「関心領域」

まったく、すごい映画があったものだ。衝撃的、などという軽々しい表現では語れない。
何がすごいと言って、見せないことがこれほどまでに人の関心を惹きつけるとは。
広い屋敷に住む幸せそうな一家。さまざまな植物や樹々に囲まれた広い庭にはプールまである。
母親は抱いている赤ん坊をあやしながら、花の香りを嗅がせようとしている。そんな平和な光景が繰り広げられているのは、アウシュビッツ強制収容所と壁を隔てたすぐ隣なのだ。
この一家は収容所長であるルドルフ・ヘスの家族。
塀の向こう側では鬼畜の所業が行われているというのに、何も見えないし聞こえない。何より完全に関心領域の外なのだろう。
しかし観客には聞こえる。塀の向こう側から低い音で、何か不気味な響きやら機械音、遠くの悲鳴、乾いた銃声。時折煙も立ち上っているし、おそらく庭を歩けば臭いもあっただろうに。
この家族は何も感じないのか、無関心だけなのか、人はそこまで「馴れて」しまうものなのか。
実際、妻の母親はわざわざ遠くから遊びに来たというのに、この環境に耐えられなかったのか一晩で帰ってしまった。
映画は所長のヘスよりも妻の方に力点を置いた描き方だ。ユダヤ人から没収したであろう高価な毛皮コートを鏡の前で試着し、悪くないわね、という顔をする。
ザンドラ・ヒュラー演じるこの妻は、「またイタリアを旅行したい」とか夫に甘えたり、お気に入りのこの屋敷を離れたくないあまり、夫に単身赴任させたりとやりたい放題。
「落下の解剖学」の時も圧の強い女優さんだと感じたが、今回も圧倒的な存在感で君臨している。しかしこの映画に出演するべきかどうか、かなり悩んだそうだ。
人の顔をアップにしない突き放した撮り方をしているが、実に端正な映像で逆に訴えかけてくる。
時折挿入されるモノクロのシーンは、リンゴを配るレジスタンスの少女だろうか、このパートも重要だ。
ラスト近くで突然、所長のヘスが嘔吐するが、これがこの作品内でのオチなのか。
わかりにくい、という指摘もあるようだが、観客自身の関心領域を試されているようで、思わず背筋が伸びる1本だった。


ところでこの一家は実在した。映画に出てきた元所長宅は現在、博物館になっているという。
ルドルフ・ヘスは終戦後、しばらくは家族と離れて逃亡していたようだが、捕まり戦犯となる。アウシュビッツ強制収容所内の、自らが設置したガス室のすぐ横に設えたで絞首刑台で処刑された。45歳。
妻の方は再婚した後、アメリカに渡り81歳まで生きたそうだ。