僕は小説を書く
ワタシはブログを書く
このブログ――いや、その前のブログのときから私は『ワタシ』というペルソナをつくり、『まかけ』とか『まめパパ』とか、そういう呼ばれ方と『ワタシ』は緋づいていた
小説を書き始め、一部ブログでは『小生』などと言ってみたりしたけど、これはどうにもこそばゆい感じだった。
『ワタシ』のままでいられなくなたのは、twitterやUSTなどのソーシャルネットワーク、ソーシャルメディアで知り合った人たちとの交流――意外なほどの同年代から少し上の方々とのお付き合いが多くなったこと・・・ワタシではかなり違和感があるし、物書きとしてのペンネーム『めけめけ』を親しんでいただき、『めけめけさん』とか『メケさん』とか呼んでもらうことに慣れてきた頃には、『ワタシ』というペルソナは『めけめけ』に統合されてしまった。
僕はホラーが好きで、SFも挑戦する。ひょうんなことから恋愛小説も書くことになった。僕は自分を物書きとして名乗るときに 「めけめけと申します。ホラーとかそういうものを書いています」といまひとつ歯切れの悪い自己紹介をしてきた
そんなおり、ソーシャルで知り合った方から『時空作家』ということばをいただいた
言ったご本人は、それほど意味を含ませたつもりはないのだろうけれど、僕はこれをひどく気に入った
ここでいう『時空』とは夢中になって、時間を忘れてしまうことや、楽しくて夜を徹して遊んだ挙句、いわゆる『寝オチ』をすること、気がついたら丸一日寝てしまい、まさに『時空を飛び越える』ほどに遊び倒すことを意味する。
僕も先般、泊りがけで浜名湖にバーベキューをやったときに酔っ払った勢いで湖畔の駐車場にごろ寝をして、そなままうとうとしてしまい・・・時空を超えてしまったのですw
しかし、その浜名湖での経験(寝オチしたことではなくw)によって、ある作品のアイデアが浮かびました。それはまさにタイムスリップ=時空を超えるエピソードなのです
だから、その作品が完成した暁には、僕は『時空作家』と自分で名乗ろうと思ってます
ホラー作家でもSF作家でもまして恋愛作家でもない・・・時空作家
変ですかね?
まぁ、まだまだ先の話ですw
作品を書くのは多分来年になるでしょう
だって・・・
あれも、これも、早く続きを書かねばw
僕は・・・幸せだと思う
なぜかといえば、楽しいと思えることを見つけることに、ある種の才能を持っているのだと思う
でも、きっとそれは、誰しもが持っているものであり、僕の楽しいが誰かの楽しいであることは・・・もしかしたら少ないのかもしれない
でも、僕はとても幸運だ
僕には、楽しいと思える出会いがたくさんある
そして、僕自身、誰かにとって、『楽しい誰か』であろうと思っている
そう、人生はしんどいし、めんどくさいし、厄介だし、ままならない
でも、だからこそ
だからこそ、楽しい出会いとか、偶然とか、そういうものは、望めば必ず訪れるんじゃないかな?
ある人はそれを引き寄せの法則とか言うのかもしれないし、人知を超えた存在のなせる業と言うのかもしれない
でも、それは必ずあなたの中にある
あなたの上にも、あなたの下にでもなく、それはあなたの そして僕の中にある
それに気付けた僕は、少しのことではへこたれないし、それを持っているあなたは、無敵の強さを誇る
そうじゃないかなと、ふと、今日思いついた。
なぜかといえば、楽しいと思えることを見つけることに、ある種の才能を持っているのだと思う
でも、きっとそれは、誰しもが持っているものであり、僕の楽しいが誰かの楽しいであることは・・・もしかしたら少ないのかもしれない
でも、僕はとても幸運だ
僕には、楽しいと思える出会いがたくさんある
そして、僕自身、誰かにとって、『楽しい誰か』であろうと思っている
そう、人生はしんどいし、めんどくさいし、厄介だし、ままならない
でも、だからこそ
だからこそ、楽しい出会いとか、偶然とか、そういうものは、望めば必ず訪れるんじゃないかな?
