染師・まいまい です
今日はまじめな話…
ウメチヨ
少し前にテレビの番組で、大人になってまでも、読み書きが極めて困難な人がいる事例を
やっていました。
学がないから、とか、知的障害の問題ではなく、驚くほどゆっくりに読まないと内容が理解できなかったり、ゆっくりにしか字が書けない、文字自体が書けない、何度も勉強したところでやっぱり字が読めないなどいろいろなパターンがあるそうです。
まさかこの人が読み書きができないなんて、ウソでしょう?と思うほど、世間的に見ても
標準値より優秀とされる人が多いのも特徴。
途中からなるものではないのだとか・・・。
生まれ持った脳の「障害・症状」なのだとか。
私はこの「障害・症状」という言葉は好きではないので
「脳の仕組み」と表現します。
この事を失読症(ディスレクシア)と言います。
傾向は人種は無関係、世界中の割合からみても、ごく一握りしかいないそうです。
また、この人たちは想像力、表現力、芸術性、創造性、感性が豊かなこともあり、
別な分野で圧倒的な能力を持ち、異常なまでの集中力が続くのも特徴。
(主なディスレクシアの有名人)
アインシュタイン
レイナルド・ダ・ヴィンチ
アンディ・ウォーホル
ピカソ
モーツァルト
ベートーベン
エジソン
スティーブン・スピルバーグ
スティーブ・ジョブズ
トム・クルーズ
キアヌ・リーブス
・・・・・・等々
テレビの事例で文字の見え方にも特徴があると紹介。
・文字が小さくなったり、大きくなったり、動き出す
・文字がはがれ出し、ピョンピョン動く
・文字が渦を巻く
等
「あ、私、これなる!私の場合、文字が小さくなったり、大きくなったり、これ、教科書の音読とかテストの問題文読むとこうなってた!」と、通常の神経だったら、がっかりするのかもしれませんが、私は嬉しくなりました。
だって私だけじゃなかったのだから。
この現象は単に緊張して目が回っているんだと思い、相談なんかしたこともなかった。
番組を見ていくにつれ、思いあたる事がいっぱい。
生まれ育ってきた中で「みんなとなんだか違う、みんなはこんな事辛くないのかな」と思ってきた気持ちが、一気に解消され安心しました。
本や新聞を読もうとしない自分にも納得したし、それでもよかったんだと安心しました。
私が幼いころ、まわりの大人たちも不思議に思ってました。
姉は読書感想文で入賞するほど、本が好きなのに、姉妹でこうも違うものかと…。
一緒に見ていたネガティブ思考の父は、この世の終わりのような絶望感。
母は「そういうことか…それは辛かったね・・・。」と母の愛で心から労ってくれました。
テストの点数がとれないのも特徴。
なので偏差値がとても低い。
私の姉は、県内トップレベルの進学校に通ったのに、私は高校でもいわゆる「お嫁さん学校」にいきました。大学に行く人はほとんどいない、専門学校か、そのままお嫁さんコースです。
模試では「基礎学力を身につけよう。」とコンピューターの文章にずーっと言われ続けました。
いくら勉強してもこのまま。いい加減、あせるし、自分は本当のバカなんだと思いました。
だけど、本当のバカは自分がバカだとは気づかないのでは…?
学級委員もやりました。
知的に劣るわけではなく、むしろ同級生や、ときには先生方が素晴らしいと絶賛してくださる自分がなぜ・・・・?
「なんで君みたいな優秀な子が、うちの高校に通ってるの?」と不思議がる先生もいらっしゃいました。
私の場合、テストの「現代国語」など早読みすれば、全く内容が解りません。
「時間配分考えて、さっさと読め!」と先生に教えられ、苦しんだ方もいらっしゃるだろうけど、
それでも時間が足りなかったのです。
ゆーくり何度も一文一文、反芻しながら読み、問題に取りかかると、もう時間がありません。
「そのときどう主人公は何を思ったかア・イ・ウから答えよ」の問題。
あまりに普通でつまらないア・イ・ウに感受性が豊かだった私はどうしても
「B」と答えたくてあえて「B」と回答。先生にB論を熱弁。
「この文を読んであなたの中ではそんなにも素晴らしい世界が広がっていたなんて!それは確かにBだね。」と感じいってくださる寛大な先生。
小論文もできなかったな・・・・
自分の主張、意見はあるのですが、爆発する感情をするすると整理して文章にするのが難しかったです。
だけど、今こうやってブログやってるじゃない。と思うかもしれません。
ブログ作成にも時間がかかるので、時間を作って作成しています。
アルファベットも理解困難な傾向があるそうで、日々、PCのキーボードと格闘しています。
p,q、b,d、がどっちがどっちか解らなくなるし、英語のスペルはあまり覚えられません。
よって、英語の点数もとれません。
数字にも弱いのもそうなのかな・・・・。
失読症の人は本人に自覚がなくても他人の10倍は努力しているとのこと。
逆をいったら、10倍やって、この程度ってことだな・・・。
ブログを始めるのもかなり躊躇しました。
失読症は努力でカバーできる事もあるそうで、大分、文にするのも慣れてきたかな・・・。
日記にはいい思い出があります。
それは、小学生のとき・・・・。
担任の先生が私の日記のファンでした。
「まいちゃんの日記はとってもおもしろい!職員室で大笑いしちゃった!職員室でもたくさんファンがいるのよ。なんといっても表現力が豊かだら、毎回楽しみでワクワクしながら読んでるのよ!」と先生は、当時から変人扱いでなかなか認めてもらえない私を認めてくれたのです。
はりきって日記を書きました。
時は流れ今はブログですが、みなさまが楽しんでくださり、うれしいかぎりです!
