NHKのドラクロア(ドラマチックな苦労話)で、美人競艇選手の日高逸子さんが取り上げられていました。

見そこなった競艇ファンのために 舞婆が、記憶の限りあらすじを書きお越しますね。


日高逸子さんは、1961年宮崎県に生まれます。

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←兄   ↑母   →逸子さん


平凡な生活送っていた家族に先ず最初の転機がおこります。

教師だった父が、交通事故にあい、その後遺症で働けなくなった事で、荒れ、酒を飲み、母に暴力を振るうようになったそうです。

母は、暴力に耐え切れず、ある日突然、逸子さんと兄を残して家を出てしまいます。

残された幼い兄妹は、父方の祖父母にあずけられました。


祖父母の家は農家で、生活は苦しく、逸子さんは、子どもの頃、早朝5時から新聞配達をしたり、農業を手伝ったりしたそうです。

そして、高校もアルバイトと奨学金で卒業したそうです。


19歳で上京し、働きながら専門学校を卒業。

その後、いくつか職場をかえ、21歳の時、生活費を節約するために、友達と同居を初める事にします。

その時、テレビの競艇のCMに出会います。

「平均年収1020万。特に女子選手募集」と言うCMです。

このCMを契機に、日高逸子さんは、22歳で本栖の訓練学校へ入所します。(女子の中で最年長でした)


運動はあまりしていなかった逸子さんは、時速80キロのスピードへの恐怖で、体がすくみ、何回も落水したそうです。しかも、成績はいつも最下位でした・・・・・。

そして、挫折した逸子さんは、一度、学校を辞めて田舎へ帰ろうと鞄に荷物をまとめたそうです。

そして、学校の廊下にしゃがみこみ、最初に会った教官に学校を辞める事を伝えようと決めました。


最初の教官が来ました。

その教官とは、今まで一度も口を聞いたことの無い教官でした。

するとその教官は「お前には帰る場所なんか無いじゃないか」と言ったそうです。

その教官は、逸子さんに故郷で待つ両親がいない事を知っていたのです。

なんと、その教官は、逸子さんと同郷の宮崎県串間市出身の大崎周一教官でした。


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大崎教官は、同じ出身で、親の無い日高選手の事を気にかけ、陰ながら応援されていたのだそうです。

教官から、その事を聞かされ、日高さんは、訓練学校で頑張ることを決意するのでした。


そして、それを機に逸子さんは、どんどんと頭角を現していきました。

ターンマークも男子選手顔負けに鋭く回る事が出来るようになりました。


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ターンマークでもスピードを落とさないフルターンは、他の女子選手はついていけなかったそうです。

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そして1985年にプロデビュー。


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1989年女子王座決定戦では、


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見事優勝!

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次々と起こる偶然が、逸子さんの人生を大きく変えた。


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家族との縁が薄かった逸子さんは、


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結婚して幸せな家庭を築きたいとずっと願っていました。
そして、34歳で、邦博さんと結婚。


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夫の邦博さんが、子育てをはじめ家事の全てを行ってくれる事になりました。

(民放のTVの特集によると、邦博さんが、逸子さんに惚れて惚れて押して押しての結婚だったそうです^^)



そして、長女の優那ちゃんを出産^^

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すると出産後わずか2ヶ月でレースに復帰なさったそうです@@


そして、次女の萌南ちゃんを出産。
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またまた出産後3ヶ月?でレース復帰したそうです。


そして、2005年の女子王座決定戦では、43歳で見事優勝^^

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美貌も強さもそのままに 大活躍されました^^


そんな中、兄の家に行ってみると、メモがありました。

それは、幼いころ生き別れとなった母清美さんの住所でした。

お兄さんは、2年くらい前に母の住所を既に知っていたのだそうです。


そして、2005年8月にまたまた思わぬ奇跡が起こりました。

商店街の福引で、逸子さんは特賞を当てたのです@@

そして、その旅行先と言うのが、宮崎の母の住む町だったのだそうです@@


逸子さんは、家族で、母に会いに行く事を決意されました。

そして37年ぶりの母との再会を果たしたのです。


逸子さんは、今までずっと聞きたかった事を母に質問しました。

「何故、兄と自分を置いて家を出たのか?」


母は、夫の暴力に耐え切れずに家をでました。その時、母は、子どもたちも一緒に連れて行くつもりだったそうです。しかし、夫の両親に頼みこまれて、子どもたちを置いていったのだそうです。


母は、逸子さんが競艇選手として活躍している事も知っていて、陰ながら応援していたのだそうです。

そして、部屋をみると、母と兄と逸子さんが写っていた写真が飾られていたそうです。

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そうです、母は、逸子さんたちの事を忘れたことなど無かったのです。


母と再会した年の日高逸子さんの活躍は、凄く、その年の年収は5000万を突破!!

女子のMVPにもなりました。


今年、レーサーになって27年、50歳になった逸子さん。

生涯獲得賞金は、7億円を越え(7億5千万???だったかな???)ました。


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彼女は言います。

「本当にボートレースも人生もほんのちょっとしたことで変る」と。



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人生において全部無駄ということはないと思うしと彼女はいいます。


みたいなあらすじでした。

何せ、シニアの舞婆の記憶ですんで、さだかで無いところも多いですが、そこらへんはご勘弁をΣ(ノ∀`*)ペチョン



こんなに苦労した日高さんだからこそ、人に優しくできるのでしょうね^^

ほんまに、美し過ぎて、強すぎる女子レーサーですね^^



一度お会いしたいのですが、人ごみが苦手なうちは、記念や女子戦のような人ごみには、よういかんから^^;;

なかなか日高選手にはお会いできませんが、いつか会えるのを楽しみに、頑張って長生きしたいなと思う舞婆でしたΣ(ノ∀`*)ペチョン


ほな!おやすみやすΣ(ノ∀`*)ペチョン