アメブロを始めてから、いろんなジャンルのことを取り上げてきました
自分自身が創作活動に没頭するようになるとは、その頃はまったく考えていなかったし、ツイッターやフェイスブックの登場でこうもソーシャルネットワークに深くかかわるようになるとは思いもしなかった。
そうえいば、僕は、そういうことにはどちらかといえば否定的だった気がする
ずいぶん昔の話になる
そういうことに興味を持ちだしたころ・・・ヤフーのサッカーの掲示板にいろいろと書き込んでいた時期があった。でも、あまりにも極端な論調にどうにもついていけずにすぐにやめた。2チャンネルもながめることはあっても、書き込むことはなかったし、なるべく関わらないようにしていたくらいだった
某ゲーム会社が運営していたSNSに仕事がらみで登録したときに転機が訪れる
それは、まぁ、偶然の産物であったかもしれないし、確率的には必然と言っても過言ではない
僕はたとえば80年代の音楽にはわりと詳しかったし、音楽を通じて仲間ができた
ゲームもそこそこやってたし、サッカーも好きだった
いろんなジャンルの人とコミュニケーションをとり、そして諸般の事情でアメブロに引っ越し
趣味に関するあれこれを、不定期にアップして、文章をいろいろ書いているうちに、いつの間にか物語を書くようになった
うん。ここまでは順序だっているし、特に注釈の必要はないと思う
それがどういうわけだか、ツイッターからライブ配信、そしてフェイスブックへとなんだかわからないうちに周りの環境が激変した
ここにきて冷静に振り返る
僕はツイッターもUSTもよく知らずに手を出した
今までメジャーアーチス以外のライブは知り合いのバンド仲間のお付き合いでしか行ったことがないのにいつの間にか、ヴァーチャルな世界からリアルな世界に・・・僕の手の届くところで彼らが演奏し、お酒を飲みかわし、いろんな話をして友達になった
こうすれば僕みたいにSNSを使いこなせるよ!
なんてことは言えない
結局僕は、そういうものを知らなかったからこそ、すんなり流れに乗れたのかもしれない
固定観念のない、まっさらな状態で、素で付き合うことができたからこその今がある気がしてならない
最近サッカーや野球について記事を書かないし、80年代に活躍したアーチストのこともすっかり書かなくなった
僕は好きだったものを知りすぎることによって、なんだか妙にかっこうをつけなきゃならないような錯覚に陥っていたのだと、最近思うようになってきた
世の中の事情通が 物事をつまらなくしている
僕の応援しているインディーズアーチストの言葉である
最初、その言葉は僕の中にすんなりとは落ちてこなかったのだけれど、彼との1年ほどの付き合いのなかで、だんだんと実感するようになってきた
人はもっと冒険をするべきなのだ
攻略本やwikiで下調べなどせずに、好きだと思うこと、面白いと思うことに素直になればいい
そしてその場にいる人に話しかければいい
そこで生まれた縁を大事にすることで、なんだかつまらなかったり、わからなかったことが、全然違うものに思えてくるかもしれない
その縁をより強固にするためにSNSを使えばいい
思えば僕は小説を書くことがすべてにおいて冒険だった
最初は間違いだらけで、今となっては恥ずかしい限りの内容だった
でも、歪だけどだんだん形になってきた
独学で詰まるところは見えている
音楽をやったときもそうだった
手詰まりになるまでは、僕は冒険を続けようと思う