不合格体験記 Ⅱの続き

 


私は中学受験に失敗し、地元公立中学に進学することになった…するしかなかった。


私の父も医師。

職場では私と同い年の息子さんや娘さんがいたようで、よそ様の聞きたくない中学受験の話が我が家でチラホラ。

私に聞かせるつもりは決してなかったと思うが、嫌でも話が耳に入ってくる・・・。

聞くまい、聞きたくないと思っていても気になってしまう。

「~先生の息子さんが麻布で、~先生の娘さん雙葉で・・・」などなど。

受験前であれば、中には羨ましくも何とも思わないような学校の名もあったが・・・それでも羨ましかった。

そんなんだったら塾から勧められた学校を受験しておけば良かったかな、と思う日々。

 

地元公立中学入学の日まで、こんなはずじゃなかったと思いながら過ごしてきたが、いざ制服に袖を通したときは嬉しかった覚えがある。

入学式に父の姿はなかった。

そう言えば小学校の卒業式にも父の姿はなかった。

何故?

まあ来て欲しくなかったから良かったのだが・・・

仕事が忙しくて?

気持ち的な理由?

子供ながらに気にはなった。

見捨てられたのかな?

 

入学式までの道中、変な緊張感があった。

地元中学に行く予定のなかった人間が行くことで、みんなから好奇の目でみられるのでは、と。

でも現実は違った。

そこは小学校から知った仲。

お前が何故ここにいるの?なんて野暮なことを言う奴はいなく、友人たちは温かく接してくれた。

 

中学入学してから平穏な日々が続いていたが、まだ6月某日のこと。

学校帰り、家の近くで母が誰かと話していた。

ここら辺では見慣れぬ制服を着た学生。

近づくとだんだん見えてくる独特な詰め襟の制服・・・駒場東邦中学に進学した同級生。

まだピカピカの制服姿がまぶしく見えた。

二人とも笑顔で話していた。


私は二人の視界に入らないように自宅に戻った。

その後、母が帰ってきた。

  私 「~(駒東野郎)と話してたね。何、話してたの?」

  母 「別に」

  私 「なんか笑ってたけど」

  母 「そう?」

  私 「隠すこと?」

  母 「何も楽しいことなんかないわよ」(怒)

私も聞きたいわけじゃなかったが自分のイライラを隠すつもりで追求してしまった形になり、結果的に泥沼に入り自爆。

普段温厚な母を怒らせてしまった。

受験全てに失敗したときも、その後も優しくしてくれた母を怒らせてしまった。

私の受験失敗を母は引きずってることを再確認してしまった思いがして自己嫌悪。

 

それを機に…ではないが、とにかく高校受験で挽回して中学受験の汚名を返上しようと心に決めたずだったが、燃え尽き症候群?もともとの勉強嫌い?が災いして全く勉強に身が入らず、初めての中間テストを迎えた。

結果はTOP3に。

今考えれば、当たり前の話。

優秀な子はみんな私立に進学してしまい敵という敵はいなく、中学受験で嫌というほど勉強してきて知識貯金は誰よりもある。

それでも1位になれなかったのは、中学受験には関係なく、中学校から始まった「英語」が大きく足を引っ張った。

ただ、勉強しなくても学校順位が良かったことでますます勉強しなくなり・・・次の期末試験では学年の真ん中ぐらいまで順位が急下降。

その後も再浮上することなく、とうとう赤点をとるまでに。

両親は諦めたのか、私に何も言わなくなった。

赤点のテストを持って母が声を漏らさないように人知れず泣いてる姿を見てしまったときはとても辛かった。

でもやさぐれてしまった私の心には長く響かず、その辛く思う気持ちはその場限りで封印。

 

小学校から仲の良かった友達の何人かがいわゆる不良になっていき、私もその中に足を踏み入れることに。

 

つづく。