「悪は存在しない」

「ドライブ・マイ・カー」の濱口監督作品、というだけで興味をそそられるのだが、実際に鑑賞してまたまた恐れ入ってしまった。
今まで観たことがなかったような作品、と言えばいいのだろうか。寡黙なようでいて雄弁、静寂でありながら音に満ちている。一見矛盾しているようだが筋が通っている感じ。この感覚はやはり観ないと伝わらないかもしれない。
一般の人が書いたレビューを読むと、評価が最高と最低にはっきり分かれている。低く採点した人は、おそらくこの映画に合わなかったのだろう。映画の中で説明が少ないと、もやもやして不愉快なのかもしれない。
私は当然、高評価だ。1から10まで何でも説明してしまう映画の方が、私は遠慮したい。伏線の回収に躍起になっているような作品も好きじゃない。もっと観客を信用して、余韻や余白部分を残してほしい。それが味わいというものではないか。
長い前置きになったが、実際に観た人なら私が言いたいことが、わかってもらえると思う。
主人公の巧を演じる男性は、もともとこの映画のスタッフだったという。台詞が棒読なのは、狙ってのことか演出か。でも小劇場の俳優さんのような風貌だし、悪くない。というかぴったりだ。
自然あふれる高原に娘と2人で暮らしている主人公。2人の生活は素朴で簡素だが、同時に非常に豊かでもある。
しかし東京のある会社がそこにグランピング施設の建設を計画しているという。そうなると、巧たちの生活の変化も、自然への影響もとても大きなものになるのだが…
テーマが環境問題の方向にいくのかと惑わされるが、それは監督によるミスリードだ。グランピング施設の建設問題は、この先どうなろうと関係ない話だった。
おそらくこの映画の最大の注目点はラストあたりの展開だろう。きっと様々な考察がなされたと思うが、監督は完全に突き放している。つまり自由に解釈していいのだ。
答えなんかどこにも載っていないから、自分で考えろ、と。
まだ雪が残る高原の冷たい空気が身体に染み入るようだった。樹々の連なりが空に透けて見えるシーンは非常に長いが、森の奥深さを物語っているようだった。音響も効果的だ。
田舎ホラー的な土着な中にも、どこかスピリチュアルで魔の世界に足を踏み入れたような感覚、とでも言えばいいのか。
自然への畏怖を改めて感じつつ、とても刺激的な映像体験をした気分になった。