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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

「人生が変わった衝撃のアルバムを毎日1枚選び10日間シェア」

小田 俊明 (Toshikaki Oda)さんからバトンを受け取りまして、今日から10日間、人生が変わった衝撃のアルバムを御紹介致します

まずは最初に僕の人生を変えた・・・ではないのですが、今回のテーマにはこれは一番ふさわしいかなぁ

アリスのライブアルバム
『限りなき挑戦』

 


 

まあ、アリスといえば『チャンピオン』や『冬の稲妻』は今でもカラオケの定番ですよね

小学6年の誕生日に親に買ってもらいました
その前に何度もレコード店に足を運んで、アリスのアルバムの中で一番好きな曲がいっぱい入っているレコードを選びました

なのでライブアルバムっていうのがコンサートの模様を収録した物なんてことわかっていなくって

最初、あっ、違ったと思いました
でも、オープニングのオーバーチュア-チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番がまぁ、かっこよすぎて、そこから自分が知らないアリスの曲
Wild Wind -野生の疾風-
つむじ風
逃亡者
からの西城秀樹のYoung Man(YMCA) 
と畳み掛け、僕の大好きな夢去りし街角に行く流れに

ああ、ライブって楽しそう
と思ったのとシングルレコードよりもアルバムの方が知らない曲といっぱい出会えて楽しいと知りました

まぁ、僕にとってはレコードの聴き方を教わったアルバムです
そしてめっちゃ笑えるMCと心に響くMCでライブって楽しいんだって教えてくれたのもこのアルバム

ラストの
美しき絆-Hand in Hand-は、今でこそ、ちょっと照れくさいけれども、絆 さいこー!
って12歳の子供を感動させるのには十分でした

アルバムはドラマチックでバラエティ豊かでなければならない!
と、良い意味で勘違いさせてくれたレコードでした

#アリス #人生が変わった衝撃のアルバムを毎日1枚選び10日間シェア

詩を書こうと思って書いたのではなく、なんとなく「詩のようなもの」が出来上がったのが、二年前に小規模なコンテストに応募したこの作品でした

 

死神は眠らない

いわゆる『お題コンテスト』で『~は~しない』というタイトルで小説を書くという物でした。だから小説を書こうとして、詩のようなものになってしまったというわけです

 

ここに至るまで、僕はとあるポエトリーリーディングのイベントに参加し、2回ほど、実際に自分でも朗読をしました

これも「詩の朗読」というよりは、自由に好きなものを朗読するというものでしたが、その時の体験から、「朗読するのなら」という意識が芽生え、「詩のようなもの」を書こうとして書くようになりました

 

なぜ、執拗に「のようなもの」と言うのかといえば、それは僕が「詩」を読んだことがほとんどないからです。学校の授業でやったそれ以外は、詩集を読んだことはありません。小説の中に登場する「詩」ぐらいのものです

 

だから、「詩」とは・・・という定義が僕の中にはありまあせん

「小説と言うには違うもの」でしかなく、おそらくポオと夢枕獏とカフカのいくつかの作品に、僕のそれは近いのだと思います

 

だから意識をして、詩を書くぞと思って書いたのは『死神は眠らない』のオマージュである

孤独な太陽

 

ということになるでしょうか。書いたのは今年の1月です

合わせて、僕の『詩のようなもの』を何篇か書き直して、詩集をつくりました

孤独詩

2017/4/12の時点でその後書き下ろした作品は

満月/世界に捧ぐ/狂った果実、禁断の果実/孤立無援のススメ/独りぼっちの兵隊さん/愛を呪う/言葉縛り

の7編

 

再編したのは

死神は眠らない/賽の河原/思考の躓き/妨げるもの/100万分の1

の5編です

 

はっきり言ってどの作品も胸躍る心地のよい代物ではありません

が、負のエネルギーに満ち、世界を憎んだり、恨んだりしているわけでもありません

 

『孤独詩』というタイトルは、”人は元来、孤独である”という視点で世界をみたとき、

 

それでも人はつながりを持って生きている

だとか

孤独であることを懼れる必要はない

とか

死を見つめることで「生きること」を実感できる

など

 

マイナスなイメージな言葉や事象に対して、

 

