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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

ここで作品以外のことを書くのは久しいけど、これは一つの仮説というか提案というか

最近、よく耳にする言葉で「みんな死ねばいい」
というのがある

小生はサッカーが好きで、大好きなサッカーではあるけれども、ネットにおいてはサッカーに関するニュースは見ても掲示板のようなサイトにはほとんど出入りしない

本当にいやだから

何が嫌かといえば、サッカーについて熱く語ろうとする思いは同じでも、もっとも重要な部分が共感できない

もっとも重要なところとはなにか?

それは「アレを持っているかどうか?」

そのアレについて説明したいと思う




「みんな死ねばいい」という言葉を使うとき、どのような心境なのか?
「みんな」という言葉が「自分と価値観を共有できない多数」とするのであれば、人類は滅びるしかない。
しかし「みんな仲良くしよう」という先にも、やはり人類は滅びるしかないと感じるのは、はたして矛盾なのだろうか?

つまり「みんな死ねばいい」とは相手を変えることもしないし、自分も変えないという態度であり、
『思考停止』、『行動停止』を意味する。

逆に「みんな仲良くしよう」も実は同じ行動原理だという考え方なのだが、「死ねばいい」は見た目に気分が悪く、耳障りで、「仲良くしよう」は稚拙で懐疑的なだけの違い


これは小生が、欧州での移籍市場にあらたなグループ「ソーシャルネットワークで暴言を吐いた選手」が上げられていたことを記事で読み、すっかり情けなくなってつぶやいた言葉だ

人間社会において、摩擦は大前提である
身近な兄弟や親、恋人同士だってけんかをするのは当たり前で、しかも「喧嘩するほど仲がいい」とは昔からよく使われた言葉である

「喧嘩するほど仲がいい」とはどういうことなのか
意見の主張がお互いに食い違って、時には言い争いも殴り合いの喧嘩もするけど、互いに相手を認め、相手の、どうしても悪いところは直してもらおう。或いは自分のどうしても受け入れてもらえない主張は、何かしらの条件、表現方法を変えて何とか実現しようとする相互の関係によって、相手に対して、そして自分自身に対する理解力を深める行為に他ならない


つまり人は争うことで、より強い相互理解と自己理解をすることができ、それはまさに個人と共に成長すべき社会的成長といえる

「みんな死ねばいい」も「みんな仲良くしよう」もこれらの相互理解、自己理解、社会的成長を自ら放棄する言葉であり、人の尊厳に対する冒涜であり、自らの魂に対する恥ずべき行為である

この言葉に類似しているようで、まったく違う言葉にこういうのがある




「お前、いっぺん死んで来いよ!」と「争うだけじゃ何も生まれないよ!」

である

「お前、いっぺん死んで来いよ!」は相手に今までの主張とそれに伴う志向的構築をいったん放棄して、ゼロから議論を再開しようというもので、「死ね」といいながら「いっぺん~して来いよ」の表現の中に相手が出直すことを期待する言葉になっている。つまり議論に熱くなった相手に頭を冷やして来いという意味で使うのであって、死んだままでいいとは言っていない。いなくなれとは言っていないのだ

「争うだけじゃ何も生まれないよ!」はうーん、いやもう少しうまい言葉があるはずなんだが思い浮かばんw
「争うだけ」という「争い」を否定するのではなく、争うことが目的ではないだろうという意味がある。そして「何も生まれない」の中にはどんあに争っても、それは何かを生むという建設的なことをする為に手段として「争い」を用いると言っているのである


さて、つまり「アレ」とは何か?
ときにそれは「謙虚さ」という言葉で言い表すこともあるし、「節度を持つ」という言い方もある

論理的思考に基づいた感覚的均衡

その対極にあるのが感情的思考に基づいた感覚的偏執

だから、そう、「アレ」は「アレ」である

超自我・自我・エス

その次に来るものが「アレ」である
『敗北論』というのはタイトルを見ただけでも、興味を惹かれてしまう

山作戦とは何者か?

