興奮冷めやらぬうちに…。
本日、監督の舞台挨拶込みで、インディペンデントリビング、金沢シネモンドにて鑑賞いたしました。
冒頭、我が家でいろいろ格闘していたため、少し遅れた入場となり、大事なシーンを見逃すも、後で購入したパンフレットでフォローできました。
大阪の、テンポのいい大阪弁で繰り広げられる会話、「生きている」言葉の数々…。
登場人物の中には、コミュニケーションのとり方が難しい方もいらっしゃり、そこは1号ちゃんと何となく姿を重ねて見入ってしまい…。
重度心身障害の方には、小中学校の同級生だったAくんと、雰囲気も仕草も似ていたから、今は亡き彼を思い出して、涙が出そうになりました。
見逃した冒頭シーンで披露された、詩の一節。
それは、ワタシが1号ちゃんのことを、自分の理想の姿に当てはめようという「呪縛」から解き放たれて、1号ちゃんの、あるがままを受け入れよう、と心から思えたときに、1号ちゃんが持っている世界の○を大きく広げてあげると共に、こちら(社会)の○も大きく広げて、交わる部分を大きくすれば、きっと1号ちゃんはもっと生きやすくなる!ということに気づいた、まさにあのときの思いと似ていて、ああ、私は間違っていなかったんだな、とホッとしました。
そして、映画の中での、出演者のセリフ。
障害を受容するということは?
この(自由のない)環境も含めて受容する、
ということが、本当に障害の受容なのか…?
この言葉に、ハッとさせられました。
みんな、同じ人間。
生きる権利を持っている。
何か秀でた能力なんかなくてもいい。
ただ、「自分の決めた時間に」朝起きて、
「自分が食べたい」ご飯を食べて、
「自分が生きるために」仕事をして、
「自分が入りたいように」お風呂に入り、
または、
「自分の行きたい」場所へ出かけて、
「自分の乗りたい」乗り物に乗り、
「自分が寝たい」時間に寝る。
そんなふうに、ただ
毎日の生活を「自分で決めて」過ごしたい。
多くの人が「あたりまえ」のように、
毎日過ごす日々は、
実はそこに「自己決定」が働いていて、
自分で決めて、ある程度の自由度のある中で、
実現されている。
ヘルパーさんなどの支援は必要な方もいるけれど、その支援さえあれば、彼らは「自己決定」と「自由」を手に入れることができる。
これからは、みんなが支え、そして支えられる時代。
それが、本当の「自立」。
みんなが誰かを必要としている。
それは、あなたも私も、誰かに必ず必要とされている、ということ。
石川県には、自立生活センターはないとのこと。
1号ちゃんが成人するまで、あと10年もない。
出演者の方で、頚椎損傷で首から下が麻痺し、寝たきり生活で15年ひきこもっていたけれど、外の世界に出るようになって、6年で自立生活センターを立ち上げた方がいた。
6年後は、1号ちゃん18歳。
…よし、とにかく、今は社会福祉士取るために、勉強がんばろう!!
シネモンドで、10/16 (金)まで上映中!
ぜひぜひ、観てください!!
https://bunbunfilms.com/filmil/