その頃…


仏教の教えにはまっていた私は

(サロンのビルのオーナーが師匠)


父が亡くなった時に

色々お世話になりました


ここはビルの中に小さなお寺を作り


仏様を拝んでいました






私も仏様を信じて、熱心に足を運び、手伝いをしたり

西国三十三ヶ所巡りで先達をとったりして




苦しさを救ってもらっているように感じていました


見えない世界が本当にあるんだ!

と信じたのも

この頃からです


色んな奇跡がここではおこるのです


例えば…


息子が盲腸になった時、

医者からは明日手術です


と言われ準備していたのですが


次の日にはその盲腸が消えていたのですガーン


医者は首をかしげながら


こんな事は初めてです


と言いました。

ちょうどその日は、仏様を拝みに行く日でした。



父が亡くなった時も


そこのスタッフさんに父が乗り移り


(父は10年以上寝たきりで痴呆が入り、会話が出来なかった)


死んでから父と会話が出来ました


父は酒飲みでめちゃくちゃな人で…


長崎で原爆にあい、両親を幼い時に亡くし、親戚にいじめられながら育ったようです


ですので、人を恨み、人との距離感がわからない人でした


母ともいつもケンカをして

私は両方を取り持つ役目でした


兄、私、弟の3人兄弟で


唯一私は可愛がられた方では無かったかな?と思ってますが…


多分、父と上手くやれたんだと思います。


そんな父の

初七日の法事を

ここのビルで

やってもらっていた時の事…


急にスタッフさんが泣き出したのです


私の名前を呼び


わたしの事が大好きだった…

小さな頃はこんなに可愛かったんだよ…と


そのスタッフさんに父が

映像で見せてくれたそうです


小さな私が

父に向かって走っていき、父が私を抱き上げている映像を…


私は、泣きました…


父の生前


長崎に戻る!

と約束していたのに


大阪でお店をオープンさせた事を

父に申し訳ないと思っていたので


ごめんなさい、

ここでお店を出してしまって…

と謝ると


父は


うん、ここで頑張れ

と言ってくれました





生前

いつも怒ってばかりの父


わからずやで飲んだくれ…


外国船の船長を若い頃はやっていましたが


何か原因があり

船の仕事を辞めてからは、自営業をやり始めました


小さい頃は、

半年に一度しか帰って来ない父でしたので


家族全員が父の事は、苦手でした


その空気感は父が死ぬまで続いたのですが…


私には


たま~に可愛がって貰った記憶があったので


父が亡くなった時は、さすがにショックでした


オープンの前日に

長崎のお葬式から帰ってきて、オープンを迎えたわけですが



悲しくて、悲しくて

毎日泣きながら出勤していたのを覚えています




サロンでやる事を


父はいつも見えない世界で見ていてくれていると思っています


駄目な方向へどんどん進んでいっているときも


父は見ていたと思います


そして、オープンして一年半たったあたりで


前回のような


病気を発症しました


耳の付け根が切れて、夜寝ているとどんどん膿が流れ


朝起きる頃には、髪の毛を洗ったあとのように

ビッショリと濡れています


もう、ダルくて起き上がれません

1週間程寝たきりでした


友達が良い耳鼻科があると教えてくれて

やっと薬が貰えました


その病院で…

これから、頭や顔の方に影響があるかもしれない…と言われ


私は怖くなり


師匠にお願いして

仏様のご祈祷をしてもらいました


それからみるみるうちに

治っていき


顔も頭の神経も大丈夫でした



…恐らく、これは仏様が奇跡をおこしてくれました


父も仏様にお願いしてくれたのかもしれません





腸は、言っていました


地球の神仏は

奇跡を起こす…と



続く〜







このブログは


 宇宙(天界)から降りてこられた神様(腸)の言葉を伝えています。腸はこの地球に取り残された腸の仲間を救いに来られました。その仲間の方達へ発信しています少しでも共感していただいた方は腸の仲間かもしれません