普通、少しばかりかでもアーチストに関するうんちくを並べるべきなんでしょうが、ここはひとつ、じっくり曲を聞いていただきたい。いや、感じていただきたい。いや、聞き入っていただきたい


敗北論

これほどに歌詞が心の中に入ってくるアーチストは久しく聴いていない気がする
そもそもこの「敗北論」という一見ネガティブなテーマであるが、

メインフレーズの
「あなたになら 負けてもいい~」
という言葉には、敗北という言葉とは裏腹に非常に力強いもの感じずに入られない

むかし「負けるが勝ち」ということばをよく耳にした
どういう意味だかわからないけど、案外と子供の頃は状況に即した使い方をできていたように思える

先日、見かけたtwitterのつぶやきで面白いものをみつけた
そのテーマにおいて、その人と議論をし、最終的に勝つことは可能だと思う
しかし、そのためにはあまりに失うもの、リスク、カロリーが高すぎる
ぎりぎりの勝利、しかも望んでいないような形の勝利であれば、相手に勝ちを譲ってしまったほうがはるかに優位である

と、まぁ、要約するとそんな内容になる

子供の頃の兄弟げんかなんかはまさにそうで、兄と弟の喧嘩の場合、兄はたとえ喧嘩で勝ったとしても、あとで親に叱られるのは自分である。「負けるが勝ちか・・・」そんなことを思いながら、よく弟に譲ったことがあった。

でも、今は、どうだろうか?

そこで、自分なりに『敗北論』を解釈してみた


歌詞の冒頭

「何かに負けると その何かが 僕に影を落とすから~」

 誰でも負けると悔しいし、それは必ずしもプラスのエネルギーに転換できるものではない。
 フロイト、ユングと並ぶ心理学者アドラーは劣等感や権力への欲が人の行動を左右すると唱えたが、 (少々乱暴な言い方)ときに敗北感は人間の心に影を落とす

「~負けずにいようと 強くあろうと うまくやりくりを続けている」

 人の営みとは結局、栄光の勝利に向かっているのではなく、負ける惨めさから逃れようとしてい
 るだけなのかもしれない。


「お金に負けると お金がないと 無力な気がしてしまうから
 買えないものにばかり 執着して 少し偏屈に曇り空を好む」
 


 空を見上げるとき、今、あなたは、どんな気持ちで空を見上げていますか?
 少しばかり偏屈になった気がします

「時間に負けると 大切な友に 不義理してしまいがちだから
 時間を作るのは 僕の思いだと さりげなく自分を戒めつつも…」


 この「大切な友」とはいったい何なのか?それは必ずしも人間関係における「友人」を表す
 言葉に限らないのかもしれません。そしてテーマに続きます

「あなたになら 負けていよう~

 前述の「負けずにいよう」に対して「負けていよう」という負けている状態を維持している言葉を
 人生において多用する人は少ないことと思う。だからこの「あなた」はとても特別な存在なのか?
 「負けていよう」とはつまり「あなたには関わりあいたくない」と言っているのだろうか?

「~依存と信頼に責め立てられた痛みを噛む
 苛立ち煙る 浮き足立つ灯りと 突き刺さる誠実と 死にそびれた正しさと
 無粋に垂れこめる このわだかまりは消えるだろう~」


 ここは解釈が難しい抽象的な表現が続くが、やはり気になるのは「死にそびれた正しさ」だろうか
 最後の「~消えるだろう」がどこまでかかっているかなのだが、「灯り」「誠実」「正しさ」と
 あわせて「わだかまり」が消えるのだと考えれば、「痛みを噛む」「苛立ち」「浮き足立つ」
 「突き刺さる」そして「死にそびれた」というのは、勝ち負けを争う状態ではより激しくなる
 ものであり、そういったものが、「負けていよう」という立場を取ることで「消えるだろう」と
 歌っているのだろう?

「~望んだはずなのに名残惜しくて 自分の輪郭を 痛みで確かめるような
 憎まれ口のあなたに 僕もどこか似てるかな」


 テーマの結びは「僕もどこか似てるかな」と疑問形になっている。「憎まれ口のあなた」は
 「負けていたいあなた」なのであれば、「望んだはず~」は「あなたの望み」ということになる
 つまり「負けていたいあなた」とは「勝ち続けたいあなた」であり、あなたも勝ち続けることを
 望んだはずなのに「~名残惜しい」としている。


 「このわだかまりは消えるだろう」と「僕もどこか似ているかな」がこの歌詞では大きなポイント
 ではないだろうかと推測する。つまりこの歌詞の中で、この二つのセンテンスは断言、明言を
 あえて避けているように思える。