それは乗り越えられない恐怖ではない

とか

それでも人は生きていかなければならない

誰からも認められる価値観などありはしない

といった

 

ポジティブだけが前向きじゃない

ということが語られています

 

 

このブログをきっかけに、誰かの孤独と共感できたらいいなと思っております

 

まずは最新作の

言葉縛り

 

あたりを読んでいただけると、僕の志向する思考の試行を共有できるのではないかと、

 

あなたの嗜好に合えば、これ幸い、至高の喜びというものです

 

 

 

 

めけラヂオは僕やザンボが知識を有しているようなサブカルネタをトークテーマにする番組としてスタートしたのですが、さすがにどこまでも続くわけもなく、ある時期から僕らもあまりよく知らないけれど『興味があるテーマ』について事前に調べて勝手に自説を展開するというスタイルになって、こっけう久しいです

暴論、極論、勘違いや思い違いもいろいろありますが、おかげで毎週少なからず新しい知識や考え方を学ぶよい機会となっています

だから楽しいし、続けてこれたのだと思うし、ひとえにザンボのおかげということはこれっぽっちもない・・・さておき

物語を書くときも最初のころは知識のあるものをベースにあれこれ構築するのですが、次第にそれだけでは収まらなくなってきます

朔夜~月のない夜に
18世紀のフランスを舞台にした物語ではまだライフルが発明される前の銃(マスケット銃)や当時の人々の暮らし(食卓にはコーヒーだったのかお茶だったのか、ぶどう酒だったのか)なんかを調べるのは本当に楽しい

オートマタ・クロニクル
今は20世紀初頭のドイツが舞台の作品を書いていますが、タイプライターなどの機械メーカーからオートバイ、自動車に参入したアドラーという会社が僕の目に留まりました
メルセデスやダイムラー、オペルといった耳に親しい名前ではなかったのが第一の理由なのですが、調べてみると、実に面白い

wikiより
スタンダードには2916ccの6気筒モデルと3887ccの8気筒モデルがあり、ヨーロッパ車として初めて油圧ディスクブレーキを採用した自動車でもあった。
1927年から1929年にかけて、Clarenore Stinnes がスタンダード6で初の自動車による世界一周を成し遂げた。


第二次世界大戦後、ドイツでは自動車の製造がほとんど許されず、アドラーも自動車を生産することはできなかったが、1949年に規制が緩和されたのを機に40年ぶりにオートバイの製造を再開すると、その後8年間に渡ってオートバイを製造した。この間、主力モデルのMB250Sをはじめとして2ストロークエンジンの中小排気量のモデルを生産していた。
また、連合国への戦争賠償の一環として、アドラーの一部のオートバイの設計はイギリスのBSAのものとなり、後にBSAグループのアリエルによってそれらの設計が利用されてアロー ( en:Ariel Arrow ) とリーダー ( en:Ariel Leader ) が造られた。アドラー自身が造るオートバイも2ストロークモデルの見本として高い評価を得ていたが、1950年代後半にオートバイ業界全体の不景気が深刻になり、アドラーは事業の中心を徐々にオフィス機器の製造にシフトさせていった。




