I and Me | Tokyo〜サクセスライフ2〜

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1日の内の感じたことや出会った出来事などを中心に書いています。


バラエティ番組化する人々 あなたのキャラは、「自分らしい」のか? (廣済堂新書)/廣済堂出版

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やっとこの本を読み終わった。2回読んだけど、本質的に理解と言いますか、ほとんどが自分の考えてきたようなことをちゃんと統計や心理学を元に論じて、僕は答え出せなかったような答えまで全て書いてある。とても素晴らしい本。是非、世間の人みんなに読んで欲しい1冊。


キャラ分け|Today~大学生活~


僕がそのキャラ分けと言いますか、それを上記の記事に軽く書いたんですけど、最初にそれに気づいたのは中学生の時で、塾の帰り道か何かに中学の同級生にあって、塾の友達と中学の友達と板挟みになった時に、当時さほどキャラ的には変わらないし、どちらも本当の自分だと思ってるんだけど、謎の気まずさが胸にこみ上げてきたのを覚えてる。


それから高校に入り、完全に"こういう風にしといたほうが良いんだろうな~"自分の想像上のキャラから、徐々に本音と言いますか、言いたいことや振る舞いをしたりしたんですけど、今、大学生、そして、片足くらい社会に踏み入れたりしてますが、もう本当の自分で生きていくことなんかないだろう。そして、本当の自分って何だろう!?なんて考えてる時に、冒頭に紹介していた本の紹介記事か何かを読んで、考えていたのとジャストしたので購入した。


これから本に書いてあったこととともに自分でまとめみたいなの書きますが


"キャラ=場所の確保"


なんです。例えば、学校のクラスのあるグループとかで生き生きとしている下っ端みたいなのいますが、彼はきっとそのグループのその場所のキャラの居場所の居心地が良いんです。しかし、例えば、本当はこんな自分じゃないんだけど~ 俗に言ういじられキャラとかでそれを受け入れられない人って、その自分というキャラも嫌だし、期待も怖いし、息苦しさがあるんだけど、知らぬ間にそのキャラに当てはまった時点で自分で抜け出しからも知らない。場所の確保というキャラ分けは絶対に必要なんだけど、失敗した時に息苦しさったらありゃしない。


そんなキャラを被ってるまま人と話しても自分がわからないんですよね。そして、相手もキャラ被っていたりしたら尚更わからない。この本にも自己の希薄化なんてことが書いてありましたけど、他人がいるから自分のキャラとか生まれるわけで、そんな時に自分自身で自分を捉えた時に何が残るのか。


自分の存在がない状態で、他人から認められる。その瞬間にある意味キャラ付けされるわけですよね。しかし、そのキャラが自分自身(Iの部分)を投影してるのか、他人から認知されるため(meの部分)キャラとして成立してしまったのかというところが難点で、この本では自分の信じられる人に思ってること考えてることも全部吐き出したところに、自分が見えてくるみたいなこと書いてましたけど…。


一応、2回目はメモ取りながら読んだりしたんですけど、やっぱり上手くアウトプット出来ないし、何が書きたいかわからないし、書くのもう疲れたし…(笑)


だから、キャラって全部自分なんだけど、思ってることと違うことしなきゃいけない側面もあれば、全開で自分出せる環境もあったり、そういうことが続くと、自分自身というのもどこらかキャラとして形成されてんじゃないかって怖さがあって、ふとした時に自分らしさみたいなものを出さなきゃいけない時に、求められてるものをはみ出す量出しちゃったりして、後悔したりダメージ受けたり。


それで良いと僕は思うんですけどね。でも、それも他人から指示受けてとか、自分の意思じゃないように振る舞ってやったほうが自分へのダメージ少なくて楽だったりして、うーん。。


まぁ僕はこの本を読んで自分らしさとは、自分を肯定し続けることしかないと思う。これも難しくて、反省も必要なんですけど、でも、それ以上に自分を肯定することしかないと思う。そして、キャラへの息苦しさとか自分がわからなくなった時は、いつも自分がしているように何もかもぶっ壊すしかないんじゃないかな。何かに依存したいからキャラを被ったり、それで良い人は良いけど、"こう見られたい"な願望がキャラに乗り移るんです。でも、絶対にそれは自分じゃない。憧れに過ぎないから。それになれたところで、自然に生きれないんですよね。それで良い人は良いけど、自分は自然に生きたいから、もうキャラはいいや。。