ある人はそれを引き寄せの法則とか言うのかもしれないし、人知を超えた存在のなせる業と言うのかもしれない
でも、それは必ずあなたの中にある
あなたの上にも、あなたの下にでもなく、それはあなたの そして僕の中にある
それに気付けた僕は、少しのことではへこたれないし、それを持っているあなたは、無敵の強さを誇る
そうじゃないかなと、ふと、今日思いついた。
『最後の晩餐~土曜日のタマネギ』を書き続け、気が付けば5万5千字を越える作品になっていました。
で、最後の一話がなかなかかけない
もともと、この物語は、結論ありきの展開でした
まず『わたし』が『彼』からの電話でふられるというシーンから始まり、その後、そこにいたるまでの一年前の出来事から物語をつづり、そして最後に別れの日を迎える。
お題小説として書いた短編を中編にまで持っていったのは、イラストレーターのAKIさんのかわいらしいイラストからイメージを膨らませることができたことが大きいです。

イラスト挿入ヴァージョンはこちら
しかし、ここにきて最後のピースが埋まらない
いや、およそお話はできてるんですがね・・・終わらせたくないw
で、結局、今は他の作品を毎週更新していますw
うち一つはまたしても恋愛物で、しかも同じように別れの結論ありきの物語です
すでに4万字を越えて、ものすごいハイペースでここまで書いてきました。もしかしたら、土曜日のタマネギが完成する前にこっちが咲きに終わるかも・・・いや、また、最後のピースを埋められずに苦悩するのかなw
で、最後の一話がなかなかかけない
もともと、この物語は、結論ありきの展開でした
まず『わたし』が『彼』からの電話でふられるというシーンから始まり、その後、そこにいたるまでの一年前の出来事から物語をつづり、そして最後に別れの日を迎える。
お題小説として書いた短編を中編にまで持っていったのは、イラストレーターのAKIさんのかわいらしいイラストからイメージを膨らませることができたことが大きいです。

イラスト挿入ヴァージョンはこちら
しかし、ここにきて最後のピースが埋まらない
いや、およそお話はできてるんですがね・・・終わらせたくないw
で、結局、今は他の作品を毎週更新していますw
うち一つはまたしても恋愛物で、しかも同じように別れの結論ありきの物語です
すでに4万字を越えて、ものすごいハイペースでここまで書いてきました。もしかしたら、土曜日のタマネギが完成する前にこっちが咲きに終わるかも・・・いや、また、最後のピースを埋められずに苦悩するのかなw
嫌いなのか苦手なのか、ともかく本を読むのが苦手で・・・
なのに、なぜ書く?
そう、それはたしかに変だと思う
もしかしたら、嫌いでも、苦手でもなく、好きな本が限られているのかもしれない
いや、読まず嫌いで、読めば大概のものは好きになれるのかもしれない
以前にも書いたけど、たとえば よしもとばなな さんの『キッチン』は、ヒットしたあの当時に呼んでいたら「なんだ、こんなもの」と思っていたに違いない。いまだから素直に読める。夢枕獏のキマイラシリーズを今から読んだら、「なんだ、このへなちょこは」と思ったかもしれない。
本に限らず、音楽や映画・テレビといったものには、その人の聴きごろ、見ごろ、読みごろがあるように思える。
年齢や、経験、家庭環境の変化など、その人の置かれている状況によって、その人の琴線に触れるものというものはかわるのだと思う。
僕が本や作家に出会っていくのは、まだまだこれから先なのかな?
音楽や映画・テレビといったものは、それなりにタイムリーにというか、本当にいい出会い方をしてきたと思う。それは単に運が良かったということにとどまらず、そういうよい出会いをする為の努力をしたことも確かである。
本に関しては、まだ、それをしていない
その前に、自分で書くようになってしまった
美味しいものを食べたことがないのに、美味しいものを作れるはずがない
うん、それもそうだけど、本の場合は少し違うのかな?
別にそれを立証しようとしているわけではないし、するつもりもない。
キングが出版した短編を8割くらい読んだだろうか?
