今年の3、4月はPLAYDUCEや

子宮推命アンバサダープログラムが始まった。

 

私も含めて関わり合う人々皆が

次のステージへと進む段階の中で、

私自身もう一度真剣に

自分の本質と向き合っています。

 

 

今までは、自分の性質と

向き合ってきたように思う。

 

私にはきっとこういう可能性があって、

こんな本性があって、

だからこんなことが起きて、

そういうの全部含めて私!

 

 

っていう。

 

 

でも今は、

本質と向き合ってる。

 

 

そして少しずつ理解してきたことは、

本質と繋がっていれば、

自分の性質は愛によって働くのだな。

 

ということ。

 

 

 

 

 

この数年でいつの間にか、

「お金がない」が口癖に。

「お金がない」が言い訳になっていた。

 

そうして、

「こんなでっかい買い物しておいてよく言う」

とも思っていた。

 

 

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でも本当にお金はないし。

でも何だかんだ生きているし。

 

だからこのパターンって一体なんだろう?

って思っていた。

 

 

 

そうして思い出したのがこれ。

 

 

 

 

「お金がない」

とよく聞いて育ってきた。

 

それでいつも2人は喧嘩していた。

 

 

だけど、それでも、

うちのお父さんとお母さんは3人産んだ。

 

 

お金がないと言いながら、

それでももう一人産んだから

今私の隣には弟と妹がいる。

 

 

 

私たちは生まれてきた。

 

だって、

産んでくれた人がいたから。

 

 

 

「大変だ」

「これからどうするんだ」

小さい頃、

そんな言葉ばかりを聞いていた気がする。

 

 

だけどもっと振り返れば、

大変になることは覚悟の上で、

生まれたことを喜んでくれた。

 

大変なときがあっても、愛してくれた。

 

 

 

私はまだ、

子供を産むなんて想像もできない。

 

 

お金を生み出すことよりも、

一人の人を生むことの方が

遥かにすごいことだ。

 

仕事の責任とは比べものにならないほど、

親であることの方が大きなものだ。

 

 

 

すべての父親、母親を、

今、心から尊敬します。

 

生んでくれてありがとう。

 

 

居場所は自分で作れるけど、

生まれてこなければ何もない。

 

 

この世に誕生するという、

この生命の始まりは、

私には起こせない尊いものなのだ。

 

 

 

生まれた後のその先の大変さは

きっと百も承知の上で、

その大変さもひっくるめて

すべてを喜びに変えた

父と母は偉大だなと思った。

 

そう思ったら、

その先どんなに大変であろうとも、

それは大きな愛の中で起きている

些細なことに過ぎないのだなと。

 

 

そう思いながら、

 

私がマノアを建てよう!

って思ったのだって、

大変なのは百も承知だったんだ。

 

その大変さもひっくるめて、

完成したその先の未来に

純粋に期待してたことを思い出した。

 

 

 

そう、だから決めたんだった。

 

 

 

見切り発車だと思っていたけど、

あの時の私の決断は、

大きな愛によるものだったのだと。

 

そう思っていいんじゃないかと思った。

 

 

 

 

そうであれば、

大変なこともたくさんあったし、

きっとこれからもあると思うけど、

 

それらすべては、

「建てよう」と決めた

大きな愛の中で起きている

些細なことに過ぎないんだ。

 

 

 

 

そんな学びのあと不意に、

愛とは決して主張してくるものでは

ないことにも気付く。

 

 

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PLAYDUCE1期メンバーの

パワフルさを感じた

トランスフォーメーションゲーム。

 

この時間の私は、口を挟むことなく、

約8時間、ただ見守るという役割に徹していた。

 

 

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8時間口を挟まず、

ただ見ているだけなんて

私に出来るんだろか。

 

始まる前は若干そんな思いもあった。

 

だけど始まってしまえば、

そんな思いはどこかに吹き飛び、

ゲームを通して起きるどんな展開であっても、

全てはその人の癒しと成長でしかないことを、

私はゲーム経験者だから知っていた。

 

