7 道鏡と孝謙天皇の子! 伝・英親王の墓 七廻り鏡塚古墳④古墳について・発掘時の神秘現象 | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・




道鏡と孝謙天皇の子! 
伝・英親王(はなぶさ しんのう)の墓 
七廻り鏡塚古墳④

道鏡・孝謙(称徳)天皇・英親王ゆかり(所縁)の地


「栃木市おおひら歴史民俗資料館」
にやってきました


英親王の御陵(墓)として伝承されてきた
七廻り鏡塚古墳(ななまわりかがみづか)
が発掘調査され展示がされています


引き続き、展示物をちょこっと紹介します

展示物の撮影、ブログでの公開は
館長さんの承諾を頂いております


先日、資料館で行われた
「大平山山麓の古墳」講座に
出席できましたので、
そこで学んだことも交えながら説明します


※発掘された埋葬者は古墳時代の豪族で
英親王ではない、と結論づけられています





今回は発掘調査された古墳についての
お話です




ブルトーザーで発掘しているようす



なんとも残念、ショックな事実を話さねば
なりません

西山田の地にあるこの七廻り鏡塚古墳に
団地造成計画が持ち上がり、
昭和44年4月13日、墳丘を削り取り
なだらかにする工事がされました

その際、ブルトーザーで木棺を傷つけてしまった
もののその後、急遽綿密な発掘調査が
行われました


6世紀中頃の古墳

墳丘は高さ5m前後、直径が約30mで
やや楕円形

幅5~7mの周溝がめぐっていました

墳丘の盛土はこの付近でとれる赤褐色の粘土が
使われていました

墳丘の基盤は青色粘土層で、ここがかつて沼沢地
だと示すもので、層の中にはいまだ美しい緑を保った
葦の葉などが紛れていました

木棺は5m以上の深さから発見され、湧き水のある
青色粘土層に掘り込まれていました


(解説・展示パネルより抜粋)





湿地に埋葬されたことで状態が永いこと
保存されたそうですね

国内でも大変貴重な考古資料で、
国の重要文化財だそうです

この古墳は古墳群の一部で、他、2基の
小さい円墳も調査したのですね

どんなものが出たのかしら?



それにしても七廻り鏡塚古墳は、古墳自体が
なくなってしまったのだから残念です

残念どころか埋葬者や先人たちに
申し訳ないし恐れ多いです

古より伝えられた史跡・慣習・文化が
瞬時に消え去ってしまいました



 
七廻り鏡塚古墳の全景
(手前の白っぽく写る小山が古墳)


七廻り鏡塚古墳の名前の由来

「塚の周りを七回まわると手にさげた
手桶に水がたくさんたまる、願い事が叶う」と
いう言い伝えがあり、
「鏡塚」の鏡は地形が柄鏡に似ていた
からとも言われています

(「鏡」と言われると道鏡を暗示しているのかと
私は勝手な思いに駆られます


また、この古墳は英親王にまつわる伝承がある
ため、「英塚(はなぶさづか)」とも呼ばれ
親しまれてきました




発掘の余談

だだの偶然できっぱり
かたずける人もいるとは思いますが・・・


七廻り鏡塚古墳発掘時には
「埋葬者の怒り」とも感じとれる不思議な
神秘的な現象が起きたそうですよ



4月中旬だというのに、真夏並の暑さに
なり、めまいを起こしながらの作業

テントを張り野営すると、これまた
4月とは思えない大雪が降った

ぼたん雪が横なぐりで襲ってくるし、
寒くて眠れない

また、埋葬品は漆で美しく仕上げられたものが
たくさん納められていたのだが、
調査員がその古の漆にかぶれる事態
も起きた

夕刻、見学の人だかりのなか、いよいよ
「名刀・玉纏大刀(たままき の たち)」に
着手すると雷鳴が轟く

大刀を取り上げたとたん、2度目の雷鳴

突如、辺りは暗くなり、
青白い稲妻が走り豪雨が襲う

雷が頭上へやってきたので、見学者は
避難したが、
もはや、抜き差しならない調査員たちは
決死の思いで
「世紀の遺物を手にした誇り」にかけ
懸命に作業を続けた

その後は夕空に晴れやかに虹が
かかった



この出来事は埋葬者である武人が
調査員に与えた試練だと感じますね

誰だって自分の眠りを妨げられたり、
愛用品(大刀)を勝手にいじられれば
いい気はしません

「そこまでして我を知りたいのなら、
己の覚悟・勇気を示しなさい!」と
不思議な現象を起こし、
試練を与えていたのでしょう

調査員たちは、真摯に、勇敢に
この武人である英雄に立ち向かった
ことで見事、勇者として認められたわけです




そういえば、英親王の荒れ果てた仮殿を
開墾しようとしたときも、同じような
不思議な現象が起きましたよ


詳細は・・・
2 道鏡と孝謙天皇の子!英親王ゆかりの寺①



また、講師の小森哲也氏曰く、
発掘時、副葬品の一部が盗まれて
しまうとんでもない事態も起きてしまった
そうですよ

いつの時代でも浅ましい心の人は
いるのですね・・・

悲しいことです・・・




次回は古墳があった現場に行きます

つづく・・・


1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
もどうぞ

話の意味が解ります


専門家ではありません。いい加減なことを
言っているかもしれません!




「栃木市おおひら歴史民俗資料館」
http://www.ohirarekimin.com/rekimin.html







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