こんばんは。中井恵美です。
最近読んだ本「ひとりぼっちこそが最強の生存戦略である」
「言葉にできるは武器になる」
そして、今朝読んだ中原先生のブログ、
「生きる」とは「他者とのかかわり」の「両面性」に翻弄されること!?」
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/8091
最近、「ひとり」というキーワードがよく引っかかるようになったのは
娘たちがいない夜が急に増えたからかもしれません。
つい先日、急に思い立って友人の家にお邪魔しました。
(いつも快く受け入れてくれる友人に感謝)
育児真っ最中の彼女の家は
それはそれは賑やかで
彼女は私とたわいのない話をしつつ
次から次へと投げかけられる子どもたちへの対応もしつつ
美味しいコーヒーを淹れるという神業を目の前で見せてくれました。
「あー・・・たまにはひとりになりたい!」とつぶやく彼女を
懐かしいな、私もそう思ったな、大変だよね~、と思いながら
どこか羨ましい気持ちの私もいるのです。
小さいうちは
それこそ全力で母を求めてきていた娘たちも
今となっては気が向いた時だけちょっと寄ってくる程度(笑)
何でも自分でできるよう仕込んだおかげで
私がいなくても全く困らない=私がいなくても平気
それはとても楽だし
そうなるように望んできたんでしょ!と思う一方で
なんとも言えない寂しさを感じる夜だってやっぱりあるんです。
中原先生のブログに出てきた「共感疲労」という言葉
私はこれを読んだ時、お母さんたちが育児に疲れてしまうのは
子どもの気持ちを分かろうとし過ぎるあまり
この「共感疲労」にお母さんたちは陥っているのでは?と思いました。
一方で、1日の中でともすれば誰とも関わらずに済んでしまう今の私が感じる一抹の寂しさは
誰の気持ちにも「共感できない」ことへ感じる寂しさなのかもしれない、とも思いました。
(だってね、本当に朝「おはよう」「いってらっしゃい」+αくらいしか家族とすら会話しない日だってあるんだよ!びっくり。)
きっと誰でも誰かに自分の気持ちを「共感してほしい」
のと同じくらい
誰かの気持ちに「共感したい」気持ちってあるんじゃないかな。
誰かと関わるって時にメンドクサイことも多々あるけれど
そんなことも含めてやっぱり幸せなことだなって思うのです。
子育てはいつか終わる。
もうすぐ来る毎晩の「ひとりぼっち」を楽しめるように
ぼちぼち準備しなくちゃね。