あの日も金曜日でした。
今日と同じデジチラ☆の生放送直前。
スタジオがざわつき始め、
何が起きたかまだ把握できなかった…
番組は飛ぶこととなり、
地震がおきたということだけを知る。
次の現場で撮影が続き、
映像で事態を把握したのは夜でした。
同じ日本でおきてるとはまだ信じられなくて、
その規模も分からなかった。
西の果て長崎で、少なくとも私にはそれくらいしか伝わってなかった…
私も25年前、島原で雲仙普賢岳の噴火災害で被災した。
あの6月3日以来失ったそのときの日常。
あの日以来通えなくなった母校。
離れ離れのお友達。
住み慣れた家。
いま25年たって島原の噴火で被災してと話した時、
あったねーそんなこと。
知らないー
覚えてない、生まれてないし、と言われることもあります。
私たちは少なくとも全国各地からの、
救援物資や、義援金に支えられました。
学校の持ち物も無くしてしまったので、
全国各地からお譲りいただいた、人の名前が入った習字道具や絵の具道具、洋服。
それで学習や、生活を続けられました。
日常を取り戻した学校。
私の中ではあの日で止まっているけど、
少しだけ暖かくみえました。
東日本大震災は、
長崎の私には遠く感じてしまいがちだけど、
小さな募金でも届くことを身をもって知っているから。
忘れないでいることの大切さも。
風化させないことも。
1日でも早い復興を、長崎から祈ります。