いきなりだが、私自身が実際にあの大学に一年間、一般の学部生として在籍した経験からすると、佐々木麟太郎クンは秋学期(アメリカは4学期制)も持たないと思う。

まず、日本の大学との決定的な違いは、Undergraduate と呼ばれる4年間には日本で言う学部というものがない。

日本では学部毎に受験し、入学し、学部で設定されたカリキュラムを学ぶのだが、アメリカでは学部という組織はなく、全学生が一般教養的な扱いになる。Majorはあくまで専攻であって、将来大学院に進むためのカリキュラムや共通テストを特定して履修しているに過ぎない。

なので、将来医者やエンジニアを目指す学生と同じクラスで同じレベルの勉強をさせられることになる。

NCAAが成績達成の基準となる科目は、文系と理系の両方にまたがっているのも、そもそも大学生である以上、理系が苦手だとか国語は全然ダメ、ということがあってはならない、という当然の理念から来ている。

その中で楽観的なことがあるとすれば、佐々木クンが極端に理系に強ければ、だ。数学も物理も科学も、英語が堪能である必要はなく、また勉強をする時間も、歴史や政治学などに比べれば圧倒的に少ない。しかし、理系はなんとかこなしたとしても、文系の科目が地獄なのだ。

アメリカにも日本と同様にそれぞれの学位に応じて必須科目というものが設定されている。学位は免許なので当然のことである。

私がスタンフォードにいたのは、留学生という特別な枠だったので、これらの必須科目を履修する必要はなく、好きな科目を履修したが、同じ寮にいた一年生たちはとにかくこの必須科目に苦しんでいた。

その中で特に苦労するのが、Western Culture  という科目。これは、世界史のようなもので、政治、文化の両方の西洋の歴史を一年徹底して勉強させられるのだ。理系科目は法則や計算方法を習得すれば答えを導き出せるが、歴史はとにかく膨大な情報を暗記しなければならない。それを英語で、でだ。私は古代世界史であのカタカナの名前や地名が覚えられず、早々と日本史を専攻した。仮に佐々木クンが世界史に長けているとしても、カタカナで知っている人名や地名が英語表記になったらどうなるか?

歴史としては遠いがひとつ例を出してみよう。

日本でゴッホを知らないひとはいないが、美術史のクラスで「ヴァンゴー」と聴こえてくるものがゴッホのことだ、と気づく日本人はほとんどいない。ありとあらゆる場面でこういうことに出くわすことになる。

では成績を決める試験がどんなものか、を紹介しよう。

先ほど4学期制と言ったが、その3ヶ月弱の間に中間試験と期末試験があり、その間にペーパーと呼ばれる、日本でレポートにあたるものが最低でも2回。なので、日本のように試験が終わってひとまず遊べる、という時間が全くない。そしてその中間試験も期末試験も解答用紙はただのノートブック。選択肢があって選ぶとか設問に答えるという形式ではなく、10以上もの課題から2、3問を選び、とにかく書き続ける。試験時間はなんと3時間。そして、その設問の回答のためには授業以外に大量の文献を読むことを要求される。

私が実際一般の学部生と寝食を共にして一番衝撃的だったのは、彼らが遊ぶのは土曜の夜だけ。それ以外、とにかく日中は授業、夜も深夜まで勉強。寮では集中できないから、と深夜まで図書館が開いていて閉館まで満席になっていた。

そのような環境に、私立とはいえアメスクでもない日本の普通の高校を出た野球エリートが、NCAAが求める必須科目に全てB以上の成績を残すことができるか。辛辣ながら私はその光景が見えない。佐々木クンが開成だったら、とかは全く関係ない。

日本では文武両道だとか、大リーグに向けての躍進だとか、この選択が称賛されているが、おそらく大学側は、佐々木くんが他の特待生と同様に何不自由なく勉学と野球に打ち込むことができると思っている。なぜなら、日本のように試験を受けて合格したわけではないからだ。自分のことは人生の目標を綴ったエッセイ(これを代筆する専門業者がいる)と高校時代の成績とTOEFLの点数だけ。

 

そもそも何故スタンフォードという世界ランキング2位の教育機関を目指したのか?