 2番の歌詞については歌詞を掲載するにとどめたい。
 是非ともこの曲を聴きながら、何度も何度も聞きながら、じっくりとこの歌詞の世界観を堪能していただきたい。



 しがらみに負けると その場にしがみつく
       自分がすごく 嫌になるから
 捨てられない物だけを 強く抱きしめて
       後を捨てる覚悟をきめたいんだ

 でも あなたになら 負けてもいい
       そう思える自分がやけにうれしくて
 やるせなさは自分の罪
       老け込んだ僕と 出がらした言葉

 冷たい風が 止むことはないだろう
 でもその風も悪くなくて
       底冷えする 白々しい街を
 独り歩く僕を あなたは責めてくれるかな 





では、映像で、ワタシが最初に琴線にふれた曲を紹介したいと思います

アワヨクバワレサキニ






少しでも、興味をお持ちいただいた方

こちらのサイトで、他の曲も試聴できます
 山作戦MySpace

で、気に入ってくれた人はUSTで毎週木曜日11時から生演奏が見れますよ

弾き語りライブ「ぼくなまはげ」
*毎週木曜 22時~


ここまできたら、CD買っちゃいましょう!
アマゾンでも変えますが、是非ともこちらの直販サイトをご利用ください
素敵なサインとメッセージカードがもらえますよ!


高山堂本店


絶対よいよ!
明日、9時よりテレビ朝日『題名のない音楽界』ではクラシックmeetsロック~新作!プログレ交響組曲 ELPのタルカス特集だよ という番組を放送する

これを非常に楽しみにしているわけで、その前に予習と思い、レコードを探し始めたのだが……


みつからない


あれ?確かこのあたりのはずなのだが?


「このあたり」とは600枚近くあるレコードの並びのことで、当然にプログレカテゴリーなのだが

※プログレとは


一ヶ月ほど前、部屋の模様替えをしたので、もしかしたらそのときに?いやそんなはずは、この場所は手をつけていない

などといろいろ考えた挙句ついに決断

よし、やるか!

実はこのレコードの並び、完璧じゃない

引越と模様替えでだいぶいい加減になっている上、聞いたレコードを変な場所にしまったりも時々するので、だいぶいい加減になっていた

そこレコードを棚から引っ張り出し、レコードを整理する

あれ?このレコードもってたんだ?

とか

あー、そうか、CDは持っているけどレコードではもってなかったか

とか

あー、これ間違えて同じレコード2枚買ったんだっけ

とか、まぁいろいろ感慨に浸りつつも整理を進める

そしてようやく見つけた


なんだ、ここにあったのか!

エマーソン・レイク&パーマーの『タルカス』
EL&Pのレコードってもっと枚数を持っていると思ったのだが、実はこの1枚しかなかった
それはYESやクリムゾンもそうで、レコードで持っていると思っていたものが実はCDというパターンで、ジェネシスの並びのところに紛れ込んでいた



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めでたいめでたいw

で、思ったんですが、うん、一枚のレコードを探すのにこれだけ楽しめるところが音楽のいいところだよね

ワタシはABC順ではなく、ジャンル及び系譜順というのが好き
あとは年代とかムーブメントとかで分ける

ビートルズ、ストーンズ、それからフーやキンクスからウッドストック世代のジミヘンやジャニス。
シカゴ、イーグルス、ドゥービー、スティーリー・ダン
プログレ
パープルやツェッペリンからはじめるハードロック、ヘヴィーメタルの系譜

邦楽のレコードはほとんど持っていない
アリス、オフコースのニューミュージック、ナイヤガラトライアングルつながり、それからRCサクセションやダウンタウンブギブギバンドにシーナ&ロケッツ

そこから爆風スランプ、尾崎豊、渡辺美里、レベッカ、ボーイというソニーレコード系のアーチスト

今夜はずっとターンテーブルが回るかもです
『夢追い人』第2章 久しぶりの更新です。


この作品を書くに当たり、少々取材というか、本を読んだり、資料を調べたりして、ちょっと書くのが遅れました。

迷い

といっていいでしょう。
でもそこには、とても大きな可能性が横たわっていました。

フロイトとユングのことを知ることはこの作品を書き上げるのにどうしても必要不可欠なこと…といつの間にかなってしまいました。

最初に考えていたプロットとはだいぶかわりそうですが、確実に面白くなりそうだと思ってます。


グリム童話に出てくる「鏡よ、鏡、この世で一番美しいのは誰?」って、あのシーンには心理学的な要素が多分に含まれているなぁ、と思ったら、そのネタはすでにいろんなところで使われているようだ。

