1 家康は関ヶ原をやりに昔の高速道路で江戸に戻っていた!乙女河岸 | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です



大河ドラマ「軍師・官兵衛」ご覧になってますか


私の地元、栃木県小山市の
「小山評定」についてドラマでやっていたので、
(おやまひょうじょう)

もうちょっと紹介します


「小山評定」とは徳川家康にまつわるお話です

家康は上杉景勝
(謙信の実姉の子・謙信の養子)
を征伐するため、
会津に向かっていました。

ですが、石田三成が家康を討つため
挙兵したと知り、ここ栃木県小山市で
「どうしようか 」と諸将と
会議(軍議)を開きます。

これが小山評定です。

会津に行くのはやめて、三成のいる方へ
引き返し、「関ヶ原の戦い」になりました。



ドラマなどでもやらないので、
(制作者側が知らないのでは?)
あまり知られてませんが、

家康は、今でも市内を蕩々と流れる
思川(おもいがわ)の流れにのって
速攻、江戸へ戻っていったのですよ

本当の話です
(地元の人もあまり知らない?)

河川は陸より断然速いわけで、
高速道路・新幹線みたいなものですね

昔は川で、小山から江戸まで休憩等含め3日で行けたそうです

慌てて行けばもっと速く江戸に着いたことでしょう



これからのドラマは、川で江戸へ引き返すシーンを
ぜひ入れ込んでほしいものです

軍議のシーンの後はもう江戸に戻っているのが定番ですね

戻り方が家康らしいやり方、おもしろいところです
ここを描かずに何とするっ

当然、移動は陸としか考えていない人(私)からすると、
「その手があったか!」というタヌキ(狸・他抜き)方式だし、

家康のしたたかさが、さらに浮き彫りになる場面ですよ






↓ここら辺が家康が川で江戸へ戻った現場

小山市内にある
乙女河岸(おとめがし)跡




この川の名前は思川(おもいがわ)

画像、奥に向かって流れています

奥が江戸の方向です


画像、手前、撮っている側が乙女河岸






橋から





乙女河岸跡には、東屋、トイレ、駐車場がありました



赤い矢印のところの東屋のテーブルに・・・・

乙女河岸の歴史
家康のエピソードが紹介されていましたよ

大胆にもテープで貼り付けてありましたけど

はがれかかってます




なるほど~

8月4日にここから船に乗り、思川から渡良瀬川、
利根川を通り、西葛西で下船

そこからは陸に上がり、江戸城に戻ったのですね


もともと上杉討伐で会津に向かっていたわけですが、
討伐に必要な兵糧・武器などは、ここ乙女河岸まで
河川で運んでいたのですね

家康さん、討伐に向かう行きは陸路だったのですね
















東屋の画像の道を奥(江戸)の方向へほんのちょっと行くと
(クルマのアクセルを1、2回踏んだ程度で到着)

友沼河岸跡です





こちらの河岸の方がスペースが広大ですね


次回は、乙女河岸へのアクセスをご案内します



小山って、おもいがわ とか おとめ とか
ステキな名前があるんですよね~



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