ブログってなんだ? | 文化系寄り道倶楽部

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アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

過日、行きつけのカラオケバーにて


ビートルズとか一緒に歌ちゃうオッサン。。。吉田拓郎をはじめ、70年代のフォークがすき。。。と同じテーブルになった


なんでそんな話になったか忘れたが、ブログをやるやつの気が知れないし、見るやつの気が知れないという話が出た


もちろんワタシはその意見には賛同できないので、ブログのよいところをいろいろと説明した。。。説明しながらもワタシには何が疑問のようなもの、違和感を覚え始めていた。。。たとえば音楽好きのブログを見ることで、知らなかったアーチストのいろんな情報や思わぬ名曲に出会うこともある


オッサン曰く、「オレは誰にも薦められたくないし、誰にも薦めない


酒を飲みながら、昔のフォークアーチストやビートルズのうんちくを話し始めたら止まらないくせにw


しかし、彼のそんな態度に、むしろ好感を覚えるのは何故だろう?


オレはそんなもん知らん!認めん!崇めん!


若い頃、洋楽に目覚めたワタシは歌謡曲をバカにし、少し耳も肥えてくると産業ロックを馬鹿にし、歴史を知れば流行歌を小バカにする

大人たちのやることにはすべて反抗してみせる

マスは愚鈍で強欲で品性がない


これって反骨精神だよね


ロックなんだな


50代になっても、オッサン、とんがってるw


それに比べて自分のなんと丸くなったことか(いやー体型も、頭髪も含めてw)


ブログって、基本、書いている人が「ある人格」を形成して、そのキャラクターに沿って何を書き、どうコメントするのか、どう反応するのか、乗るのか、突っ込むのか、ボケるのか

「何を書いている」といか「どんなことが発見できる」とか、そんなことは、実は二次的なもので、特定の空間の中で、新しいキャラクターを作って、自分の分身を作れる楽しみ


これがブログの本来の姿ではないだろうか?


芸能人とブログがマッチングするのって、まさしくそういう部分であり、ロックな観点から言えば、「みんな嘘っぱち」と、いえなくもない


オッサン、あんたの言うとおり、ブログはクソかもしれません


だからこそ、そんなことを言うと大きな反発を生みます。。。だって自分の一部分を否定された気分になるから。

でも、そこで面と向かってオッサンに反論できる適当な言葉が見つかりません。。。なんでだろう

それはきっと、オッサンにはないものを私達は手に入れてしまったからかもしれません


現実と仮想は古くから存在してますが、現代においての仮想はもはや現実と切り離せなくなってしまっているということ。。。リアルな現実、フェイクな模倣。。。人は高速で大容量のネットワークを手に入れたことで、手に触れられるものの現実感よりも、より自分に共鳴してくれる空間の中で手に入れられる心地のよい情報に溺れ始めている。摩擦のない心地よさは、人を弱くする。弱くなれば群れるし、群れれば。。。


オッサン、あなたはそれがイヤだと肌で感じてるんですね

その薄くなった頭の皮でw


ワタシはこうしてブログをやりながらも、リアルな現実も欲している


これからもオッサンにはブログは面白いと、相変わらず意見を変えはしないけど、そんなやり取りをすることが私は面白くてたまらない


リアルな現実で言えば、すべての素人ブロガーは広告のダシであり、他人のために時間を費やして、何が面白い?ということになる


一方、こういう情報交換が無料でできる場所を提供されることで、たとえば今日の食卓が少しだけ豪勢になったり、通勤電の中で聴く音楽や読む本の種類が増えるかもしれない


しかし、これはフェイクな模倣だ。。。安易に手に入る情報の影で、失われていくものがあることに気づかない

いつの間にか消えていく商店街のレコードショップ、個人経営の本屋、近所づきあいや魚屋、八百屋の店主に教わるレシピ


でも、今更後戻りはできないし、するつもりもない


人は世の中のいろんなもんと、折り合いをつけながら生きていくものだから。。。でも、オッサン、あんたを見習って、もう少し、自分に引き寄せて折り合いをつけるようにするよ