RISHKESH(リシュケシュ)は、YOGA発祥の”聖地”として有名な場所。
町自体はそんなに大きくないから、頑張れば1~2日で町全体を歩いて回れる。
町全体にYOGAアシュラムと呼ばれる施設があって、誰でも少しのお布施を払えば、YOGAをしながらいつまでもアシュラム滞在ができる。
お布施の値段は決まってないから、たくさんのインド人も普通に住居として利用してた。
とにかくどこに行っても、町全体に”アシュラム” と ”ヒンドゥ教の寺院” と ”ヒンドゥ教の神様”が祭られていた。
とーーーってものんびりした雰囲気の”聖地”でした。
RISHKESHの鉄道の駅。しつこい客引きも居ないし、駅からとてものどかな雰囲気だった=)
ガンジス川を挟んで2つの大きな橋で町が繋がってる。これは、1つめの橋。大きな橋だから、バイクも通る。いつも人渋滞が起こってた。
2つめの橋。橋とガンジス川を見渡せる絶好のポイントに、インドでは有名な”German Bakerly”っていうパン屋さんがあって(どこの町にも1件はあった)、この写真は、そのベーカリーの風景。橋にはたくさんの野生のサルが居たんだけど、いつも人間の持っているものを盗んで、橋の上からガンジス川にふりまいてた。サル本気で怖かったー・・。
YOGAの聖地だけあって、こんなポスターを町の至る所で見ることができた。拡大して見てみて!YOGAやってみよーっと軽い気持ちだった私はこのポスターを見て、違うかも・・・と萎えました。。
町にはヒンドゥー今日の神様がいっぱい!しかも1つ1つがものすごく大きい!!
上の写真の隣にこれ。ガンジス川の上にも神様。すごく細かい彫刻で芸術品としても素晴らしい!!
夕方5時か6時になると、この儀式が始まって、毎晩1時間~2時間位続いた。町全体に響き渡る大きな音楽とともにみんなで手を打ったり、体を揺らしたりして、お祈りをする。黄色い布を体に巻いた子たちはまだ小さい小学生の子たち。
ちょっと分かりにくいけど、左側中央に移ってる赤い布をまとった人が中心人物。その右側でタブラーやオルガン何かで音楽を演奏してる。
前にも書いたけど、この儀式を見て、この聖地過ぎる”聖地”に、私は少し引いてしまった。お祈りの仕方がトランスだったから・・しかも、子供たちが毎日これやってるって・・大丈夫なのか。。
リシュケシュはガンジス川上流だから水がとってもきれいだった。写真は、サンセット=)きれいでした!!
1番初めに泊まったゲストハウスには変わった外国人がたくさん居た。右側の緑の女の子はアメリカ人で、このゲストハウスにすでに6か月も住んでいた。芸術家の彼女はある日突然「壁が寂しいからみんなで絵を描きましょう」と言ってペンキを大量に買ってきた。だから、みんなで落書きしてるところ。
上の写真と同じゲストハウスの仲間たち。リシュケシュでは、肉も魚もお酒も売買が禁止だった。もし、どうしても食べたければ、飲みたければ、隣町まで買いに行かないと行けなかった。BEER好きの西洋人は、隣町までお酒を買いに行って、夜な夜なHOTELのオーナーにばれないようにゲストハウスの屋上でPARTYをしてた=)みんな1人旅の仲間たち。
道端でチャイ屋を経営してるラビとママ(右)。それと仲良しになったサドゥ(左)。リシュケシュに着いた日からこのチャイ屋にはとてもお世話になった。暇さえあれば、このチャイ屋でラビと話したり、ママと話したり、サドゥと話したりしてた。ラビの作るチャイは生姜が利いててすごい美味しかった!!
お腹が空いたと言えばランチを作ってくれたり、ヒマがあれば滝に連れて行ってくれたりした。
上の写真と同じサドゥ。このサドゥとは、本当に多くの時間を共有した。彼は刺繍のかばんを作って、売って生活してた。私は彼に刺繍のやり方を習った=)彼はとても器用だった。
私は”サドゥ”に、ここリシュケシュで初めて会った。彼らは、基本的に家を持たず、家族を捨て、全てを捨て、何も必要とせずに生きる修行僧だそう。
ただ、私はインドで色んな種類のサドゥに会った。全てを必要としないサドゥ。。でも、携帯電話を持っているサドゥも、自転車に乗っているサドゥにも会った。
サドゥって何者なんだ???インドに居る間にたくさんのインド人に質問した。
インド人もちゃんと答えられる人は居なかったように思う。この人たち、基本的に自由人なんだと思う。。
リシュケシュで仲良くなった日本人の友達。半分の友達はYOGAを目的にリシュケシュに舞い戻ってきた人たちで、インド数回目のインドのベテランだった。一緒にいる時も少し落ち着くとそれぞれストレッチをはじめ、YOGAの世界に。みんなであーでもない、こーでもないってYOGAするの楽しかった=)
重い腰を上げて、アシュラムにYOGAのレッスンを受けに行った。先生は40年インドに住んでいる日本人の坊主の女の人だった。初めは簡単なストレッチから始まったのに、後半は頭だけで立ったりして、かなり上級編に。。トライする前から出来ないと思わざる負えない技になった。途中からはずっとリラックスのポーズ(ただ寝てるだけ)でやり過ごした(笑)
西洋人は、初めの簡単な部分だけやったら、途中で出て行っちゃう人も居た。自由だなー!
写真のこの人は、2度目のリシュケシュで、今回は1年~2年滞在する予定って言ってた。目的はYOGA。
長く滞在する人は、写真に写ってるようなガスボンベを買い、鍋を買って自炊して過ごすから、ほんとーーーにホントにお金を使わない。インドで、お金を使わない。
この部屋にはとてもお世話になった。ご飯時に行くといつもご飯をお裾分けしてくれて、食後にはお茶まで出してくれた。お茶碗が2つしかなかったから、大人数になると、お茶碗を回し食べ、それを洗い、お茶を回し飲み、何だか日本の”茶道”のようだった。
部屋の住人(写真の人じゃない)は、部屋に現れるアリの大群をそのまま放置し、虫を殺さず、部屋の端にごみをたばこの灰をそのまま集めた。何だかとても自然な生活をしていた。その場にいても不思議だった。
この生活を1、2年続けたら日本に帰れなくなるだろうなーと、またインド戻るよなーと思った。
これは屋台のおじさん。ここのCHOMINという焼きそばのような麺とMOMOという餃子のような野菜団子が絶品だった!!おじさんは、MOMOの皮から作る。
インド中、子供たちにはホントーに癒された!インドはどこに行っても子供がたくさん居た。カメラを持ってることに気がつくと、撮ってくれ!!ってみんな集まってきた。目が大きくて、人懐っこくて、笑顔がホントかわいかった!!
この未亡人の彼女とは、お散歩してる時に年が近いこともあって、たまたま仲良くなった。しばらく一緒に歩いて色々話してたら、部屋に遊びに来てほしいというから行ってみた。
部屋は階段の下にあるとてもとても小さな空間だった。部屋とは呼べない空間だった。
どのくらい小さいかというと・・・人間が一人横になれるくらい。座ったら、天井が頭ギリギリ位。電気は無く、1本のロウソクで明かりを取っていた。
インドでは未亡人は、社会的にあまり良い扱いは受けないらしく、友達もできないし、作りたくない。ととても悲しそうに話した。毎日遊びに来てほしいって言われて、ヒマな時は遊びに行った。
お散歩してるときにロバに乗った人たちに会った。