夢枕獏も短編はかなり読んだし、初期の主要な作品は目を通している。サイコダイバーシリーズは好きじゃない。
印象に残った作品は、『影が行く』(映画「遊星からの物体X」の原作)、『モルグ街の殺人』、『フランケンシュタイン』、『こころ』だろうか
SF,推理、ホラーがほとんどだ。
『こころ』も人が死ぬ
僕が書く、恋愛小説の類のものには、もしかしたら、『こころ』が影響しているかもしれないと思わなくもない。
読めば読んだで、のめりこみ、その影響は必ず僕の文章には表れる。しかし例外もある。
キングと夢枕獏は今後いくら読んだとしても影響を受けることはないだろう。
なぜならそれは、めけめけという存在そのものが、この二人の作家なしでは存在し得ない『もの書き』だからである。
めけめけは、まだまだ等分の間、書き続ける。
僕のネタ帳には、とても年内では書ききれないくらいの物語のとっかかりがいっぱい記述してある。震災についてのことも、実は書き進めている。この作品は今までのものと違いある程度完成してから、発表したいと思っている。
さて、今日は、どうするかな
やはり、公園のベンチで、妄想にふけるか・・・いや、この暑さでは、妄想も解けてしまいそうだから、喫茶店にでもいってみようかな
なのに、なぜ書く?
そう、それはたしかに変だと思う
もしかしたら、嫌いでも、苦手でもなく、好きな本が限られているのかもしれない
いや、読まず嫌いで、読めば大概のものは好きになれるのかもしれない
以前にも書いたけど、たとえば よしもとばなな さんの『キッチン』は、ヒットしたあの当時に呼んでいたら「なんだ、こんなもの」と思っていたに違いない。いまだから素直に読める。夢枕獏のキマイラシリーズを今から読んだら、「なんだ、このへなちょこは」と思ったかもしれない。
本に限らず、音楽や映画・テレビといったものには、その人の聴きごろ、見ごろ、読みごろがあるように思える。
年齢や、経験、家庭環境の変化など、その人の置かれている状況によって、その人の琴線に触れるものというものはかわるのだと思う。
僕が本や作家に出会っていくのは、まだまだこれから先なのかな?
音楽や映画・テレビといったものは、それなりにタイムリーにというか、本当にいい出会い方をしてきたと思う。それは単に運が良かったということにとどまらず、そういうよい出会いをする為の努力をしたことも確かである。
本に関しては、まだ、それをしていない
その前に、自分で書くようになってしまった
美味しいものを食べたことがないのに、美味しいものを作れるはずがない
うん、それもそうだけど、本の場合は少し違うのかな?
別にそれを立証しようとしているわけではないし、するつもりもない。
キングが出版した短編を8割くらい読んだだろうか?
夢枕獏も短編はかなり読んだし、初期の主要な作品は目を通している。サイコダイバーシリーズは好きじゃない。
印象に残った作品は、『影が行く』(映画「遊星からの物体X」の原作)、『モルグ街の殺人』、『フランケンシュタイン』、『こころ』だろうか
SF,推理、ホラーがほとんどだ。
『こころ』も人が死ぬ
僕が書く、恋愛小説の類のものには、もしかしたら、『こころ』が影響しているかもしれないと思わなくもない。
読めば読んだで、のめりこみ、その影響は必ず僕の文章には表れる。しかし例外もある。
キングと夢枕獏は今後いくら読んだとしても影響を受けることはないだろう。
なぜならそれは、めけめけという存在そのものが、この二人の作家なしでは存在し得ない『もの書き』だからである。
めけめけは、まだまだ等分の間、書き続ける。
僕のネタ帳には、とても年内では書ききれないくらいの物語のとっかかりがいっぱい記述してある。震災についてのことも、実は書き進めている。この作品は今までのものと違いある程度完成してから、発表したいと思っている。
さて、今日は、どうするかな
やはり、公園のベンチで、妄想にふけるか・・・いや、この暑さでは、妄想も解けてしまいそうだから、喫茶店にでもいってみようかな
