本日は再度建築中のダリット女性のための 『希望の家』 について書きます
再度建築中、と言うのは
2年前の4月に完成した『希望の家』 が、私どもに何ら通達もないままネパール援助と称した中国の無駄な道路拡張工事によって取り壊されてしまったから
2013年、『希望の家』 完成の時のブログはこちら → ★
2014年、取り壊し直前のダリット女性たちと、『希望の家』 のブログはこちらから → ★
なんの保証もされず、完成から僅か1年で取り壊された 『希望の家』
無駄にしたお金と労力を思い、あの時の私たちの悔しさと落胆は半端なかった
しかし、女性たちは諦めることなく
働き、さらに援助を求めて各地を駆け回り
私もまた良き協力者を得
双方の努力で昨年5月に新たな場所に土地を購入した
その土地は道路から更に登ったところにあって、金輪際道路拡張の影響は受けない所だ
そしてこの土地は以前のところより更に広いものだった
また一からの出発だ
彼女たちの必死の努力で新たな 『希望の家』 の建築が始まった
壊された家にすべてのお金をつぎ込んだ私たちにはもうまとまった資金がなく
多少のお金が手に入ると、それを建築資金に充てる、という地道さだった
だから建築はゆっくりと
だが、確実に進んでいた
前の家のように建物全てにコンクリを使うほどのお金はもうないので
今度の家は女性たちが畑仕事の合間に自らも手伝ってセメントとレンガを積み上げて、少しずつ造リ始めた
そうして基礎工事を終えて壁が出来き上がり
やっと屋根を乗せるところまでいったのが着工を始めて約1年後の今年の4月
そんな中・・
ネパール大震災が起こった
そして村とは連絡が取れなくなった
この村は震源地に近く
私の心は不安で溢れた
大震災から1ヶ月以上が経った5月31日、私の元に1本の電話が入った
それはこの村出身の友人からで、この日起こった日本での地震のニュースを聞いて私の無事を案じてくれたものだった
同時に、私はやっと村の様子を知ることになる
村人たちはほぼ無事だった
以前コンクリ造りに改修した学校が堅牢だったので、村人はそこに避難したとのこと
それにより犠牲者は殆どなかったが、各家屋にはダメージがあったようだ
そうして・・
建築途中だった 『希望の家』 も壁が崩れてしまったとのこと
次から次へと襲ってくる困難に、私は頭を抱えてしまったが
女性たちはそれでも諦めなかった
7月16日
現地から写真が届く
それを見て私は驚いた
私が日本で頭を抱えている間にも
彼女たちは必至で 『希望の家』 を建て直していたのだ
聞くと
残すは虎の侵入を防ぐ為に鉄のブラインド風の桟がついた窓枠
外壁の塗装
村人の衛生面を考慮してトイレ(これは村人も使う)
そして備品と読み書き計算のための教科書やノートが必要らしい
しかしここで資金が尽きたようだ
ここまで自分たちの手で頑張ったのだから後はこちらで完成させようと思う
10月、現地に行って残りの手はずを整えてくるつもりだ
それにしても、虐げられた生活から立ち上がろうとする女性たちの力には凄まじいものがある