映画を見てると、それは凸凹だよね。
と思うことがたくさんあります。
個性的なキャラクターを作ると
当てはまるようになるというか
知ってる誰かの要素をモデルにするのかな
「ニモ」のドリーは凸凹ですもんね。
「私は、addなの」というセリフには
「え?そうなんだ」という返事でした。
血液型がB型なの、と大差ない展開です。
昔はADHDをaddと言っていたみたい。
引用は「ジュリー アンド ジュリア」。
そうなんですよね。だって、統計では
「人口の2割」が何らかの障害を持っている
っていうんだから。
クラスの「5分の1」って事でしょう?
みんな、ドリーと仲良く成長して
大人になったドリーもたくさんいるのが社会
だから、面白い人がいっぱい描かれてる。
もちろんね?仕事に支障があったりするけど
そこを踏まえてみんな働いてるから
普通に、あの人は「ああいう人」ってだけ。
よく、日本って車椅子の人見かけないねって
夫と話すんです。どうしてるんだろうって。
そういうことでもあるんでしょうね。
引け目に感じるから隠さなきゃいけない。
「みんな同じくらい」が1番平和だから
それを乱す存在になるのが怖い。
私もその感覚は強いのでよく分かります。
同じじゃないと浮くので「困る」んです。
そもそも、教育の求めるところが同調で
「取り残さない」のような視点。
残すって、どこに残しちゃいけないの?
普通の進路から外れないように?
みんな、同じ歩調で同じ目的地を目指すの?
みんなそこに行かなきゃいけないの?
行きたくない人はどうすればいいの?
そういう「浮いた感性」を持つ側の
生きる場所が無いのが日本特有の同調圧力で
「勝手な人だ」と部外者扱いして切り捨てる。
ヘタをすると、批判されてしまうこともある。
だから隠して生きなきゃいけない。
最近は、発達障害は話題だけど
凸凹だとか言ってマイルドな表現を用いるのは
「自分がそうだと怖い」という意識だから。
当事者の人は既にいるのよ?すぐ側に。
それを怖いって言ってるのと同じだからね。
そして、理解することを拒んで
無害な表現で片付けようとしているの。
何でも常識的にこなす事が最善とされていて
常に、本心を抑圧した緊張状態を強いられてる
のが、日本人のジサツ者が多い理由でしょう。
「常識」は、誰かが作った社会的なルールで
それを「理想」として憧れを助長させるために
あらゆる人が美しい色付けをして
「固定観念」を作り上げてきました。
それに縛られすぎて、自分の首を絞めている。
上手いこと書いてるのを見つけました。
自分の理想は、本当に自分のものですか?
素敵な誰かに対する憧れから生まれていて
同じものを欲しがってるだけかもしれません。
自分に無いものを求めても
無いものはないって事なんだけど
気がつかなくて自分の首を絞めてるのは
とても燃費が悪い人生だと思います。
憧れの焼き直しではなく
本当の自分自身の理想を見つけるのが人生。
誰かの受け売りは今すぐ断捨離。