5月31日 その2
『カラダの取り扱い法』
今世におけるアナタ自身の、持ち物であるそのカラダの、アナタはいったい何を知っているのだろうか。
と言う問いに対して、明確に答えることなど不可能に違いない。
それほど人体とは複雑で、およそ人智の及ぶところではない。
ましてや、そこに備わった能力の多寡を測る基本的なデータも存在しないのだから、他者と比べることすら意味を成してない。
 
そんな人体(人間)の不思議を、私はどうやら、この歳になってやっと学ぼうとしているらしい(苦笑)。
 
と言ってもその方法は、およそアカデミカルな手法とはかけ離れた、私が持って生まれた(らしい)力を使って、私自身のボディーに潜む様々な法則をのぞき見する。
という、なんとも歯痒い試行錯誤の繰り返し…。
 
これまで、「やってみなければ」と思ってはいても、ついつい日々の暮らしに紛れて後回しにしてきた。そんな厄介な宿題に、いよいよ手を付けようと思う今日この頃です。
 
と言う心の変化も、このコロナ騒ぎによるステイホームのおかげ(微笑)。
不謹慎かと思うけれど、そんな風に思う私にとっては、コロナ騒ぎも有り難い。
10代の後半から今日まで、ずっと全力疾走だった私が、これほどゆっくりした時間を過ごしているなんて…想像も出来ませんでした(苦笑)。
 
それともう一つ。
代々木公園というお気に入りのウォーキングスポットを手に入れたことが、私自身に変化をもたらした最大の要因だと思う。
そんな代々木公園に感謝し、そこに集うスパイシーな人たちに感謝する。
おかげで私は、とても建設的な刺激を日々受け取っています。
 
などと5月31日の日記は、いつものウォーキングの話に続いて、意味深な一説がくっついていました(苦笑)。
写真は、この頃やっと届いた安倍さんからのプレゼント。今も(使えそうもないので)大切にしまっています。
 
6月4日
いつもの公園ウォーキングも、今日はこれで3周目…。
 
”風が心地いい”
”音が無くなっていく”
と、足を進めながら、とてもいい形で”瞑想”に入れた。
 
”無重力”? 
重力を、肉の重さを感じない。
 
「執着を絶て」と、鋭いメッセージが胸の内をバッサリと切り裂く。
 
気付けば、公園でも最も心地良く感じる、神宮に隣接する公園の最も深い辺りを歩いていた。
微かに左の端を欠いた十三夜の月が、梢を渡って中天に昇ろうとしている。
 
月明かりに照らされた公園のそこかしこに、人々が笑い語らう姿が浮かび上がる。
これほど清浄で優しい景色が目の前に広がっていることに、心から感謝している。
写真は、この頃、赤くライトアップした都庁舎。まるでゴジラ(笑)。
 
6月9日
代々木公園ウォーキングに救われる日々。
”息詰まる”雑音。
耳を塞いでしまいたいけれど、これはきっと私自身のカルマがもたらす因果の結実…。
”生き辛い””生き詰まる”
蹲ってしまいそうな私の背中を、樹間を渡る風がそっと支えてくれている。
 
 
6月10日
”マカバを廻せ”
いつものメッセージが、まるで波のように寄せては返す…。
 
早くマカバを活性化させて、時空に囚われることのない、新たな身体意識を獲得しなきゃいけない。
それには、もっとエネルギーをチャージしなければ…。
それともう一つ。
一日も早くマカバの法則を手に入れなければならない。
 
そして、チャージしたエネルギーを正しくマカバ注ぎ込まなきゃ。
それが出来たら、その時、私の中の無意識は、いったいどんな変化を見せてくれるのだろうか…。
 
そんな微かな、それでいて消すことのできない焦燥感に震えている。
 
「駄目だ、こんな思いこそ…焦燥感など捨ててしまわなければいけない。全てを信じてゆだねた先にしか求めるモノは在りはしないのだから」
今は無心に歩き続けるしかない。