 

そんな、プレイヤーでもなく、

ファシリテーター(まとめ役)でもなく、

その外側という視点を体験しながら、

 

“きっとこの世界にはこんな風に、

私たちが一生懸命生きて成長していく様子を、

温かく見守ってくれている大きな存在がいるのだ”

と思っていた。

 

 

「何があっても大丈夫。

あなたは今どんな状況であれ、

必ず良い方向に向かっている」

 

 

そんな風に声をかけ続けながら、

絶対的な信頼という愛が、

私たちをいつも優しく守っているんだ。

 

 

自分がその役になってみたことで、

「いつも”ここ”にいたんだ」と、

その存在を感じることが出来た。

 

 

 

 

8年ぶりに実家に帰ることになった。

 

 

毎年恒例のネモフィラを見に。

 

 

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2匹目を飼ったとき、

↑この子がショックを受けて

具合が悪くなってしまって、

 

それからたまにこの子だけの、

”特別”な時間を作るようにしていた。

 

 

ネモフィラもその特別の一つ。

 

 

だけど今年は、

みんなで行ってみた。

 

 

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最初の頃は本当に、

2匹が仲良くなるのは難しいと思っていた。

 

だから、3年目にして、

こうしてみんなで一緒に来れたことが

本当に嬉しかったんだ。

 

 

そんな喜びに浸っていたら、

私は、大好きだから、

「ごめんね」って

思っていたのだと気付く。

 

 

だから特別な時間を作るし、

ケアをする。

 

だって私が悪いんだからって。

 

 

 

もうそれ、要らないんだなぁ。

 

 

 

この時の帰省では、

一番初めに飼ったジローの

お墓詣りにも行ったのだけど、

 

 

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8年前に亡くなったジローに対しても、

たくさんの後悔を抱えていたことに

気付いたのは今年の初めで。

 

 

 

今この子たちとの時間があるのは、

 

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ジローがいたからで、

ジローが教えてくれたこと、

8年経った今もなおこうして

与え続けてくれていることがたくさんある。

 

あんなに小さな身体だったのに、

なんて大きな存在なんだろう!

 

 

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ジローとの思い出は、

後悔と痛みばかりだったけど、

全ての思い出に感謝することが出来て、

それを伝えることが出来てよかった。

 

と同時に、

過去の自分の態度や言動に、

思った以上にたくさんの後悔と

反省をしていることに気付く。

 

 

でも、だからこそ、

「もう繰り返すまい」という強い信念が、

私をここまで連れて来てくれたのだと思った。

 

 

そんな私の真面目さと、

自分の過ちを認められた素直さは、

私の強みじゃないかと、

 

そんな風に、

このタイミングで自分の正財と養を

「よくやったね、もういいよ」と、

解放してあげれたんだ。

 

 

 

 

これからは、

後悔と反省によって働くのではなく、

もっと自由に働いていいよ!って。

 

 

そう思いながら、

実家の小さなお風呂に浸かっていたら、

 

”何もない”と思っていた実家は、

ささやかな幸せが

たくさん溢れている場所だと気付く。

 

 

私はここで、

愛されながら育ってきたのだな。

 

 

久しぶりの実家で過ごす、

何気ない時間の中で思い出す

記憶の断片を見つめていた。

 

 

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そして、8年前の私が、

21日参拝した神社の神様が、

「育むこと」をサポートしてくれる

神様だったことを知る。

 

 

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8年前から私は、

何を育んでいたのか・・・

 

そう思ったら、

「あっ」と声が出た。

 

 

 

私はあの日から、

自分への愛を育んでいたんだ。

 

 

 

自分を肯定したくて、

自分を好きになりたくて、

自分に自信が欲しかった。

 

 

 

そうなれるように、

たくさんチャレンジをしてきた。

 

 

 

私の8年間の全ての瞬間は、

自分への愛で出来ている。

 

