私にとって「痛みを誤魔化さずに感じる」とは、
突き刺すような冷たい風が、頰を通りすぎる感覚に身を任せること。
「寒い!」「嫌だ!」「もうどうしたらいいの?」誘うように湧いてくる思考をも抱きしめながら。
誰かに頰を叩かれた時「私が憎いのね?」「私が悪いことをしたから叩かれたのよ!」そんな理由探しは辞めて「ジン」と熱を帯びた痛みをただ感じること。
大きく打ちつけるあまり、咽せてしまうほどの心臓の鼓動をそのままにしておくこと。
外は嵐で、雨が吹きすさび、大きな波が岩肌を打ち付けても、一番奥にある静かな場所そこに行き着くまで、自分の感覚に身を任せること。
喜びもそう。
自分の温度を感じること。
自分の温度があるから、感じる人の温度を感じること。
理由を見つけずに、ただ感じること。
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私この世には、喜びだけがあると思うんです。
だって「あの日の喜び」はいつまでも消えないのに、「あの日の悲しみ」は取り出せないから。
「あの日の悲しみ」は「今日の喜び」に変わっちゃうんだもん。
例外なしで「あの時ああしていれば良かった」そんな風に後悔してやり直したい過去なんてひとつもない。
それを安心と呼ぶのかな。