昨日付の毎日新聞の国際欄に南スーダンからのレポートが掲載されていた。南スーダンとはあまり聞きなれないが、明日独立するアフリカ54番目の独立国である。アフリカは6大洲の中でもも最も独立国が多い国ではあるが、今回の独立は私にとっては驚きであった。アフリカの独立は欧州の宗主国からの独立がほとんどであり、既に国境が画定しているアフリカ諸国からの分離独立というのは極めて珍しい。近年の例で言うと、エチオピアからエリトリアが独立した例があるが、それとて、かつてエリトリアをエチオピアが半強制的に併合したので、元に戻して、独立を回復させたという建前があった。
それに比べて今回の南スーダンは過去に独立国として成立したことは一度もない、全くもって、新制国家の誕生である。そもそも、なぜ独立が認められないかというと、もともとアフリカ諸国の国境は植民地支配当時の人為的な国境線であり、民族や宗教の分布を無視してしまっている。そのため、一つの民族がいくつかの国に分断されていたり、一つの国にいくつもの民族が住んでいたりしている。それがアフリカ諸国で紛争が絶えない理由であるが、一度宗教や民族の違いを独立の理由として認めてしまうと、際限なく独立を認めなくてはいけなくなってしまうので、アフリカ諸国は互いにそのような少数民族の独立を今まで一切承認してこなかったのだ。今回の南スーダンは、北部の多数派と比べて、民族も宗教も違うので内戦が続き独立することになったのだが、このような独立が一度でも認められるとなると、アフリカの周辺諸国も不安定化するのではないかと思う。日本も海賊問題で自衛隊を派遣したソマリアも国内にソマリランドやプントランドという周辺から「承認されていない独立国家」というものを抱えている。これらの地域が独立がみとめられず、南スーダンだけ独立が認められたのは、やはり国際社会が南スーダンに高い関心を持っていたからだろう。正確には南スーダンの人々に関心があったのではなく、南スーダンの地下に眠る石油に関心があったからであるが…
さて、その新聞の記事の中にクリスチャンのけなげな、そして強(したた)かな信仰をみたのだ
取材の途中、牧師はハイビスカスの花でつくったお茶「カルカデ」をすすった。深紅の色合いは、ワインを思わせる。レモンのような酸味と、砂糖の甘さが程よく合う。
南部では北部イスラム文化の影響下に置かれた時代、アルコールは禁じられ、ワインの入手も困難だった。だから教会では、ワインのかわりにこのカルカデを「キリストの血」として使ったという。
キリストの血などというとおどろおどろしい感じがするが、ようは聖餐式と呼ばれる儀式でつかう葡萄酒のことである。クリスチャンは2000年前の十字架を覚えて、パンを裂いて食べ、葡萄酒を飲んでそれを記念とするのだ。そのパンは種無しパンじゃなければいけないとか、その葡萄酒はワンカップでなければいけないという人がいるが、要はその儀式を通じて十字架と復活の出来事を覚えよと主イエスはおっしゃったのである。
この南スーダンの教会では北部のイスラム教の圧政から葡萄酒を手に入れることができなかった。そこでどうしてもイエス・キリストを覚えて聖餐式をしたかったのだ。だから彼らは色が似ているカルカデというハイビスカスの花茶で聖餐式を執り行った。
私は、種無しパンだとか、葡萄酒だブドウジュースだという人々よりも、この花茶で聖餐式をした彼らの方がよっぽど主に覚えられ、喜ばれているのだろうと思うのだ。