遷延性意識障害家族会は、九州にはひとつもなくて、それぞれの家族が全国会に入って情報を得るということをしてきました。
そこで九州の家族会を作ろう!
という機運がたかまって、今週の日曜日に準備会を博多で行うことになりました。
何人ぐらい集まるのかしら?と思っていたら、15人ほど来られるそうで、思ったより多く、家族会に寄せる期待の大きさもうかがわれます。
ただ九州は面積も広く、各地から博多に集まるのは一苦労かとも思います。
我が家の場合はペンギンがショートステイができないので、日帰りになります。
宮崎県の北部から博多へ行くのに特急で4時間以上かかるのです
ちなみに宮崎市からなら、飛行機でひとっ跳び
延岡で市民活動をしている方にその話をしたら、九州で集まるなら熊本がいいよ。
それならどの県からも行きやすいからね、と言われてなるほど!とも思いました。
私は高次脳機能障害の家族会を立ち上げた経験から、県の障害福祉課と身体障害者センターには知り合いがいたので、「遷延性意識障碍者家族会ができるので宜しく」というご挨拶をしたところ、県にはそんな担当窓口がないことが、判明しました。
そうか。
手探りがら始めるのだ・・・と、あらためて思いました。
高次脳機能障害の場合は特殊な事情があったのです。
厚生労働省から、全国に家族会があるけれど、宮崎県と後もう1県だけがないから、早く作るようにとお達しがあったのだそうです。
それでNPO法人に頼んで、形を作ったらしいです。
ですから行政もなにかと手助けしてくださいます。
けれど、遷延性意識障害は国からの要請もなく、特に必要性も感じないということらしいです。
それで先週の高次脳機能障害の講演会で、今回九州家族会立役者の一人で、宮崎にお住まいの方を県の担当者さんにおつなぎしたのです。
後日会ってお話を聞いていただくようになったようですが、担当者さんも「遷延性意識障害」をご存じなくて、お電話でいくつか質問にお答えしました。
私の説明で、大丈夫かなあ。
そんなことをしていたある日。
「昨年の三月の新聞記事を見ました」という電話をいただきました。
その記事にペンギンが胃ろうを外してご飯を食べることができるようになったということが載っていて、それに興味を持ってくださったようです。
ちょうどその記事のころから、54歳の妹さんの具合が悪くなり始め、いろんな病院で検査をしてもらっても原因が解らず、とうとう都城の病院で、確定ではないけれどこれかも?という病名をつけてもらったそうです。
今は日向の病院に入院されていて(延岡市内の病院で受け入れてもらえなかった)、病状がおちついたら在宅介護を考えているそうです。
ご飯も食べられず、意識もはっきりしないけれど、せめて口から食べる楽しみを・・・と考えておられたのだとか。
我が家の話をしながら、家族会のこと、白雪姫プロジェクトのこと、「宮ぷーこころの架け橋プロジェクト」のことをお伝えしました。
そして落ち着いたら、一度会おうね!と、お約束しました。
写真は先日「遠野物語」を話してくださった大平さんが写した一枚。
東日本大震災でほとんどの児童、教師が亡くなった大川小学校の塀。
宮沢健二の「アメニモマケズ・・・」の詩と子供たちの絵が、悲しい・・・・
そこで九州の家族会を作ろう!
という機運がたかまって、今週の日曜日に準備会を博多で行うことになりました。
何人ぐらい集まるのかしら?と思っていたら、15人ほど来られるそうで、思ったより多く、家族会に寄せる期待の大きさもうかがわれます。
ただ九州は面積も広く、各地から博多に集まるのは一苦労かとも思います。
我が家の場合はペンギンがショートステイができないので、日帰りになります。
宮崎県の北部から博多へ行くのに特急で4時間以上かかるのです
ちなみに宮崎市からなら、飛行機でひとっ跳び
延岡で市民活動をしている方にその話をしたら、九州で集まるなら熊本がいいよ。
それならどの県からも行きやすいからね、と言われてなるほど!とも思いました。
私は高次脳機能障害の家族会を立ち上げた経験から、県の障害福祉課と身体障害者センターには知り合いがいたので、「遷延性意識障碍者家族会ができるので宜しく」というご挨拶をしたところ、県にはそんな担当窓口がないことが、判明しました。
そうか。
手探りがら始めるのだ・・・と、あらためて思いました。
高次脳機能障害の場合は特殊な事情があったのです。
厚生労働省から、全国に家族会があるけれど、宮崎県と後もう1県だけがないから、早く作るようにとお達しがあったのだそうです。
それでNPO法人に頼んで、形を作ったらしいです。
ですから行政もなにかと手助けしてくださいます。
けれど、遷延性意識障害は国からの要請もなく、特に必要性も感じないということらしいです。
それで先週の高次脳機能障害の講演会で、今回九州家族会立役者の一人で、宮崎にお住まいの方を県の担当者さんにおつなぎしたのです。
後日会ってお話を聞いていただくようになったようですが、担当者さんも「遷延性意識障害」をご存じなくて、お電話でいくつか質問にお答えしました。
私の説明で、大丈夫かなあ。
そんなことをしていたある日。
「昨年の三月の新聞記事を見ました」という電話をいただきました。
その記事にペンギンが胃ろうを外してご飯を食べることができるようになったということが載っていて、それに興味を持ってくださったようです。
ちょうどその記事のころから、54歳の妹さんの具合が悪くなり始め、いろんな病院で検査をしてもらっても原因が解らず、とうとう都城の病院で、確定ではないけれどこれかも?という病名をつけてもらったそうです。
今は日向の病院に入院されていて(延岡市内の病院で受け入れてもらえなかった)、病状がおちついたら在宅介護を考えているそうです。
ご飯も食べられず、意識もはっきりしないけれど、せめて口から食べる楽しみを・・・と考えておられたのだとか。
我が家の話をしながら、家族会のこと、白雪姫プロジェクトのこと、「宮ぷーこころの架け橋プロジェクト」のことをお伝えしました。
そして落ち着いたら、一度会おうね!と、お約束しました。
写真は先日「遠野物語」を話してくださった大平さんが写した一枚。
東日本大震災でほとんどの児童、教師が亡くなった大川小学校の塀。
宮沢健二の「アメニモマケズ・・・」の詩と子供たちの絵が、悲しい・・・・