 

 

私はこの8年間、

自分を愛してきたんだ。


 

 

 

私は、

私を愛したいのではなく、

もうすでに愛している。

 

 

これに気付いたときに私の中で、

大きく視点が変わったのを感じた。

 

だって、

無いと思っていたものが、

実はすでに在ったんだから。

 

 

じゃあこれからの私は、

マノアとともに、

他者との愛を育んでいこう。

 

 

そう思った時に、

マノアの渡り廊下が繋がった。

 

 

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案外私は人間関係を

諦めている部分があった。

 

 

「どうせ分からないだろう」

「どうせ人は変わるし、いなくなる」

 

奥底で、そんな思いが浮き沈みする。

 

 

 

PLAYDUCEメンバーの

オリリンとゆりちゃんと飲みに行ったのは、

実はそんなタイミングだったんだよね。

 

 

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長年ずっと見てくれているゆりちゃんと、

最近出会ったオリリン。

 

 

 

実はしてるようでして来なかった

この話↓

 

 

 

ブログにはリアルタイムで

全部書いているんだけど、

 

 

あまりにも非現実的すぎるから

あんまり言うのやめておこう。

と、一応ね、自分なりに

控えめにしてきたつもりの話。

(どこが!と言われるかも)

 

 

でも2人に話したら、

「あーだからか!」みたいな反応で。

 

 

 

 

ゆりちゃんに、

 

「それ聞いたら全部が繋がった!

なんであんなに諦めないで頑張れるのかな?

って思っていたけど、

舞ちゃんの中で確信があったんだね!」

 

って言われて、

 

「そう…そう!確信があったの!」

 

と私の中が光で満ちたのです。

 

 

私の中のあれは確信だったんだって、

ゆりちゃんに言われて気付く…!

 

 

だけど私の頭が、

それを信じ切れなかったんだ。

なんか色々大変だったのは、

確信を疑っていたからだったんだ!

 

 

てか、確信を疑うって何泣き笑い

 

 

 

そんな気付きが起きてからの、

さらにはこちらも

PLAYDUCEメンバーとの時間の中で、

 

 

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マノアの3年半の中で、

人に傷付いた出来事が色々あって、

今だから言える話。

みたいなのを二件目で話したんだけど、

 

その時にマッキーが、

「絶対そんなの傷付くし、

恨んでもおかしくないのに、

そんな素振り全く見えなかった」

「懐深いですね」

 

みたいな、

そんな言葉が印象に残ってて。

 

 

 

そうなんだ、と思ったの。

 

そしてここの想いへ至る↓

 

 

 

誰かを嫌いになるたびに、

自分のことが嫌になる。

 

誰かを恨むたびに、自分が苦しくなる。

 

もう私は、

自分のことを嫌いになりたくないし、

自分を苦しめたくない。

 

 

だから、そのためには

自分と向き合うしかないのだと思ってる。

 

 

自分の中で答えを見つけて、

自分自身が成長して、

起きた出来事すべてに意味があるのだと、

そう思えるくらい、起きた出来事からすべてを受け取れる自分であれたら…

 

 

私はもう誰も嫌いになったり

恨んだりしなくていいし、

 

それはつまり、

自分自身のことを嫌いになったり、

恨んだりしなくていいんだ。

 

 

だから私は、

自分と向き合うことを、

とてもとても大切にしてる。

 

 

 

っっということは、

私はもう誰のことも恨んでいないし、

今までの人間関係で起きた全てのことを

許しているんだ。

 

 

それに、

これからも自分と向き合い続ける私は、

誰かを嫌うことも恨むこともないんだ。

 

 

 

 

そっかー、

私はそんなことを思っていたんだ。

 

本当の私はもう何もかもを

嫌っていないし、恨んでいないし、

許しているんだ。

 

じゃあ私も、

そうなれるように努力しよう!

