも知れないと思うほどだ。

「とりあえずは、ビールにする?ほら、ビールもいろいろあるよ。『SINGHA』ってシンって言うんだっけ?ワタシはこれにしようかな」
 そういえばミサコは何度かタイに旅行に行ってるって言ってたかな。
「わたしも同じものでいいよ」
 いつもと同じ。そう、わたしは体外なんでも飲める。でもあまり酔ったことはない。無駄にアルコールに強いから、楽しい気分にもならないし、やけになったりもしない。まして楽しいフリも、泣きまねもできやしないわ。

「かんぱーい!」
 何に乾杯するのかはわからないけど、そんなことどうだっていい。わたしはすでに帰りたくなっていた。この場所は、好きじゃない。どんな色彩もすべてモノトーンに溶け込んでしまうようなこの空間には……

「おいしいねぇ。日本のビールはこう、のどに痛い感じがしてさぁ。男の人はあの喉越しってやつがいいみたいだけどね」
 あれ?おかしい。確かに喉越しのまろやかな感覚はわたしの喉にも心地よい。だけど、口に入れたときの舌触りに何か違和感を感じる。御通しとして出されたもやしを何かのソースで絡めて物を口にしても、繊維質が口の中で裁断されていく感覚はあるけど、そのほかは…・・・ない、あるべきものがない。いや、もしかしたら最初からない?ミサコはなにも言わずに御通しをつまみながらメニューを眺めている。味わう様子もなく、しかし不味いものを食べたときの表情でもない。

「ねぇ、どれにする。いろいろあるわよ」
「ミサコは何か食べたいものあるの?」
「うん、ワタシはこれっと、これっと、それから、あー、このサラダもおいしそうじゃない」
「うん、じゃぁ、それにあと、この中華風のピリ辛前菜を頼まない?」
「あ、それもおいしそうね。じゃ、店員さん呼ぶね。さてどんなイケメンがくるかな?」

 わたしにはどうでもよかった。イケメンもおしゃれな店の佇まいも。それより何より、少しでも色鮮やかな世界を堪能したい。そして、わたしに起きていることを確認しなければ。もしかしたらわたし、色だけじゃなくて、他のものも失ってしまったのかもしれない。味覚という感覚を…… 



つづく