母が亡くなり1年が過ぎた。
過ぎる日々が早いし
この1年、目まぐるしく過ぎた。
私は母が亡くなってから
日々生きているだけで
時間が止まってしまって
何もしていない気がする。
言い訳に過ぎないけれど
精神的に何に対しても
やる気が出ないみたいな感じ。
“頑張る”って言うのが出来なくなった。
色々ありながらタイミング良く
仕事も辞めて。
タイミングじゃなくてきっと
私が迷わない為に後悔しない為に
神様がこの流れを作ってくれたと思う。
お陰で何のストレスもなく母と全力で
最期まで過ごし看取れた。
だから辞めた事には一切
未練も後悔もない。
仕事はまたいつか探せば沢山ある。
でも私を産んで育ててくれた母親は
この世にひとりしかいない。
職場でランチしたり旅行に行ったり
プライベートで仲が良かった人から
連絡があったけど色々な理由で
人間関係もリセットした。
この1年、週に1回くらいしか
出掛けず、ずっと引きこもり
がちだった。たまに出掛けると
集中力も無く疲れるだけで
頭痛がする。
例えばひとりで遠くに旅行に
行っても誰かが一緒なら別だけど
早く帰りたくて仕方がない。
ひとりだと闘病中の事とか
母とあちこち行って楽しかった
思い出とか色々考えてしまう。
私は母の日が嫌いになった。
母が亡くなった後に買物などに
行くと世の中は母の日、母の日って
広告や店内のポスターは母の日で
盛り上がっていた。
傷心した心にグサグサ刺さった。
耳で聞きたくなかったし
目に触れたくなかったし
婦人服売場で母が闘病中着ていた
ような寝間着や洋服を見ると
あの時の記憶が蘇って気持ちが
複雑になる。
母に容姿が似たような年齢の人を
見たらなんとも言えない感情になり
暫く外出するのが嫌だった。
いまでもそんな感じ。
コロナもあり狭い世界で
生きている感じ。
メディアなんかで闘病生活を画像で
流していたりそれを家族が支えて
いたりするのを目にすると感情が
込み上げてくる。
だって、人の最期を目の前で
みてしまったから結末が
見えるから。手に取るようにわかるから。
見るもの全てに目を背けたい。
今でもそんな気持ちしかない。
何もかもに涙もろくなった。
母の日に何かをしていたわけでは
ないけれど、母が居なくなって
自分が取り残された気になった。
親は不死身だと思っていた。
失って初めて当たり前の日常が
どれだけ幸せか気づく。
周りにいる人に感謝して
大切にしなきゃいけないと思う。
余命が迫る1日、1日が貴重で
明日は分からない。そんな日々
弱って行く母を見ながら冬から
春へと季節が変わっていった。
春も嫌いだし母の日も嫌いだし。
桜も嫌いになった。
でも、毎年やってくるんだよなぁ。
今年も街は母の日で溢れている。
やっぱり悲しい気持ちになった。