プランターの花の水やり。

先生がマーガレットに水やりをしていると、それを見た年長児も「わたしもやりたい!」とジョウロを下ろしてもらって水やりに。

人がやっている姿を見るとやりたくなってきます。自分が役に立っていると思えれば得意げにもなります。

 

 

 

 

それを見た他の年長児もチューリップに水やりを。

水やりジョウロは普段、外遊びの玩具とは別に、手の届かない場所に置いてあります。泥遊びに使うとシャワーの穴が詰まってしまい水やりに使えなくなるからです。

 

 

 

 

 

 

数人の年長児が水やりをしていると、年中児も水やりに加わってきました。

草花への水やりは年長・年中児の特別な役割で認められる意識もあるのでしょう。

 

 

 

 

 

先生に手伝ってもらって2歳児も頑張ってプランターの花に水やりをしていました。

「お花さん喉が渇いている」「お花さんを自分が喜ばせている」「自分達も認められてジョウロを使わせてもらっている」「水やりが楽しい」

2歳児にとって、小さなジョウロでも狙いを定めて保持するのは難しいようです。

プランター内の土に撒くより周りの地面を濡らす水の方が多くなります。

年長児が簡単なようでいて複雑な行動「目と手の協応動作」をこともなげにやっているわけです。今の年長児も3年前の今頃はこんな経験をしていたのでしょう。

 

成長するごとに経験を積み、一段一段出来ることが増えていきます。

こんな様子を見ると「人は人によって人になる」(神戸市の基本教育目標)ことが伝わってきます。先生も友達も、周りに係わり合う人の存在がなければ、水やりすらも出来なかったかもしれません。

「やってみたい、模倣してみたいという好奇心・意欲・気力」「誰かを喜ばせている実感」「認められている満足感」「行動をコントロール出来る成長発達」

そう考えるとコロナ禍でそれらの機会を奪われたことを意識して補っていかなければ…無理のないようにですが。