私は東北の震災のあった3月11日に
ポルトガルから日本に帰国した。

帰国して帰りのタクシーの中で
震災の事を知った。

衝撃の事実。
驚いた。

タクシーのラジオの向こうから
大津波警報など今までに聞いた事が無い
悲惨な状況、どんどん色々な被害が
沢山流れてくる。2週間も日本を離れていたし
突然何が起こったかわからずタクシーの
運転手の人が説明してくれた。

駅からタクシーの5分間が
とても長い気がした。

今でも忘れん・・・。

両親からの安否確認の携帯が
鳴りっぱなしになって
パニックにもなった。

そして、最近知ったこのCMの事。



このCMの経緯。



このCMの深き内容、ご存知ですか?

エステーの社員が何も知らずにここで
東北の震災後にCMを撮影したらしい。
ここで、昔、大地震と震災があり、
リスボンの街が震災にあった事は知らずに・・・。


結局、ここで震災があった事は
後で知ったらしい。
(エステー宣伝部ドットコム)

(新聞にはエステーの社員の方がリスボンの震災を
知らずに企画したら、シャチョウサンがリスボンの震災の事を
知っていたのでこのCMのGOサインがでたとか
という記事が出てましたが^^)

大震災復興の願いを込めたこのCM。

つい最近までN氏から言われるまで
私はこのCMを見た事も無かったし
こんな経緯も知らなかった。

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実は震災が起こる数日前、私はポルトガルの
リスボンのこのCMと同じ地に立った時にN氏から
『このポルトガルの街って綺麗やろ。
ここは昔、大地震にあってその後、
当時、首相だったポンバル侯爵が
街を整理して建物を耐震建築で
リスボンの再建をした場所なんだょ』
と。

ボンバル侯爵ねぇ~。名前が特徴的だな。と思いつつ。
そんな話をしてくれていた事など忘れていた。

首相のポンバル侯爵は地震直後、
すぐに建築家や技術者を集めて
復興にあたり、1年以内にリスボンでは
至るところで建設が始まった。

当時、ポンパルの指揮下で建てられた
ポンバル様式建築は、斬新な世界最初の
耐震建築でもあり工期の短い
プレファブ建築というものだったらしい。。

リスボンの震災は1775年11月の
出来事だったらしい。

知れば知るほどリスボンも
すごい街。震災にあった事など感じさせない
何でもない風に今があるけど
ここまで復興したんだと・・・。

リスボンのここから、何も知らずに
何でもなく海を見ていた私。

そんな事など思わせない
美しい景色。

海がキレイやな~、景色がキレイやな~って思ってた。

結局、そこにはホテルから近かったので
2回行った。行ってて良かった。
本当に今、思う。
そして今、不思議な感じがする。

起こって知る事も多い中、
『知識と経験と学びと学習』
これ大事だと思う。

仕事や私生活に対しても
これが基本だと思う。

新しい発見も大事だけどその自分が滞在する
国の歴史などの過去も少しは
勉強しておく事も大事だと思った。

人はいつ、どこで何が起こるかもしれない。
帰国前に書いたブログに自分が書いていた言葉。

何も知らずに見たら何でもないCM。
でも深い意味があるんです^^

復興とはすごい。今すごく大変な東北も
世界、日本、みんなのひとりひとりの
支援、応援で東北の方達が元の平和な
生活に戻れるように1日も早く
復旧、復興して欲しい。

文字ばかりのブログでスミマセン。
誤字・脱字もあればごめんなさい。

明日また整理シマス。

おやすみなさい、また明日☆