ネパール日記 ~ 人を苦しめるしきたり ~ | まじょねこ日記

まじょねこ日記

魔女の大切な仲間の猫たちの日常をみてください

13日間続いたダッドのお葬式が私たちがネパールに到着した後の5日目に終わりました

その間ママたちは店を閉め

毎日弔問客に食事を出して持て成しをする

これはネワール族のしきたりである

 

仕事や店を休むから収入はない

けれど毎日やってくる弔問客には食事を提供したり土産を持たせたりしなければならない

 

 

お葬式13日目

喪に服すのは一年間だが、取り敢えずこの日が主だった儀式の最終日となる

 

この日ママは私に早めにいらっしゃい、と言った

それは葬式最大の持て成しの日で、

家の近くの広場では模様が描かれた大きな布が3方を囲ったテントが設えられ

中には椅子が並べられ

その中では客人を持て成すべくケイタリングで何種類もの料理が鍋に入れて並べられ

客はビュッフェスタイルで好きなだけ何回もお代わりが出来る

 

 

この銀の鍋それぞれに何種類もの料理が常に温められて入っている

 

この他にもデザートコーナーが設えられ

飲み物やケーキ、ヨーグルトなどが並べられている

 

 

ママが私に早めにいらっしゃい、と言ってくれたのは

大勢の客人がやって来る前にゆっくりと好きな料理を選んで私が食べられるようにとの配慮に違いなく

 

ママは私に食器を渡しながら

好きなものをたくさん食べなさい、と言った

 

だけど魔女は悲しくて食欲もわかず

少しだけの料理を取り分けた

 

 

 

 

親類、友人、知人たちが集まり始め

接待する身内の中に於いて

 

 

ママから悲しみの表情が失せることはなかった

 

 

来るもの拒まずのテントの中

 

 

続々と人々が集まってくる

 

 

 

それは身内だったり

その中にはルナの嫁ぎ先の親や兄妹

同様にラーズの嫁のサンギタの両親や兄弟はティミ村から訪れていた

 

さらにダッドの演奏仲間だったり

そして長い付き合いのマチンドラバハールの人々

 

みな魔女も良く知った人たちで

私もママと共に挨拶に余念がなかった

 

 

マ ティカでお世話になったピタおばさんもいらっしゃいました

 

 

私たちが客人の接待で忙しい中

幼い子供たちの面倒は手の空いた身内がみる

 

 

ルナの夫ラヴィとラーズの息子リバーンス

 

 

交代してラヴィの妹が子供の世話を

 

 

こちらはルナと息子のルビックス

 

 

私もまた、彼らが忙しい時は交代して子どもたちの面倒を見た

 

 

カトマンズに到着した翌日

私はママの家に行き、ラーズに円をRsに両替して香典をとして渡した

ラーズは驚き、それを拒否したが

ここは日本式のやり方をさせて欲しい、と、無理やりラーズに香典を押し付けた

 

以前にも書いたが

13日間に渡ってお悔やみにやって来る人々を料理で持て成し続けるのであるが

ここには香典の習慣がない

 

喪主たちは、その間ただただ散財を続けるしかないのだ

終盤にはヒンドゥーのお坊さんが祈りに来る日があるのだけど

現金がないからと、ママは金のピアスやブレスレット、そして私がプレゼントして毎日指に着けていた金の指輪をもお坊さんに言われて差し出すしかなかった

 

 

13日間の葬式が終わった後、ママの部屋はお菓子や果物、飲み物で溢れ、寝る場所もない有様で・・

 

 

部屋中に溢れるこれらのものを、大きな袋にいっぱい詰めて

葬式に訪れてくれた人々に配りまくるのだ

 

マッマと一緒に袋詰めをしながら・・

魔女はなんか納得がいかない気持ちを拭えないでいた

 

 

人がひとり亡くなれば、もし貧しい家なら破産する

それでも人々はこの習慣をやめない

しきたりを中止すると言うことは、この国ではなまじじゃない

 

 

ラクちゃんの妻のプナムの父親が亡くなった時

ラクちゃんはこの習慣の中止を強く進言した

 

しかし妻の実家であるので強制することも出来ず

それでもその中のいくつかの行事を端折り、肉を提供することを止めさせたという

 

この話になるとラクちゃんは眉間に皺を寄せ

「人を苦しませるような悪習慣は止めるべきだ!」 と怒りを顕わにする

 

 

ダッドが亡くなり、ママの家は苦しくなった

誰も私に言わないが、ひょっとしたら借金をしているかも知れない

 

ルナが日本に出稼ぎに来ようか・・ と考えている

 

家族ひとりの死が生きて残された家族みなを苦しめる

それは死者にとっても決して本望ではなかろう、と思う

 

多くの人がそれで苦しんでいるというのに

習慣、しきたりを変えることがこの国、民族では至難であるという現実を

やりきれない思いで見詰めなければならないことにジレンマを感じる自分がいる