姉が送ってくれた、寛解した方を取材した海外のがん研究者の記事の中に、
私は、多くの患者が死ぬのは、がん専門医に対する礼儀正しさと、愛する人を動揺させることへの恐れからだと理解するようになりました。とありました。
今は亡き父が、闘病中にお会いした医師の中で、初対面で3時間またされ、父の様子が辛そうなこともあって、遠い病院でもあったので、ここまで来て毎回待つのか、待っている間に具合が悪くなってしまう。という様な事を私が先生に言ってしまった事があったが、先生は、感情的に、体調が悪いなら、治療はできないといいました。
私をはじめ、家族はこれを聞いて、この先生とは合わないと感じたが、その病院で受けたい治療のために合わないと感じた医師のもと治療をし、悪化した。
もちろん、合わなかった先生はその方だけで、結果的には良い先生に巡り合っていたとは思う。
また、父は、家族に弱音を吐かず、その時の生活を壊さないように優先して治療をしていた。
私が、見つけてきた別の治療のセカンドオピニオンも行ってくれたが、父の状態をみて、先生が積極的でないため、なかなか前に進めない事もあった。
私は今、サプリや漢方を飲んだり、横になる時間を増やしたり、規則正しい生活を保つため、家族に色々協力をしてもらい、ゆっくりした時間を程よく作ったりしているが、父は、家族に心配をかけないよう、ギリギリまで家族のために働いた。
いや、仕事が自分の元気の源でもあり、疲れのもとでもあったのかもしれない。
漢方やサプリなどは、病院の治療が全部効かなくなったら、私の調べたものを飲むよと言ったが、悪くなってからでは、効果もほぼ無い様に感じた。
私が選んだ漢方やサプリで、逆に悪化させたらと不安になってしまったほどだった。
元気なうちから、できることはしていかなければいけないと学んだ。
起きる事ができなくなってからは、話さなくなり、笑わなくなって、筋肉も落ち、体重もぐっと減ってしまった。がん悪液質が多くなっていたのかなと思う。
ベットで野球を見る毎日、あの時寝たままになる前に、散歩に一緒に行けてたら、もっと父の身体に向き合っていられたら、と後悔がある。
でも、父が身をもって私に教えてくれたことが、ここには書ききれない程たくさんあるから、今頑張れる。
父の分も生きる。母と姉と、旦那様を残して死ねないょ。私は末っ子だし、みんなを看取って最後を迎えるって決めてたし、親戚とも、お友達とも、もっと楽しい時間をいっぱい過ごしたい。
やりたいこともまだある。
だから、家族にはわがままに見えても、こうしたいという気持ちはしっかり伝えてチャレンジしていく。
自分の身体と向き合って、みんなにパワーを分けてもらいつつ、頑張る
私は、未来のみんなの辛さを先に経験して、より良い介護をするための、今は準備期間なんだと思っている
みんな、愛してるよー
元気になるからね