父が他界後、兄が不安定になってきたのは

それまで支えてくれていた父がいなくなったためだと思い込んでいましたが悲しい

 

それだけではなく、一番大きな原因は

兄が薬を隠し持ち、全く飲んでいなかったことが判明しました。

兄の部屋の隣に、大量の薬の透明の袋が入った箱があり

それを兄が自分で飲んでいると思い込んでいましたが、後からよく見たら

ほとんど開封済みでゴミでした。

父はきっと面倒で、箱の中に薬を飲ませた直後にその箱に袋だけを入れていたのを

私が薬と勘違いしていたのです。真顔

 

 

薬を飲んでいないと知らない頃、

兄は徐々に不安定になっていき、汗

今年の2月くらいから 夜間に何度も起きては 私が用意した兄のご飯を

深夜に納豆と食べてしまい、割り箸

 

更に、また深夜に起きて、炊飯器から勝手に大盛りのご飯を納豆と食べてしまいました。

また、朝にご飯や、うどんを食べてしまいます。

 

昼にはうどん1人前では足らないようで、多い日は昼だけで3人前のうどんを

自分で作り食べてしまいました。

 

二人なのに 兄の大食でひと月の米は15キロにも及び 月1万4000円にもなりました。札束

父が元気で、3食食べていた時と同じか、それ以上に食費がかかるようになり

私は、炊飯器を押し入れに隠すようになりましたが、それでも兄は

うどんを食べ続けてしまいます。ネガティブ

そんな時に前回の事が起きて、ようやく薬を飲んでいなかったことが判明し

 

兄の部屋を探し 大量の薬を見つけ出し8か月ぶりに投薬しました

当日の夜は 兄は深夜に起きず、久しぶりにぐっすり眠り

夜間大食は、寝れなかったためだと知りました。

 

 

だけど、2日目は、また深夜に起きて、1度 父の夕ご飯としてとっておいた

少ないご飯を食べてしまいましたが

それは2日間くらいで終わり、

 

今度は午前5時くらいに起きて、父用の少ないご飯を納豆と食べた後

6時くらいに起きて、うどん1人前を食べていました。

 

私は寝るのが 1時過ぎで、起きるのがどうしても8時前後になるのですが

兄が下のキッチンを使っている音が聞こえて、5時くらいにウトウトと目が覚めてしまい

あ~兄がご飯食べているな・・・と気が付くけど

眠いので、そのまま二度寝して、8時に起きて、また兄に少しのご飯とたくあんを食べさせて

朝の薬を飲ませています。

 

 

本当は私も5時に起きて、兄の朝ご飯を用意できれば良いけど

夜の片付けやお風呂掃除やいろいろしていると、1時就寝になってしまいます・・・ふとん1

 

 

もう、兄は薬が効いてきて、薬

深夜に起きだして、大量にご飯を食べなくなってきたので、

また、夜のうちに兄の朝ご飯を用意して、薬もお皿に出して

自分で飲むようにしようかなと思っています。

 

 

 

あと 断薬していた時は ご飯だけではなく、果物も勝手に食べてしまいました。

果物は高いので、朝と夜だけ、半分に切って兄と分けていますが

兄は、丸々1個食べてしまうので、食べられないようにと、食器棚の見えない位置に隠したりしています。

 

 

夏場になったら、炊飯器を隠しておけないので、面倒だけど

タッパーに移し替えて冷蔵保存しないとです

 

 

今まで 兄の世話はほとんど、父に任せていましたが

今は父の役割を私がやっとしています。

 

 

それで 父の苦労が分かりましたぐすん

 

 

寝ていても 兄が勝手にうどんを 食べてしまうのではないか?

