扉が軋む
骨が軋む
それほど寒いわけではないのに
ガラスの冷たさ
手のひらの冷たさ
どういうわけか胸が痛む
一人でいることが辛いのではなく
二人でいたことを想うのではなく
例えようのない虚しさだけが
秋と冬の境界線を漂っている
扉が軋む
骨が軋む
それほど寒いわけではないのに
ガラスの冷たさ
手のひらの冷たさ
どういうわけか胸が痛む
一人でいることが辛いのではなく
二人でいたことを想うのではなく
例えようのない虚しさだけが
秋と冬の境界線を漂っている
僕は実家の引き出しの中から
古びた鏡を見付けた。
「こんな鏡は初めて見た」
しばらく眺めていると、
鏡の中の自分が荒んだ瞳でこんなことを語り始めた。
「結局、人生なんて自分の環境をどう捉えるか、
捉えられるかによるもんだ。
俺は仕事を探しているが、いつまで経っても見つからない。
昔は「何でも良いならある」で工場だの何だのを選べたようだが、
今はそれすら群がる連中の骨肉の争いだ。
俺は高卒だからな。別に選んでいるつもりはねぇよ。
もちろん、最低限の条件はあるが……
本来なら選ぶ必要もなく、必然的な項目だ。
二十代半ばになって、安定を目指しても遅いと言うわけだ。
しかし、神様なんてものはいないよな。
こう見えても、
小学校から高校卒業までボランティア活動もしたし、
財布も何故かやたらと拾うが、
住所が分かれば本人に返している。
警察は信用ならねぇから、大半は自分で返したよ。
俺の懐だって楽じゃないがな。
後は道を尋ねられる機会もかなり多くてな。
大勢の人間を目的地まで案内したよ。
そんなことを繰り返してきた。
地元の丹沢の大山ではゴミ清掃だってしたんだ。
登山道から外れているし、今だってあそこが綺麗になったことを
誰も知らないだろうけどな。
昔の自分なんて他人だから、
これを語っている俺には何の恥じらいも、誇りも無い。
偽善者は偽善者なりに偽善を重ねて来たってのに、
今の俺の現状はこんなもんだ。
職安やネットで職を探しては落とされたり、
募集が女だけだったり、碌なことが無い。
情けは人のためならず?
巡り巡っていつか自分に良いことが返って来るらしいが
配達ミスか? ふざけんな。
……人間ってのは不思議なものだな。
俺は平和が好きだった。人が好きだった。
幸せそうに歩いている家族や恋人たちと
すれ違うのが好きだった。
ただ、精神的に余裕がなくなると、残虐性を望むようになる。
少し前は、資産家やら何やら、
金持ちが死ねば良い気味だと思っていたが、
最近は幸せそうな人間が
俺より早く死んでいくことが嬉しいんだ。
俺は底辺だからな。
俺よりも充実している奴らが、俺よりも早く燃えカスになる。
それが唯一の救いなんだ。
さてと、今日はどんな事件や事故が起きて、
その中で何人の幸せな人間が無様に終わったんだろうな。
はは、ホラー小説のネタにでもなれば良いが」
言い終えたのか、
しばらくすると、鏡は僕の顔を映すだけの役割に戻った。
何故だかやたらと喉が渇いた僕は、
冷めきった珈琲を飲み干すと、
無意識に深い溜息をついていた。
日本語の意味に関して、
大多数が勘違いしている=誤用でなくなる
という風潮が嫌いです。
他の文化にしてもそうですが、
時代の変化云々を
言い訳に使うのは嫌ですね。
周囲を良い方向に進めるための変化なら未だしも、
自身の言い訳と逃避のための
「時代は変わった!」宣言は恥ずかしい。
例えば、最近はDQNネーム
(キラキラネームよりは相応しいですね)
が流行っています。
そういう方々は
「時代で名前が変わってきたのだから良いじゃないか!」
と口癖のように言いますが、
今までは生きることに弊害を及ぼすような名前は、
ほぼ存在していなかったはずです。
昔の名前に意味があったかどうかは分かりませんが、
後に「花」などの意味を用いた名前になり、
今度は個性を履き違えた親が、
ゲーム感覚で妙な名前を付けるようになる。
いじめられる要素の一つとなり、
面接などでも名前を理由にして落とされる事例もあり、
(本人よりも親の性質を危惧するのでしょうが)
唯一の救いは、
正当な理由さえあれば
裁判所で名前を変更できることですが、
出来れば最初の名前で生きていきたいものですね。
酷い時代になりました。