息子ではなく、私の話。

数年前のブログを手直して再出。



埼玉・千葉を皮切りに中学受験が本格的に始まりましたね。

来週には東京、神奈川も解禁。

1ヶ月も経たないうちに、3年間の成果が出揃います。

頑張ってきた期間は、ヒトによってはそれよりも長かったり短かったり。

そして、結果も人それぞれ…

希望が叶う人も叶わない人も…

希望が叶わなかった人の中でも・・・

上位志望校進学と下位志望校進学の差以上に、一つでも合格できた子とどこにも合格できなかった子には大きな差があります。

 

 

今から約40年前、私の小学生時代はSAPIX、早稲田アカデミーなどはなくN能研が全盛の時代。

Nかばんはその当時からあったが、今のようなリュックタイプではなく布地の肩掛けタイプ。

その頃は、それが眩しく格好良く見えた。

 

入塾のきっかけは親に無理やり受けさせられた全国無料テスト。

そこでまずまずの成績を残し、成績順に名前が載った冊子に感銘を受けた。

 

その後の詳細は省くが入塾後、日曜テスト(今で言うカリテ)や全国公開模試で全国100番以内も時々あり、塾で一番上のクラスをキープしていたことで、かなり強気な志望校で固めた。

 

結果は全敗という大惨敗。

 

全て不合格になった時点で塾から某中学校の二次募集?三次募集?を受けないかと電話連絡があった。

受ければ受かりますという塾からの謎の保証付き。

その学校は勿論、今も健在、ちなみに去年の東大合格者数は二桁。

この件に関して、その数年後「塾と学校の癒着」で週刊誌の記事になっていた。

今のご時世にこんなことは絶対にないと思うが。

 

失意のどん底にいた私は受験する気力もなく、がっかりモードの父も、塾から勧められたその学校を行く価値がない学校だと切り捨て、その話はその場で断った。

 

その後も両親は繰り上がり合格が来ることを信じて、自宅の電話が鳴る日を待っていた。

そんな両親の姿を見るのがとても辛かった。

私には分かっていた。

絶対に連絡が来ないことを。

どの学校も受けた時点で落ちたことを確信してた…それぐらい手応えは全くなかった。

初戦の2月1日であまりのできなさに頭の中が真っ白になり、それ以降は負の連鎖で雪崩現象。

最後の受験は、試験会場に行くのが怖くてたまらなかった。

 

2月の半ばを過ぎた頃、両親は繰り上がり合格を待つことを諦めた。

そして、父は私の前で声をあげて泣いた。

中学受験に失敗したことよりも父の涙のほうがショックだった。

私は親を泣かすダメ人間なんだと烙印を押された気がして・・・

 

つづく。