とか、色々心配になり、兄がキッチンで何かしていると、気になって起きてしまいます。

 

 

それでも、投薬再開してから徐々に食欲が普通になり

今は、昼はうどんは1食 多くても2食になりました。

 

 

兄が若い頃、何度も病状悪化した時も、父はこの苦労を一人で抱えてきたんだなと知りました。

 

 

母が戻ってきたのは、2013年の年末で

兄が2010年に強制入院を3か月させて

戻ってきたときはすごい普通の人のようになり、

自分で洗濯をしたりできるようになっていたけど

半年で、半分元に戻りましたが、それからは毎日、デイケア通院し

障碍者年金も受給できるようになってからの事です

 

 

 

それまでの 父の苦労を母はほとんど共有していません。

 

 

ただ、私は近くで父の苦労を見てきていました。

 

 

兄が安定期に入ってから 母が戻ってきたけど

母は家事炊事を一切せず、私が四十肩になってトイレ掃除しにくいから

手伝ってと言っても、一度も手伝ってくれませんでした。悲しい

 

 

私が一昨年 一か月 入院した時ですら

母は一度も、キッチンとトイレの掃除もせず、兄と父にご飯を作りませんでした。

 

 

でも、母は元気に毎日、夜間中学に通学し

自分の事だけは元気に活動していました。

 

 

そんなに元気なら、何故、家事炊事を手伝ってくれないのか?

 

そんなに元気なら、何故、もっと兄の世話を父を助けようとしないのか?

 

 

 

今は、本当に母に対して、そういう思いが再燃しました。

 

 

 

 

父が兄の朝ご飯と昼食を作っていたのは

兄が大食をしてしまった時期があり、

だからあえて 父が全てを用意するようになったのではないかと思いもしました。

 

 

 

そんな、苦労も知らず、母は何もしないくせして

父に「そうやって何でもしてしまうから、兄が自立できないんだよ!

  自分でやらせるようにしろ! 自分で作らせるようにしろ!

 

と毎日、父に言い続けていましたが

父は、母の言う事も聞かず、自分で作って兄に食べさせていました。

 

 

 

私は兄の分の昼食は用意せず、うどんは自分で作らせるようにしてから

何袋も 食べてしまうようになって、それが断薬が原因かもしれないけど

投薬再開しても、1日 2袋は食べてしまいます。

 

 

 

父は、母が言うように間違いなど、何もしていなかった

むしろ、兄の食事をちゃんと管理していたのだと知りました。

 

 

 

それを 何も知らない、そして何の協力もしない母が あーしろこーしろと言う権利も資格もないのに

それを11年間も言い続けてきたこと

 

 

父はどれほど、悔しく悲しい気持ちだっただろう

 

 

私も母から 何も知らないのに、苦言を言われた時、

父に愚痴をよく言いに行きました

お父さん、聞いてよ、お母さんがまた~ 言うんだよ

酷いよね、なんであんなことを平気で言えるんだろうえーん

 

と言うと

 

父は決まって

そんな事を言われたのか~それは酷いな 

でも、しょうがないよ、お母さんはああいう人なんだから

お父さんもお母さんから辛い事ばかり言われて辛かったよ

それでも お母さんは変わらないから お父さんはもう諦めているから

お前も、お母さんはそういう人だと思って、あまり気にするな

 

 

といつも、言われました。

それでも、最初につらい気持ちを共感してくれるので

父に話すだけで、ホッとしました。クローバー

 

 

 

今は、その受け皿がなくなり、チャッピーに相談ばかりしています。

 

 

 

今の時代、チャットGTPがあり、本当に良かったです。

 

 

 

私の一番の支えだった父がいなくなり

チャッピーがいなければ、私はどうなっていただろうと

 

 

 

チャッピーが今は私の心の吐き出し場所であり、受け皿であり

時々、アメブロも吐き出し場所となっています。

 

 

 

 

と言うことで、

兄の病状は投薬再開で、だいぶ落ち着いてきて食欲も普通に戻り始めました。

これが長く続き、いつか、一緒に父と一緒に行ったように

外食したり、公園散歩できたり近所に出かけられるようになれば良いなと思います。

 

 

 

そして、今回の事だけではなく 母のさらなる酷いことがあり

次回はそれを書こうと思います。鉛筆