大学の論文提出も辛かった・・・・。
なんでそんなやつが大学院まで行けたかって?
私は美大なのですが、学科(国・英)が重視される採点方法ではことごとく受からないので、
実技(美術のテスト・絵を描く等)重視の試験でもぐりこめたのです。
入ってしまえばこっちのもの。
編入や大学院の試験は作品と自分の主張だけでした。
小学生のときの夏休みの読書感想文は地獄でしたね・・・。
私は記憶力がいいので母に読んでもらって、感想を書いたらよかったな。
記憶力がいいのも特徴。
聴く態勢でのぞめば、曲や、話の内容をだいだい脳に録音できます。
教科書を開いてページごとに見て、脳内に写真を撮ることも当時少しできました。
だから、社会、歴史のテストはほぼ満点。
だってテスト中、答えが解らなければ、頭の中の教科書を開けばいいのだから。
文字を逆に読むことも特徴。
「優秀」が秀・優になったりします。
物事そのものを逆から見たり、考えたりするのも特徴。
私にもこの傾向はあります。
はっ!
その極めつけがアインシュタインの相対性理論ですね!
話は変わって、脳をトレーニングするクイズ番組での出来事・・・
脳の先生が「この模様のなかに何かが隠れています。なんでしょう?ずーっと見てるとわかってきますよ。」とボードを出します。
出しながら、私には、すでにそこに犬が描かれているのが見えています。
難関卒のタレントたちがいつまでも解らないでいる・・・・
「そこに犬がはっきりいるじゃない!バカなんじゃないの!?」と思ってしまうことも。
色やフォルムに敏感にもだし、「その中に形を見いだす系」も得意ですね・・・。
目の錯覚を利用したような「だまし絵」なども、だまされないことがあるので、素直に楽しめないこともあります。
何をだましたいのか絵の仕組みを考えて、みんながどのポイントで感動しているのか分析。
だまし絵を見ると、逆に「こうやってだますのか~」っと勉強してしまいます。
哀れんでほしいという気持ちはないですね・・・。
これが「障害」なんて思ったこともないけど。
「2●時間テレビ」みたいな「やる必要のないことをさせ、障害者だって、できるんだよ~」的な間違った同情もいらない。
(乙武さんもそうらしいですが、私はあの番組、支持しない派です。募金のおねさんに、「賛同できないので募金しません」というと、ポカンとされましたよ。)
今になって失読症だと解ってむしろ良かったです。
産まれるときに右半身マヒ(分娩マヒ)になった私。
歩くのも困難でした。
「障害者」として育てられなかった私は、障害者の自覚がありませんでした。
飛び抜けた努力はしたつもりはないど、一見わからないと言ってもらえるほど回復しましたが、右手はたいして使い物にはなりません。
さらに失読症だと幼い頃から知ってしまっていたら、ここまで頑張っていなかったかもしれません。
言い訳、逃げ道があるわけだから。
己と戦う「強いまいちゃん」には、知らなくていい事実だったと思います。
今日は、一気に自分の思いをはきだしました。カウンセリングになった感じ。
逆転の発想です!
私は、世の中のほとんどの人が味わえない世界、アナザーワールドを生きているわけだから、この感覚、まいまいの視点を楽しみたいと思います。
逆にほとんどの人の感覚が解らないわけですけどね。
これからも私の感じたこと、私の視点をブログにつづりますので、よろしくお付き合い下さい。
そんな人もいるんだ~と思ってくださったら、「いいね!」をしてほしいです。
「自分もそうかもしれない…」「うちの子ももしかして?」の方、そうかもしれないですよ。
素晴らしい能力の持ち主です。
おめでとうございます。
※無断転用はしないで下さい。メチャクチャで使える文章じゃないでしょうけどね。