タイタニックが沈む時、おじいさんとおばあさんが、抱き合ってベットに寝たままに沈む場面があった。

初めて観たのは21歳の頃、その時は、何故救命ボートに乗れるのに乗らないのか、日本で幸せに生きてきた21歳の私の経験上では到底理解できなかった。


今なら、色々な想いをめぐらせ、その気持が少しだけ理解できるようになってきた気がする。


がんになって入院し、手術後、背中の下にあてたクッションを外すにも一苦労した時、体力が落ちたなと感じる時、抗がん剤で副作用がでて辛い時、これがずっと続くなら、もうこのまま終わりにしてもいいかなと諦めてしまう気持ちが生まれてきてしまうのであろうことを何となく感じとった。


老化して、膝や腰やら弱くなり、朝起きるのも辛い時、予期せぬ事により身体が不自由になった時、人に迷惑をかけたくないという思いや、日常生活で人に手を借りないと生活ができず、自分が情けなく感じること。

それでも精一杯生きている人がたくさんいること。


タイタニックのあのおじいさんとおばあさんは、おじいさんの女性や子供の命を優先した気持ちと、おばあさんのおじいさんへの愛(離れるならば共に最後も一緒にいたいという気持ち)で、船に残った様ですので、病気ではないですが、死ぬことを近くに感じている。という意味では、近いものがあります。


https://news.yahoo.co.jp/articles/0c934b01c2e42607d4afbc0f3df4e432032ae45a


なーんていっても、まだ頑張りたい気持ちはありますので、自分から生を放棄する気持ちは無いです。


「十分生きさせてもらいました」とお二階さんが言ったことがありました。

↑今が辛いという気持ちも混ざっているかもしれません。


母も、「私は十分生きさせてもらったから、代わってあげたい」と言ってくれた事がありました。

↑私への愛情からでた言葉かな。


友達で自分の夢を叶えた子は「今死んてもいい。後悔ない」と言いました。

↑充実した時間を直近で過ごしたのでしょう。


私も、やりたいことすべてやって、「もう色々できたし、十分生きたし、お迎えきてください」と思えるまで生きるぞ!!