最低な人間でいい | さとうの頭の中の記録

さとうの頭の中の記録

心配性で気にしい、いつも周りの顔色を伺って“実在しない空気”を読んで‥厳しい自分責めの中を生きてた私が、穏やかで楽しい日々を生きられるようになるまでの心の変化を投稿していきます☺︎

ここに辿り着いてくれた方が平穏な一日を過ごせますように☆


こんにちは!



潰瘍性大腸炎歴15年、さとうです爆笑






















ここから書く内容はあくまで私の体験談です。

心理学的に見ると、

矛盾するところや言葉足らずなところが

あるかも知れません。

こんな人もいるんだなー、くらいの

軽い気持ちで読んでもらえるとありがたいです{emoji:ニコニコ}











今回は最終ステップの紹介しますウインク






STEP.4“正解”通りに生きられない自分を許す





私の場合、自分が言って欲しい言葉を自分にかけてあげると、

ホッとしたり、涙が出たり、あたたかい気持ちになる反面、


そう思ってはいけないんじゃないかという気持ちも同時に出てくることが多くあります。




なぜなら、

私が言って欲しい言葉は、世間の正解から大きくズレていることもあるからです。





働かなくてもいいよ


何もがんばらなくていいよ


自分を一番に優先していいよ






確かにこう言ってもらえたらうれしいけど。






‥‥いやいや、そんな訳ないじゃん!!





今はまだいいかも知れないけど、





働かなきゃ生きていけないし!


ずっとがんばらないなんてできるはずないし!


周りから見たらただのわがままじゃん!






ステップ③を実行していると、私はこういう葛藤が本当によく起こります笑い泣き






それでも自分の言って欲しい言葉を自分にかけてあげ続けることが大切です。


続けることで効果が出てきて、どんどん生きやすくなると知っているから、

根気よく、自分に声をかけてあげるのです。






だけど、本当ーに難しいえーん






他人軸(他人優先、世間優先)で生きてきた期間が長い影響もあるし、

他人や世間(ネット上を含む)の反応からたくさんの“正解”を作ってきて、

“正解”の行動をすることでずっと自分を守ってきたのだから、

自分が楽になる考え方を優先できなくて当然だと思います。







ここで役に立ったのが『許し』でした。







 どんな『私』も『許す』と決める




どんな最低なことを思っても、

どんな酷いことを考えても、

それが例え誰かを傷付け否定する言葉であっても、


私が“そう思うこと”“許す”のです。




この場合の“許す”とは“それでよい”という意味以外に、

“ありのままの私を認める”という意味も持たせています。


この“認める”には肯定も否定も含みません





では“ありのままの私を認める”とは具体的にどういうことか。




それは“私の事情を理解する”ということです。




人はみんな自分に起きてきたことの全てを、

一番近くでずっと見てきていますよね。


だから、自分の気持ちを本当の意味でわかってあげられるのは自分以外にいないのです。





たとえば、

傷付く言葉を言われたり

無理して我慢してがんばったり

理不尽な目にあった時。


自分の気持ちを抑圧して、

その場では笑顔でやり過ごしたり

自分を犠牲にしてまで周りのためにがんばったり

大人の対応で大ごとにせず対処したり。


あるいは、

傷付く言葉を言い返したり嫌味や陰口を言ってしまって、

そんな自分を強く責めることで自分に罰を与えたり。



いずれの場合も、

自分がその時できる精一杯の対応をしてきた自分を、自分が一番近くで見ているのです。



我慢して我慢して、飲み込んで飲み込んで、

なかったことにしてきた気持ちたちや、

やってしまったことを責められ続けて、

そうせざるを得なかった事情をわかってもらえなかった気持ちたち。



いずれにしてもありのままに感じる事を許されず、

何十年も自分の中に消化不良のまま溜め込んできた気持ちたちがあることは、私が一番よくわかっているはずです。





『そりゃあそう言いたくなるわなぁ笑い泣き





↑この視点が“私の事情を理解する”です





客観的事実だけを見れば、大したことのない出来事でも、

相手の言い方や場の雰囲気、日頃の関係性、

それらを自分がどう感じて、どう対応してきたのか、

その全てを知っているのは自分だけです。




客観的事実(本当は誰が悪かったか、言葉の真意など)は一切関係ありません!




自分がどう感じて、どんな思いで行動してきたのかを、

自分がわかってあげないと何もはじまりません。




どう感じたのかを聞いてあげる。

全ての言動に言い訳をさせてあげる。




とことん、『私』に事情を説明させてあげるのです。











私は潰瘍性大腸炎がひどい状態でも、

便漏れをしながら働き続けていました。

休日は一日中寝るだけで何のために生きているのかわからず、毎日が本当に苦しかったです。



仕事を辞めた当時は、職種や雇用形態が合わなかったのかと思い、

パート勤務や簡単な作業の仕事などをしてみましたが、いつも潰瘍性大腸炎がひどくなって辞めることになりました。


何度か転職を繰り返すうちに、とうとう働こうとするだけで潰瘍性大腸炎が再燃するようになってしまいました。




働くこと=つらく苦しいこと




この思考が根付いてしまっているようです。




それに加えて、私は働かない自分をとても強く責めていたので、

ますます潰瘍性大腸炎という“働かなくていい言い訳”が必要となってしまいました。






だから私は今、一生懸命毎日自分に声をかけています。






今まで大変だったね。

体が大変なのに働き続けてきたんだから、そう思ってしまうのは当たり前だよ。

働かなくてもいいよ!

働かなくても生きていけるよ!

病気に頼らなくてもやりたくないことはやらなくていいんだよ!




世間では、病気もなく元気に生きている大人が、

働かずに誰かのお金で生きる事は悪いことのように言われますよね。




『だけど、そう思わない人もいる。』




この視点は私を救ってくれました。



多くの人はそう思うかもしれないけど、そう思わない人もいる。

どちらの立場で生きても良いなら、私はどちらで生きていきたいか。



何かあるたびに、この視点を持っているととても生きやすくなりました。



何を正解として生きていくのかは、自分で選べるのです!




ありがたいことに、

私は今、働かなくても生きていけています。

私を責める人は周りには一人もいません。




つまり現実に問題はひとつも起きていないのです。






私を生きづらくしているのは、いつでも私です。




世間の常識を、多くの人が持つ意見を正解にしてきたのは私です。




だからこそ、

私はわたしのために、私がよろこぶ思考を選択して生きていこうと決めました。





まだまだ練習中で、一進一退の毎日ですが、

以前と比べるとずっと生きやすくなっていることは実感しています照れラブラブ






今、潰瘍性大腸炎が悪化していて、4度目の血栓症も発症しています笑い泣き



でもふつうに生活できてるんですよね!



必要以上に深刻にとらえず、できることを地道に行いながら生活していきたいと思っていますキラキラ




まだまだ自分を責める声や世間の声がうるさい日もあるけど、

少しずつ!自分を助けていくぞー爆笑ハート