大リーグへの近道なら、もっと勉強が楽(日本ほど楽ではないが)な大学に行くべきだ。Stanfordは他のエリート大学と比べるとアスリートのレベルが高い。ただ、それはあくまで個人レベルであり、メディアに取り立たされているスタンフォード出身のアスリートのほとんどは個人競技。確かにフットボールも野球も上位レベルだが、チーム全員が文武両道ではないので、USCや中西部の競合にはかなわない。私がいた頃、ジョン・エルウェイという、のちにデンバーブロンコスをスーパーボウルに導くQBがいたが、チームとしては弱かった。

 

私が懸念しているのは、佐々木クンの力が充分に発揮できない環境になぜ進んでいくのか、ということ。

NCAAの必須科目でCを取ってしまい。練習にも試合にも出られないかもしれない。

勉強が大変すぎて寝る時間もなく、練習が十分にできず焦って怪我をするかもしれない。

スポーツ特待生の条件がどうなっているのかは知らないが、NCAAの規定に反した場合、大学側が授業料免除などの特待を解除する可能性もある。

 

私はこのような無謀な進学(他に野球が強くて勉強レベルがそれほど高くないところはたくさんある)を決めた側よりも、この高校生がCを取らないことを前提として入学許可を出した大学側の責任は非常に重いと思っている。

 

そして最後に今から一年後、私のこのブログが全くの見当違いで、その内容を謝罪することも、ほんのちょっと期待している。

ひょっとすると佐々木クンは大谷の二刀流と同じく、誰もが信じなかったことをやってくれるのかもしれないからだ。

 

追記:

 

このブログを上げた翌日、私の懸念を裏付けるネット記事を見つけた。

 

”佐々木は早ければ3月中に渡米し、入学に向けて語学学習や新生活の準備に着手する見通しだが、(ハーバード大卒のタレント、パックンは)「そこらへんの英会話学校のレベルじゃあ卒業するのは絶対難しいです」と予想した。

スタンフォード大のデービッド・エスカー監督は「佐々木についてはまだ学部や専攻は決まっていない。合格の判定をしたということは、(勉強に)ついていけるという判断を下している。」とオンラインの取材で答えている。”

 

というもの。

 

パックンは卒業が難しい、と言っているが、マスコミが予想している2年でドラフトでプロに転向する、ということも難しい、というのが事実に近い。何故なら、上述した通り、平均値の成績をNCAA指定科目でひとつでも落とせば試合に出場することはできず、当然ドラフトにかかる成績を残すことができないからだ。英会話学校レベルでは無理というのは、実際スタンフォード大学はTOEFLの点数によって、学年がはじまる前の夏学期(キャンパスは事実上夏休み)に強制的に英語のクラスを履修させるが、その内容は英検一級レベルのノンネイティブの英語を、大学の授業で使えるように更にレベルアップするもので、アメスクに通ったわけでも受験英語に没頭したわけでもない日本の高校生が短期間で習得できるレベルには程遠い、という意味だ。

また、監督の発言も、大学が佐々木の学力について当然視していることを表している。

ついでに念押ししておくが、「まだ学部や専攻は決まっていない」というのは、この記事を書いた記者が日本の大学制度の枠内で解釈していることによる。これも上述のとおり、アメリカの大学には学部はない。4年間、一般教養を身につけ、大学院で専門的なものを勉強する。ただ、Major=専攻はあるが、それは例えば、医学大学院を受験するためには、指定の科目でAを取らないといけないので、その方向で履修を決める、という程度のものだ。監督はおそらく佐々木のエッセーを読んでの発言だと思うが、スタートアップの研究はビジネススクールで専門的に学ぶことであり、大学ではそのビジネススクールに入るために、経済原論や関数、統計学などの基礎的な勉強をしなければならない。それを英語でアメリカの最も頭脳明晰な学生たちと競争して平均点を取らなければならないのだが、大学は佐々木がその力がある、という判断をしているのである。

 

もうこうなったら、体力以上の「脳力」があることを祈るしかない。