でも、構うものか!
と、いうことで、鏡よ、鏡、世界で一番面白い物書きは・・・以下 笑止千万w


『夢追い人~別の夢、別の夏』第2章 無意識 ②モノクロのストレス

 わたしは、はっきりと自分のストレスを認識していた。そしてそれはつまり、わたし自信の欲求がどういうものなのかを認識しているということになる。

 もっと、色鮮やかなデザインをしたい

 世の中がモノトーンに染まっていく様を、じっと眺めていることなどできなかった。ある時期、そういった風潮に反発してあえてカラフルなデザイン案を何点も提案した事がある。それはことごとく却下された。センスがない。古い。仕事にならない。散々なことを言われた。傷ついた。思いっきり傷ついた。わかってはいたけど、わかってはいたけど、あんな言い方しなくてもいいのに。

 ミサコが慰めてくれた。慰めてくれればくれるほど惨めになる。出口がない。時々わたしは何をやっているのだろうという疑問で全ての思考が停止する事がある。これはもはや病気といっていいだろう、そう思ったとき、悩むこと、考えることをやめるべきだと思った。そしてそれは見事に成功したのだった。したはずだった。

 最近は何も言われなくなった。言われたとおり、期待されたとおりに仕事をこなしている。なんだやればできるじゃないか。最初はそんなことを言われたけど、今では何も言われなくなった。ミサコも声をかけてくれない。邪魔になら内容に、目立たないようにしていれば全てうまくいく。ストレスも感じなくなった。

 でも、ストレスもないけど、同時に喜びもなくなっていた。

 どんなに非難されようが、自分の思ったとおりの作品を作った時の喜びは、何者にも変えがたい充実感がある。かといって自己満足の作品を作ったところでそれはマスターベーションにもならない。出来上がったもののすばらしさをみんなで共有できてこそ喜びがある。

「南里君、南里君?おい、南里」
「あ、はい」
 不意に部長の声が遠くのデスクから聞こえてきた。いいえ、遠くなんかじゃないわね。

「すいません、ちょっと考え事していて……」
「あぁ、いいんだ。クライアントからOKがでたよ。あの内容でいいそうだ」
「あ、そうですか、わかりました。わたしはC案の方がお薦めだったんですが……」
 そう言い掛けて、言葉を止めた。もう、誰も聞いてはいなかった。

 わたしはそのままトイレに駆け込む。こらえきれないような嗚咽がこみ上げてきた。ぎりぎりのところで間に合った。わかっている。精神は誤魔化せても身体は誤魔化せないんだ。お昼に食べたサラダの残骸が、トイレの渦に吸い込まれていくのを眺めながら、一つ大きくため息をついた。

 用を済ませ洗面台で顔を洗う。鏡に映るじぶんお姿は、なんとも不健康で汚わらしく思えた。不意に昔の童話を思い出す。

「鏡よ、鏡、世界中で一番醜いのは誰?」
 鏡の中のわたしは沈黙を続ける。
「じゃぁ、これはどう?世界で一番優秀なデザイナーは誰?」
 鏡の中のわたしはにやにやといやらしい笑みを浮かべながら、沈黙によってこたえる。

 そ・れ・は・あなた……ではないことは確かです。ニヤリ。

 わたしは濡れたハンカチを思いっきり鏡に投げつけた。ハンカチは見事に鏡の中のにやけたわたしに命中し、下品な笑いをやめさせることに成功した。鏡の中のわたしの頬に涙が滴れていた。



つづく
信憑性に関してはまったく自信がありませんが、まぁ、選択肢の一つとしてなんとなく気にしておいてもいいのかなぁと思い、掲載することにしました



新宿で大量殺人の予告に関する記事です

http://ameblo.jp/akb48-paruru-roppy/entry-10794826678.html



で、その後、その犯人がつかまったってニュースです

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110212-00000051-jij-soci



すごい、つかまったんだぁ

という安心感と

犯人は本気ではないにしろ、存在したんだ

という不安感

さらに

捕まえる技術は評価できるなぁ

と思うことと

それだけ、なんかしでかすと、すぐに足が付くんだなぁ

と、関心もするけど、ちょっと怖い気もする