病院に戻り、暫くして会長の容態は急変し、その夜遅く、会長は亡くなった。
ジェジュンにかつて話したように、最後の役目を果たしユンホの社長就任を見届けて安堵し力尽き、最後の糸が切れた操り人形のように崩れた。
ジェジュンには、その数時間のことが信じられなかった。
会社を出るときに玄関まで送りに来たユンホが、「俺も行く」と言って助手席に乗り込んだ。
ジェジュンは後部座席で会長の体を支えていたが、その時点では、会長もユンホに対し「大袈裟だ」と話す程度の元気があった。
病院では待機していたストレッチャーに移され病室に行き、ジェジュンは看護師と共に着替えを手伝った。
会長の体をベッドに横たえた直後、会長が胸を押さえ、呼吸も「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と引き攣るようなものになったので、ジェジュンは看護師と医師にベッドの脇から追いやられ、背後から慌ただしく動く看護師たちを呆然と見つめていた。
会長の口には酸素マスクがされ、ベッドサイドにはモニターが設置され、会長にはいくつかのチュウブや線が繋がれていて痛々しかった。医師の一人がユンホに近づいて来た。
「覚悟してください。今、機械で呼吸を補助していますが、発作が起きればもうどうすることもできません。もし、どなたか会わせたい方がいらっしゃれば早めにご連絡ください。」
「・・・わかりました。」
医師と看護師たちが出て行くと、ユンホはフラフラとベッドサイドに歩み寄り、椅子に腰かけた。
顔を歪めながら会長を見つめていたが、やがて唇を噛み締めた。
「どうして・・・どうして・・・こんなになるまで黙っていたんですか?・・・まだ・・・・まだ・・・沢山、教えて欲しいことがあったのに・・・。これから、私は…一体…誰を見て進めばいいのでしょうか?何故、爺さんは俺にはそうやって・・・厳しいんだ。」
堰を切ったように溢れだすユンホの言葉。ユンホはベッドに頭を伏した。
ジェジュンがそっとユンホに近づき肩に手を置くと、ユンホが顔を上げ振り向いた。ユンホの目には薄く膜が張っているように見えた。
「チャンミンとユチョン、そして秘書室長に連絡をしようと思いますが・・・。」
「ああ・・・そうしてくれ・・・。」
ジェジュンは病室にいるのも憚られたので、廊下の壁にもたれていた。自分ができることはないものの、ユンホを1人にしてこの場を離れていいのかどうかわからずいると、チャンミンとユチョンが息を切らしてやって来た。
「ジェジュン、お爺様は・・・。」
「眠っていらっしゃる。医師の話だと、今度、発作が起きたら打つ手はないと・・・・。」
チャンミンが「そんな」と小さく呟いた。
「兄さんは?」
「中に・・・」
チャンミンが病室に入ってもユチョンは中に入ろうとはせず、ジェジュンの隣に立った。
「入らないのか?」
「…もう少しここにいるよ。」
天井を見上げたユチョンが、たどたどしく言葉を発した。
「皮肉だ・・・。俺が…爺さんに…協力した日に、こんなことになるなんて・・・。」
「・・・少し前からわかっていたんだ。」
ユチョンの眼球がゆっくりとジェジュンに向けられた。ジェジュンにはその黒目が震えているように見えた。
「会長は株主総会が最後の仕事になるだろうと言っていた。多分、今日の日が終わるまで必死に生きようとされていたのだと思う。」
「そうか・・・ジェジュンは知っていたんだ。俺って・・・馬鹿だよな。恩のある会長の思いも知らず・・・。」
「・・・そんな風に自分を責めるなよ。会長はユチョンがああして意志を示してくれて嬉しかったと思うよ。」
「でも・・・いたずらに心配をかけた。会長は年をとろうが、病気になろうが、あの人がその気になれば不可能はない、無敵の人だと思っていたんだ。・・・子供みたいだよな。ユンホは?チャンミンは?会長が危ない状況だって知っていたのか?」
「どうだろう。専務は知らなかったと思う。」
ユチョンの肩が小さく上下する。そしてクツクッと笑いを堪えたような声が漏れ聞こえた。
「ここにも・・・皮肉がある。・・・ジェジュンは、仇と思っている相手に絶大な信頼を寄せられていた訳だ。」
「・・・・。」
ジェジュンは不謹慎とは思いつつ苦笑いするしかなかった。
「・・・こんなところにいないで、ユチョンも中に入った方がいい。いつ容態が変わるとも限らないから。」
ジェジュンに促されユチョンは中に入って行った。それから5分も経たなかっただろう。
「爺さん」
「お爺様」
怒号のような叫び声が聞こえ、廊下を慌ただしく医師と看護師たちが駆けてきた。
ジェジュンはこめかみをつまみ、首を左右に動かし短く溜息をついた。
10日後に社葬が執り行われることになり、チョン家では、親族、親しい知人を対象として葬儀を行ったので、ジェジュンも準備からずっとかかりききだった。
会長が亡くなってからというもの、ユンホはまるで魂の抜けた人形のようだった。人前では喪主としての役目を果たしていたけれど、参列者が途切れた短い間、ユンホの心をどこかに置きか忘れたような虚ろな目をしていた。
そして、チャンミンもまた、いくらしっかりしているとは言え突然のことに心の整理ができていない様子で、いつものようなそつのなさは発揮されていなかった。
親族、親しい知人と言ってもそれなりの家柄で、仕事以外の付き合いのあった会長だったので参列者も多かった。漸く葬儀と埋葬も終わり、チョン家に戻り一息ついていた。
チャンミンとユンホは帰宅するや、それぞれ2階の自室に行き、秘書室長とは墓地で別れた。
誰もいないに等しい他人の家に居るのも居心地が悪い。
斎場から持ち帰った香典や弔電を整理したら、ジェジュンも帰ろうと思い、疲れた体に「もう少し」と喝を入れ、作業に取り掛かった。
「カタン」
背後で音がしてドアが開いたのでジェジュンが振り返ると、目を赤くしたチャンミンが立っていた。