あれから23年…
あの6月3日を最後に、
住み慣れた町、家、学校、友達のもとを去ることに…
雲仙普賢岳噴火災害。
国見で過ごした避難生活。
6月2日まで、
マスクとヘルメット登校しながら、避難訓練をいろいろしていました。
当時、小学校4年生でした。
第五小学校は、母校です。
災害は、一瞬で当たり前の生活をかえる。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
全国からの救援物資に支えられた。
ものに溢れた日々が、貴重なものだらけとなった。
大好きなふるさと、島原。
復興に私はなんにもできなかったけど、
島原をいつまでもふるさとだということを誇りに思い、
あの災害のときのこと、忘れないでいようと思う。
必ず復興があることを、島原の町は希望となったはず。
大好きな島原。