まさに歴史に翻弄され、自動車事業はなくなりましたが、その技術は今でも世界の中で走り続けているんですね。


そんなアドラー(鷲)が今、とても気に入っています

3つのポイントを上げる

とか

対立軸をはっきりさせる

というのは、あくまでも戦術であって、本来の目的とはまるで関係がない


実は本命は4つめだったり、7つめだったりする


カミさんに自分の嗜好品を(少なくとも相手はそう思うだろう物)買う許可を得るために(いわゆる家庭内稟議)
あなたならどう、訴えるだろう

相手にとっての3つのメリットを上げて(3つのポイント)
Aを買った場合とBを買った場合、どちらが得か(対立軸)を解くだろう

しかし、あなたの目的はきっと別のところにあるし、そもそも買う買わない以外の選択肢があるはずなのに、それをこちらからは言わない


特にこの対立軸についてはまず当たり前の選択肢

100万円もするものも世の中にあるけれど、確かにそれはいいのだけれど、そんなお金ないよね
→Yes

でも、あったら便利だよね
→Yes

じゃー、ちょうどいい選択肢としてAとBがあるよね
→なるほどあるのかもしれない、きっとそれが妥当なのだろう

だったらAのほうが長い目で見たらいいじゃんね
→どうせお金を使うなら有効に使いたい


最初からこれ買ってでは、駄目と子供のおねだりのように一蹴されてしまうことも「はい」を三回言わせるような流れを使って誘導することで、相手の受け取り方はかなり違う

少なくとも検討の余地ありになるだろう



戦争やだよね

とか

死にたくないよね

とか

クリーンがいいよね

とか

石油がとまったら大変だよね

とか



そもそも、こちらが望んでいない「選択」を迫られているような気分になったらとりあえず

「それがどうした!」
と言ってみるのがいい


なんでも反対とかダメダメだよね
「それがどうした!」

長いものにまかれた方が楽じゃんね
「それがどうした!」

相手が主張する複数の問題提起のうち「それがどうした!」と言われて、マジレス返してくるものが、そいつの本音であり、どれもたいした反応がなければ、そもそも大義がないということになる


右だ左だなどという対立軸で争うなど愚の骨頂
いつから市民同士がそんなきな臭いことをしなければならないのか
市民が市民同士を監視するとか、誰得なのだろう

野党がどうのとか、どうでもいい
市民の厳しい目は、政権与党にこそ向けられるべきなのだ
「それがどうした!」


・・・


そう、僕にとってはこれは大した主張じゃない

問題なのは、今日の雨


傘がない
なんとなく発売中(ここが、今日の主題ですw)
傘がない 下駄の男シリーズ/作者不明

¥価格不明
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巷(ちまた)という場では、人は印象値で生きています
これは現実社会、リアルで汗臭く、数値化されない力で動いています
なぜなら人は、何かの数値を達成するために生まれてきたのではないからです
なぜなら人は、何かの数値から生まれてきたのではないのです

少子化問題は数値です
高齢化社会も数値です

改善すべき数値目標はもう、何年も前から提示されています

それができないのが人類社会です
なぜなら人は、何かの数値を達成するために生まれてきたのではないのです
なぜなら人は、何かの数値から生まれてきたのではないのです

つまり少子化問題を解決するために生まれてくる命などあるはずはないし、高齢化を是正するために生まれる命などはるはずがないのです

しかし少子化問題は数値です
高齢化も数値です

はたして人類社会はこの問題を解決できるのでしょうか
そもそも問題はどこにあるのでしょう
少子化と高齢化は出生率の低下という数値で表されます
また平均寿命が長くなったという数値で表されます
何がいけないのでしょう
だれにとっての問題なのでしょう

社会と言う構造の問題
システム設計の誤りの問題
家族の構成員が多いということはひとつの力の象徴でした
この印象値と絶対値が合致していた時代が長く続きました
集約的労働力=生産性


しかし産業革命後、そんなものは吹っ飛びました
資本の集中=生産性

人は環境の生き物
という印象値を裏付ける絶対値が存在します
簡単に言うと文化的な生活を手に入れた集団の出生率は低下します
そこにどんなメカニズムがあるのか
それはあと数百年もすれば解き明かされるでしょう
あせることはありません

大事なことは印象値と絶対値が一致していると言えるこの瞬間です
第一次大戦から第二次大戦
ここで何が起きたかについては、まだまだ研究が必要でしょうし、開示されていない情報も多々あるように思いますが、印象値として人類社会はここで大きな転換期を迎えたのでしょう


その二つの大戦の印象値というのは戦争の勝ち負けに集約されます
現代の日本とドイツは間違った戦争をしたという印象値からスタートしました
でもだからといって日本もドイツも負けっぱなしではありません
経済ではそれぞれアジア、欧州でもトップクラスに返り咲くわけですが、さて、戦争で勝った側から見たこの印象値ってどうだったのかなぁ

などと思うとなんだかちょっと寒気がしてきます
いや、だいぶ話がそれましたが、ゲシュタルト心理学というのがありまして、そんなものを見ていたら、人間は絶対値の世界ではなく、印象値のなかで生活をしていて、それがすべての原動力になっている

だから解決できない問題は、そもそも印象値として問題になっていないのではないか
というお話でした

政治やマスメディアがそういうことに無自覚でいるはずはないだろうと
僕はそんな印象をもって、生きています