ひな祭り、そう、もうすぐひな祭りである。
そしてひな祭りといえば雛人形。
だけど私は雛人形について何も知らなかったことを、知ることとなる。
先日勝浦へ雛人形を見に行った。
雛人形を見に行く、という概念が無く、どんなものだろうかと思っていたが、ものすごく面白かったので、これはブログで熱く語らせてほしい。
千葉県勝浦市は今
かつうらビッグひな祭り
開催中。
早い話が、街中がひな祭り!
市内に、雛人形30000体が飾られるというのだから驚きだ。
まず行ったのは、
「勝浦市芸術文化交流センター」
こちらの見どころは‥‥
6000体の雛人形!
通常は客席かと思われる斜面に、下から上へ、右から左へと、空間いっぱいに並ぶ雛人形は圧巻だった。
そして、
ここを過ぎ、
最後に出口のところで迎えてくれた
日本最大の享保雛
こちらもインパクトがあった。
この写真では大きさがいまいちよく分からないかもしれないので、対比できる写真もお見せしよう。
おわかり頂けただろうか。
さて、先ほど出口のところで、と言ったが、こちらの施設の魅力を語るには、まだ皆様にお帰り頂くわけにはいかない。
ここからが本題なので、
是非お付き合い頂きたい。
ホールを埋め尽くす6000体の雛人形に、人ほどの大きさのある日本最大の享保雛。もちろん一番の見どころではあるが、
ここへ来てよかった!!
と私が思った理由は、雛人形についてこれまで知らなかったことを知れたことにある。
こちら勝浦市芸術文化交流センターには、他にも1000体の雛人形が飾られており、その展示エリアには雛人形に詳しいお父さんがいて、どんな質問にも答えてくれたので、写真とともに皆様にもお伝えしていきたいと思う。
さて2種類の雛人形を見てほしい。
そう、お内裏様とお雛様の位置である。
これまで複数の雛人形を見比べたりすることが無かったので、恐れながら初めて2種類あることに気が付いた。
ちなみに、上は江戸時代のもので、下は大正時代に作られたのものなのだそうだが、
何故、お内裏様とお雛様の位置が違うのか?
答えの鍵を握るのは大正天皇。
もともと、向かって右側が上座とされており、その位置にお内裏様が鎮座していた。
だが大正天皇の即位式で、天皇が向かって左に立たれ、皇后が右に立ったことで、関東の人形協会の人々はざわめいた。
大正天皇がこのような行動をとった理由は、洋装なので西洋のスタイルを取り入れたのだとか、皇后をたてたのだとか言われたが、無論直接聞くことは出来ない。
そこで関東の人形協会の人々は、関西の人形協会の人々に相談する。
「大正天皇に倣って、雛人形もお内裏様とお雛様の位置を変えたほうが良いのではないか」
すると関西の人形協会の人々は
「雛人形は平安時代に京から生まれたもの。位置を変えることは決してしない」
これを受けて関東の人形協会の人々は、それなら関西は関西、関東は関東で、それぞれ作りましょうということで、こんにちも関西雛と関東雛、というものが存在するのだそう。
つまり、お内裏様とお雛様の位置を見れば、それがいつ作られたものか知る手掛かりにもなるということだ。
質問への答えが、
"東西でちがう"で終わっていれば
まるで、方言がちがう、と言われたような感覚で追求せず終わっていたかもしれないが、思いがけず面白い話が聞けてよかった。
ちなみに、関東は目が大きめで口元がかすかにほころびふっくらした可愛らしいお顔が人気で、関西では切れ長の目に鼻筋の通った細面が好まれるそうだ。
次に
お父さん➖雛人形博士
にこの施設内で一番値が高い雛人形を聞いてみた。
それがこちら。
モデルとなったのは、
京都御所紫宸殿
京都御所と同じように宮大工が作った屋根なので釘を使わずに作られているということ。
帳があるということ。
などから、当時でも、一軒家を建てるよりも高い値が付けられ、現在でも1000万円はくだらないという。
それにしても精密に作られている。
では雛人形博士が選ぶ一番好きな雛人形はどれなのか。
ん?他と比べても、大きなちがいは見当たらないが、どの部分に惹かれるというのだろう?
博士は言った。
衣装着人形の中でも、衣装の縫製が細かく、大変美しい、と。
「衣装着?」
雛人形には
衣装着人形と木目込み人形がある。
桐塑という素材で作られた人形の本体に、筋彫りを入れて、衣服のシワや模様を表現し、筋彫りに布の端を押し込み「木目込む」ことで衣裳を着ているように仕立てるのが、木目込み人形。
変わって、
仕立てた衣裳を胴体に着せ付けて作るのが、衣装着人形だ。
そう聞いて見てみれば、最初はどれも同じように見えていた人形たちが、全く異なるものに見えてきたから不思議である。
雛人形へぇ知識!
まだまだ続く!
続きは次の記事で‥
読んで頂きありがとうございました
cherish now... ひなの