前回の不合格体験記の続き。
衝撃的な父親の涙の影響を引きずる中、さらなる試練が・・・
当時は個人情報保護法なんてない時代で、N能研は合格者一覧を掲載したチラシを2月下旬に新聞に折り込んでいた。
そこには合格校、氏名、所属小学校の記載が。
入試・合格発表の嵐も過ぎ去ったある朝、私の名前が載っていない、そのチラシを見た。
そこには同じ小学校の同級生たちの名前がいくつも見受けられた。
あいつ、あそこ受かったんだ・・・
そんな発見を繰り返しているうちにますます惨めな気持ちに・・・
学校に行きたくない。
でも、親に言えない。
悲しむ顔はもう見たくなかった。
そんな行きたくない学校には不思議なくらいあっという間に着く。
教室に入る。
案の定、見たくもないチラシを持っている奴がいる。
こちらを見る。
名前ないけど、どした?と。
そいつはN能研を通ってないどころか、中学受験すらしていない。
ただの興味本位・・・残酷な興味本位。
私は何と言って返したんだろう?
とにかく何を言われても笑っていようと思っていたのは覚えている。
私に興味を失った悪ガキは通りがかる合格者たちを何人も捕まえては盛り上がっていた。
その中の一人が「ギリギリ受かった、どこも受からなかったら(小)学校来れなかったよ」と。
私と視線がぶつかる、彼は気にするそぶりもなく視線を外した。
その言葉で息苦しさを覚えたけど、私は笑顔のまま・・・あの瞬間、うまく笑えていただろうか。
それから卒業遠足。
その時撮った数少ない写真・・・他のヒトにどう見えるか分からないけど、自分の顔はどれも苦し紛れの作り笑顔にしか見えない、私には。
そして、卒業式が無事終わり、最後のホームルーム。
担任が終わり間際に、「みんなと一緒の(地元)中学に行かないヒトは起立して下さい」と。
その一人一人が何かコメントしたんだろうか。
何も聞こえない・・・聞いた覚えがない。
私は顔を上げられず下を向いたまま、教室の後ろにいる母はどんな顔してるんだろう。
情けない息子でゴメン・・・
あれから何年、何十年も時が過ぎた
あの当時はこの世の終わりに近い思いを抱いたが、ここまでの人生を振り返り、今思えば単なる通過点
勿論、立ち直るまでにいろいろあったが・・・(いずれブログで書きたいと思います)
私の子供達に中学受験を直前にしたときに言った。
全部落ちても死ぬわけじゃない、家族と離ればなれになるわけじゃない。
目の前に全部落ちた人間(私)もいるけど、こんなに元気だ、と
余談。
ギリギリ受かったと言って私に息苦しさを与えてくれた上述の彼とは某大学病院で思わぬ形で再会した。
製薬会社勤務の彼は気付いていなかった、ペコペコしている目の前の相手が私だっていうことを。
未だに明かしていない。
逆の立場だったら、私も彼のことを覚えていなかったんだろうか。