 

 

 

そんなことを思った

矢先だったのよね泣き笑い

 

 

 

いろんなことを見たのは。

 

 

 

 

さっきのゆりちゃんとの話の通り、

自分が見たものへの確信は絶対だから、

 

こんなの見ちゃったけど、

どうすっかな、これ🙄

 

って感じで。

 

 

 

最初こそカオスだったんだけど、

見えた前世の自分と向き合っていたら、

 

エゴの世界や争いの世界に対して、

くだらないって見下したように

思っているその感じが、

今の私にもあるなぁって思ったの。

 

 

マノアが始まってからの

3年半で起きたことは、

 

私が引くほど嫌いな

人間くさいことばかり

 

だった。笑

 

 

マノアが始まるまでは、

嫌なら避けて生きて来れたんだけどさ、

マノアが始まってから起きた事は、

どーやっても避けれないことばかりなんだよネガティブ

 

 

 

くそー!マノアめ!

可愛い見た目してドSだったぞ!

 

 

 

だけど今だから思えることは、

とても安全に守られた中で、

引くほど嫌いなことと

向き合わせてもらっていたのだ

ということ。

 

 

逃げれない状況と、

ほどよく現実逃避出来る環境にいたことが、

とても救いだったし、

 

引くほど嫌いなことが

いっぱい起きたからこそ、

決まった覚悟がある。

 

逃げれないから突き進むしかなくて、

だからこそ抜けれた今がある。

 

 

 

3年半追いかけ続けた前世の着地点は、

 

くだらない人生からの脱却と、

くだらないと思って死んだ土地で

生きがいを見い出すことが出来たら、

なんかとても良いんじゃないかと思うのです。

 

 

くだらないと思いながら、

そんなくだらない世界にいたのは私。

 

 

人生のすべてには意味がない。

そう思って生きるより、

人生のすべてには意味がある。

そう思って生きていたい。

 

 

だから、これからこんな風に、

なんでもない日常の一つひとつに、

これから私は大きくて深い意味を

たくさん見つけていくんだ。

 

そうして私は、

感謝と一緒に生きていくんだ。

 

 

 

 

今日のこのひと記事でも

こんなにたくさんの気付きと学び、

深い心の癒しや感動が止まらない。

 

ようやくそんな風にこの数年のことを

眺められるところまで登ってきたら、

いろんなことが繋がり降参してます。

 

 

 

こうして日々壱岐島との関わりや、

その中で起きたことを見つめていると、

 

これらすべてのきっかけとなってくれた

さやちゃんには改めて本当に、

感謝せずにはいられなくて、

 

びっくりするほど長くなりましたが、

こうしてブログを書いています。

 

 

 

この日の私は、

まだ何にも知らなかったけど、

この日から始まったんだ。

 

 

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さやちゃんが壱岐島に行かなかったら、

私と壱岐島が出会うことはあったんだろうかと思うし、

 

さやちゃんがきっかけでなかったら、

もしかしたら早々にやめてたかもしれない。

 

 

自分と向き合って、

自分に集中して、

自分を表現することの

可能性を教えてくれた

かけがえのない魂の恩人。

 

 

きっかけほど大きな愛はない。



さやちゃん無くしては、

今もこれからの私も存在しないのだ。

 

 

 

だから私にとって、

とても大きな存在で、

影響を受ける唯一の人。

 

だから去年くらいまでの私は、

ご近所になることが嬉しくもあり、

でも内心恐れてもいた。

 

 

勝手に影響を受けて、

自滅しないだろうかと泣き笑い

 

 

だけど、

本質と向き合えば向き合うほど、

自滅するわけないんだ。

 

だって私は、

こんなにもすべてに愛されて、

こんなに守られて生きているのだから。

 

 

そんなしっかりとした自信に支えられて、

壱岐島に行けそうです。


 

 

さぁそろそろ、

最後のプロジェクト始めるよー爆  笑

 

たくさんの出会いと仲間に囲まれて、

いざ、次のステージへ‼️


  


假屋舞